13歳で妊娠→出産後は県外の中学校に転校…“リアル14才の母”YUKAさん(37)が明かす、壮絶だった学校と育児の両立生活「朝学校に行く前にミルクをあげて」

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〈〉から続く

 13歳で妊娠、14歳で娘を出産したのYUKAさん(37)。TikTokで「14歳で母になって20年後…」というコメントとともに投稿された動画は1000万回以上再生され、「リアル14才の母」と反響を呼んでいる。

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 37歳になったYUKAさんに妊娠がわかった経緯、出産までの道のり、育児と学校の両立などについて詳しく聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)

14歳のYUKAさんと娘さん (本人提供)

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出産後は京都から大阪に転校することに

――自然分娩での出産だったそうですが、初めての出産はどうでしたか。

YUKA 予定日の3日前の夜に陣痛が来て、翌日の夕方5時くらいに普通分娩で産みました。

 意外と冷静で、お茶を飲みながら横向きで無言で産んだんです。母が立ち会ってくれたんですけど、母より私のほうが落ち着いてた気がします。

――産まれた時の心境は?

YUKA 女の子ってわかっていたので、早く会いたくて仕方なくて「やっと会えた」って感じでしたね。母性が一気に湧き出たのを覚えています。

――その間、学校はどうしていたんですか。

YUKA 両親が先生に事情を話して、とりあえずお休みにしてもらっていました。生まれる前に親戚とも話し合って、妹や弟のこと、将来のことを考えて、私だけ県外に転校することにしたんです。

 出産後は赤ちゃんと一緒に叔母の住む大阪に引っ越しました。6月末に出産して、夏休み期間中に引っ越しと転校の手続きを済ませて、叔母の家の前にあるアパートを借りて暮らしました。叔母と同居する選択肢もありましたが、叔母にも家庭があったので、すぐそばのアパートで暮らすことにしたんです。

――実家の京都から離れることに不安は?

YUKA とにかく全部が急だったので、短期間で話し合って、両親が一番ベストな環境を選んでくれたと思います。

 私自身も美容師になりたいという夢があったので、学校の関係上、大阪のほうが都合がよかったんです。中学卒業後すぐに通える美容学校がありましたから。

大阪で叔母と二人三脚の育児

――大阪での生活はどうでしたか。

YUKA 赤ちゃんのお世話と勉強の両立が最初は本当に大変でした。朝学校に行く前にミルクをあげて、叔母とバトンタッチして、夕方5時半には帰ってきてお風呂に入れる、そんな毎日でした。

 学校では勉強モード、家では育児モード。気持ちを切り替えて過ごしてました。

 ご飯も叔母が作ってくれたりして、叔母と二人三脚で。まだ未熟だった私自身も育ててくれた感じです。

――新しい中学校では、事情を説明していたんですか。

YUKA 先生にはもちろん、クラスメイトにも話してました。どうせバレるだろうなと思って。

 ただ、教育委員会に問い合わせがあったり、事情を知った保護者の中には良く思わない人もいたみたいです。

保健体育の先生に髪を引っ張られたことも…

――14歳で初めての育児。特に何が一番大変でしたか。

YUKA とにかく知らないことが多くて大変でした。ミルクをあげたらゲップをさせるとか、首が据わらない時期の抱き方とか。勉強する時間もなくて、毎日少しずつ覚えていく感じでした。

 でも「若いから大変」というよりは、初めての母親がみんな通る悩みと同じでしたね。

――転校先では何か言われました?

YUKA 先生から白い目で見られることはありました。保健体育の女性の先生の授業で、出産シーンのビデオを観た時、なんともいえない空気を感じたのを覚えています。

 他にも、私のことを「生意気だ」と思っていた先生もいたようで、他の生徒より厳しく指導されることが多かったです。

――具体的にどんな指導が。

YUKA 転校してすぐの頃、体操服の準備が間に合わなくて見学を選んだら、体育倉庫に入れられて引きずり回されたり、髪を引っ張られて怪我もしました。

 さすがに異変を感じた叔母が学校に連絡して、先生が謝りに来ましたけど……今の時代なら大問題ですよね。

 逆に担任の先生はすごく良い方で、娘の様子を見に来てくれたり、抱っこしてくれたりして、本当に支えてもらいました。

 ただクラスでは、昨日まで仲良かった子が次の日には冷たかったり。石を投げられたり、ひどいことを言われることもありました。ヤンチャな学校だったので、友人関係には悩みましたが、「自分は親だし」って言い聞かせて、開き直ってました。

働ける時間も限られているのですぐにクビになることも

――同級生が放課後に遊んでいる姿を見て、羨ましく思うことは?

