
“7年契約”という壁
「信頼関係の破綻は認められない」
10月30日、ソウル中央地裁が下した判断は冷静かつ明確だった。
韓国の人気ガールズグループ『NewJeans』が所属事務所「ADOR」との専属契約を巡って争った訴訟で、裁判所はADOR側の主張を全面的に支持したのだ。スポーツ紙芸能担当記者が解説する。
「’24年春、NewJeansのプロデューサーでADORの代表を務めていたミン・ヒジン氏(45)が親会社『HYBE』と対立して解任させられたのが騒動の発端となりました。ミン氏の解任にメンバーたちが反発。『信頼関係が壊れた』としてADORとの専属契約を解除すると主張。’25年2月には、独自にグループ名を『NJZ』と変えて活動を開始しました」
両者の関係は修復されないまま、争いの舞台は法廷へと移されたのだった。K-POPシーンを長く取材してきた音楽ライター・まつもとたくお氏は、今回の判決をこう見ている。
「裁判所は『ミン氏の解任だけでADORが契約違反したと見るのは難しい』とし、『ミン氏はNewJeansを保護する目的ではなく、独立のために世論戦を仕掛けた』と判断しました。感情的には両者の間に溝があっても契約上は問題がなかった──それをはっきりさせた判決だといえるでしょう」
ソウル中央地裁は信頼関係の破綻という抽象的な主張を退け、
「(グループが活動するにあたって)ミン氏の関与を義務づける記述は契約書にない」
と明言。“誰を信じるか”ではなく、“何に同意したか”が大事であることを明示した。冷静に事実だけを積み上げる司法の論理に情が入り込む余地はない。“家族のような関係”をうたいながら、K-POPの世界は契約で成り立っている。今回の判決は、その現実を突きつけた。
今回の訴訟の背景には、K-POP業界特有の長期専属契約の構造がある。かつて「奴隷契約」と呼ばれる不当な長期契約が問題化し、’09年に公正取引委員会が「最長7年」と定めた標準契約書制度を導入した。実際に多くのアイドル、アーティストが上限いっぱいで契約を結んでおり、“7年契約”はいまも業界の慣行として根強く残っている。前出のまつもと氏は「今回の判決が、制度そのものに大きな影響を与えることはない」とみている。
「ADORには戻れない」
「契約を結ぶ際にはトラブルに発展しないよう、期間や内容についてより細かい確認や調整が必要になるでしょう。未成年の場合は、両親の同席がマストですね」(前出・まつもと氏)
契約期間以外にも多くの課題が残っている。
「デビューまでの練習期間を含めると、10代のアイドルは成人になるまでの大半を事務所の管理下で過ごします。契約は親の同席のもと結ばれますが、専門的で複雑な内容を十分に理解するのは難しい。デビュー後も、衣装・宿舎・宣伝などの経費が精算されてから収益が分配されるため、活動初期は十分な収入を得にくい構造が続いています」(韓国芸能プロダクション関係者)
契約上は解除の自由があっても、実際には違約金や“育成費”の精算が壁となっている。国家産業として発展したK-POP業界だが、当事者たちが健全に生育していくために業界の慣習が大きな壁となって立ちはだかっているのだ。
判決が下ってもADORとNewJeansの対立は収まる気配を見せない。ADORは「アーティストとの協議を通じて、ファンの皆様のもとへ戻ることができるよう最善を尽くす」とコメントしたが、直後にNewJeansは「ADORには戻れない」と明言し、即日控訴を表明した。
SNSでは「#FreeNewJeans」「#ADORisOver」などのハッシュタグが拡散し、ファンダム(熱心なファンコミュニティ)ではNewJeansを支援する動きが広がった。現代のK-POP業界では、司法の判断よりもファンダムの動きが企業の命運を左右する。NewJeansとADORの関係もファンダムの世論の上に成り立っている。
「正直、この先の展開は読めません。法律上はADORに問題がなくても、NewJeansがもとのさやに収まる気配はない。K-POP業界が成長していくにはファンダムの存在が欠かせない。法的にはおとがめなしでも、ファンダムが許さないとなれば、これ以上の対立は双方にとってマイナスです。ファンダムの反応を見ながら、ADORが落としどころを探る可能性もあると思います」(前出・まつもと氏)
もし「信頼」を理由に契約破棄を認めれば、業界の秩序が揺らぐ――。ソウル中央地裁はその一線を守ったに過ぎない。だが、法だけでは測れない領域にK-POPという文化はある。NewJeansがこの“7年契約の壁”を越えるのか。業界の未来を占う試金石となる。