YUKA 叔母が月に数回、娘を見てくれていたので、その時に友達と遊びに行ったりしてストレスを発散してました。

 叔母の子どもたちもうちの娘と兄妹のように遊んでくれて、すごくいい環境だったと思います。

――中学卒業後は美容の専門学校へ?

YUKA はい。大阪の学校に進学しました。娘を保育園に預けて、バイトもしながら通っていました。

 17歳で美容師免許を取って大阪の美容室で働き始めたんですが、シングルマザーで働ける時間が限られていたので、すぐにクビになることも多かったです。

 最終的に実家の理容室を夜中に借りて、エクステやカラーを個人でやるようになって。そのあと両親に借金してエクステ専門店を開きました。

――10代でシングルマザーとして育てるのは相当大変だったのでは。

YUKA 出産前から最短で手に職をつけるために計画を立てていました。どんな学校に行くか、どこで働くか、いくらかかるか全部書き出して、なんとか自分で育てていけるようにちゃんと考えていました。

 親から「一生あなたにはハンデがあって生きていく。一人じゃないし、食べさせていかないとダメなんやで」「施設に預けるのもあるんだよ。どうする?」って言われたときには、「自分で育てます。最初は金銭的に頼るかもしれないけど、ちゃんと返します」と宣言しました。

 14歳で娘を産んでから17歳まで、ずっと誰かにサポートしてもらっている状況だったので、当時は金銭的にも自立したくて必死でした。

娘が小学生になると年齢は隠すようにして

――娘さんが成長するにつれて、周囲から年齢について何か言われることはありましたか。

YUKA 娘が小学生になってからは、私の年齢を隠すようにしてました。子どもが学校で嫌な思いをしないように、同級生の親にも言わなかったです。

 たぶん気づいていた人もいたと思いますけど、直接言われたことはなかったですね。

――14歳での出産に関して、YUKAさんよりもご両親への批判も多かったそうですね。

YUKA 「なんで親なのに気づかなかったの?」「一緒に住んでいたのに子どものこと見てなかったのか」と親戚や周囲からかなり言われたみたいです。

 両親もすごく反省していました。「子どもの悩みを聞ける関係を築けていなかった」と。働くのに必死で、話を聞く余裕がなかったんだと思います。

遊びに出かけたり、ショッピングに行ったり、友達みたいな感覚

――娘さんと年齢が近くて良かったことはありますか。

YUKA やっぱり感覚が近いから、ファッションとかドラマとか、流行りの話を共有できるのが楽しいです。

 今は私が37歳で娘が23歳。若くて元気なうちに一緒に飲みに行ったり、買い物したりできるのは嬉しいですね。お互いに「なんかその服やめとき」「今日のメイク変」とか言い合える、友達みたいな関係です。

――親子というより姉妹に見られそうですね。

YUKA よく「姉妹ですか?」って聞かれます。「親子なんです」と言うと毎回びっくりされますね。もう慣れっこです。

親子でメイド喫茶を経営

――今は専業主婦とのことですが、少し前には娘さんとメイドカフェを経営していましたよね。SNSでは「14歳差の親子がやってるお店」と話題になっていました。

YUKA 娘と高校卒業後の進路の話をした時に
、当時からバイトしていた「メイドカフェをやりたい」と言ったので、一緒に始めました。もともと親子で何かできたらいいなと思っていたので。

 最初、SNSでは「母と娘」とだけ発信していたんですが、娘が成人してからあの動画(「14歳で母になって20年後…」)を出して年齢を公表したところ、めちゃくちゃバズって。悪いコメントばかりかと覚悟していましたが、意外と嬉しいコメントも多く、本当に嬉しかったですね。

とにかく娘のことだけを考えてガムシャラに突っ走ってきた

――14歳でシングルマザーになってから、恋愛面で悩むことはありましたか。

YUKA ありましたね。恋愛してはいけないとは思っていなかったものの、やっぱり同世代とは恋愛に関する感覚が違いました。

 ただ、結婚を決めた今の夫以外は娘に会わせていません。結婚を考えていない人とは会わせないと決めていました。恋愛と娘は、きっちり分けていましたね。

――母としての自分と、女性としての自分を切り替えていたんですね。

YUKA 服装もメイクもキャラも切り替えていました。「若くして産んだからダメな親」って思われたくなかったので、娘の前ではシンプルな服を着てました。娘が成長してからは、好きなファッションを楽しんでいます。

――母親になって23年、振り返っていかがですか。

YUKA 人生の軸が完全に娘になった23年でした。それまでは「自分がどうしたいか」が中心でしたが、出産してからは「娘が幸せになるにはどうしたらいいか」が判断基準になり、とにかく娘のことだけを考えて突っ走ってきました。

 娘も23歳になり会社員として働き始めたので、これからは自分の人生も考えていけたらと思っています。まだ37歳ですが、親子で老後の話ばかりしています(笑)。

(「文春オンライン」編集部)