「胸は小さくなかったし、自信のあるパーツだったけど…」2度の“がん”で子宮と右乳房を失った美容系YouTuber(32)が語る、病気になって変化した“容姿への価値観”

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〈〉から続く

 ネイリスト・経営者で、チャンネル登録者数20万人超の美容系でもある橋本実花さん。橋本さんは26歳の時、妊娠中に子宮頸がんが見つかり、出産と同時に子宮を全摘出。さらに31歳でが見つかり、右の乳房を全摘出した。

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 5年のうちに出産と2度のがんを経験した橋本さんに、の発覚から闘病について、また、を通じて変化した仕事への向き合い方について、話を聞いた。(全3回の3回目/1回目から読む)

26歳で子宮頸がん、31歳でを経験した橋本実花さん

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「手術したことで胸筋が皆無になりまして…」右乳房全摘出後の苦労

――治療で右胸を摘出されて1年ほど経ったということですが、現在の体調はいかがですか。

橋本実花さん(以降、橋本) その時の気温や湿度が影響するんだと思うんですけど、たまに痛みが走るくらいで、今は元気に生活してます。

 それこそ、しばらくは右腕が上がらなくて、このまま一生上がらなくなるんじゃないかと心配になりましたが。

――乳房再建の際、大胸筋を一度剥がして人工乳房を入れたそうですね。

橋本 そうですね。手術したことで胸筋が皆無になりまして、今もグッと引き寄せるとか、持ち上げるとかが難しいです。

 なので、買い物に行っても重い荷物は持てないので、そういう不便はいまだにありますね。

――5年のうちに2回のがんを経験されたことで、ちょっとでも体に異変を感じると、「もしかしてこれ、がん?」と心配になりませんか。

橋本 めっちゃなります。つい先日も左胸にしこりができて、腫れて痛みまで出ちゃって、「ああ、もう終わった」と思って病院に駆け込んだら、乳腺炎だった、ということがありました。

「自分の健康は後回しで、仕事ばっかりしてました」がん発覚前の生活

――そもそも橋本さんが罹患した子宮頸がんとはまったく別のがんであって、転移ではないわけですよね。

橋本 そうなんですよ。だから、私の何かが良くないんだろうな、とは思っちゃいますね。

――もともと健康には自信がある方でしたか。

橋本 いや、自信はどっちかというとなくて。高校の時は、軽度ですけど、潰瘍性大腸炎にもなってますし、尿路結石ができて救急車で運ばれたこともありました。

 そんな感じで、体も強い方じゃないのに自分の健康は後回しで、仕事ばっかりしてました。

――がん保険には入っていたんですか。

橋本 入ってないし、もう入れないっていう。でも、いま入りたい、ではある(笑)。

「になったのは過去の行いのせい」SNSでがん公表→ひどすぎるコメントが寄せられて…

――ご自身のがんの体験をYouTubeで発表されています。公表しようと思ったきっかけは?

橋本 もともと、子どもが生まれたことは報告しようと思ってたんです。でもそうしたら、「2人目は?」という声があるだろうなと思って、それにちょっと自分が耐えられる自信もなかったので、先んじて公表しました。

――「2人目は?」って、人に聞くことじゃないですよね。

橋本 でもやっぱり、SNSだと普通に聞いてくる人が多いんですよね。

――を公表したことで、残念な反応もありましたか。

橋本 悲しいコメントはありますね。「私に比べたらあなたの病状なんて軽いもの」とか、「になったのは過去の行いのせい」とか。

 あと、「子宮も乳房も全部摘出する必要はなかった」とか、本当にいろいろあります。これを言ったら一番こたえそうだな、というところを探して言ってくるんですよね。

「赤ちゃんが生まれた報告を素直に喜べない自分がいた」

――ひどいです。

橋本 あと、嫌な言葉とは違うんですけど、赤ちゃんが生まれた報告を素直に喜べない自分はいましたね。

 もちろん「おめでとう」だし「かわいいなあ」なんですけど、何かこう、悲しみがふーっときちゃうんです。

 一方で、たとえば妊活がうまくいかないとか、自分と同じようにでもう子どもが望めないとか、そういういろんな人の話を聞いてあげられるようにはなったかな、と思います。

――前回、SNSがストレスになっていたというお話がありましたが、YouTubeの登録者数は現在20万人以上になっています。

橋本 今はSNSをメインにするのはやめようと思ってるんですけど、子宮頸がんの後はもう大病を乗り切った気持ちで、「これからは子どものためにも今までの2倍働かなきゃ!」ってモードになっていて。

 数字が私の評価になっていたので、やっぱりそこを伸ばさないといけないし、影響力を持たないと仕事が成り立たなかったんですよね。

 あと、美容系のチャンネルということもあって、怠惰な見た目は好かれないし、容姿をどんどん良くしていかなきゃとやってきていました。

「胸も小さい方ではなかったし、自信のあるパーツだったけど…」がんを経験して変化した容姿への価値観

――美容クリニックにも通われていたそうで。

橋本 はい。リフトアップしたり、ボトックス注射をしたり、いろいろやってました。

 でも、そんな最中にになって、右の乳房も乳頭も全部取らなくちゃという状況になったことで、「自分がやってきた美容って一体……」と思わざるを得なくて。

 たばこもお酒もやらず、わりと健康的な生活を送っている自分が、他の人よりもたくさんやってきたことって何だろうって考えたら、やっぱりネイルや美容なんですよね。

 それで改めて調べてみたら、ネイルのダストやアセトンという溶剤とか、有害なものを日々、浴びていたこともわかって、美容というものに一気に疲れたんです。

――美を突き詰めた結果、実は悪影響もあったのではないか、と考えてしまった時期もあったんですね。

橋本 もちろん、直接的に美容ががんの原因になったかどうかはわからないけど、色々言われてストレスを溜めて、子宮も胸も取ることになって、きれいでいるためにやってきた結果がこれかよ、みたいに思ってしまったんですよね。

 あと、胸も小さい方ではなかったし、自信のあるパーツだったんですけど、になったことで、「そもそも胸ありきで生きているって何なん」とも思えてきて(笑)。

「この稼ぎ方は今の自分には苦しい」がん経験後、バズるための発信をやめたワケ

――実用性でいうと、本当に必要になるのは授乳くらいで。

橋本 突き詰めるとそういうことで、なんというか、になったことで、自分がいかに“ガワ”だけで生きてきたかを思い知ったんです。

 ただ、それでもやっぱり自分を突き動かしてきたのは美容だったから、「これからは安全に楽しめるコスメを提供するのが自分の使命だ!」と入院中に強く思いまして、病室でもずっと仕事をしていました(笑)。

――どんな状況でも仕事はしたかった?

橋本 小さい会社なので、せざるを得なかった、というのが実際ですね。

 ただ、それまではみんなに伝えたいこともないけど、とにかくバズらせるために発信していた部分もあり、結局、何のためにもなってないよなと思って、そういう発信は全部やめてしまいました。

――事業が縮小していく不安はなかったですか。

橋本 数字を求められる仕事やSNSをバズらせることは間違いなくお金にはなっていたんですけど、この稼ぎ方は今の自分には苦しいな、と思ってやめちゃいました。

 それでも子どもは育てないといけないし、社員も食べさせなきゃいけないので、新しい道に進むしかないと、昔の自分とは違う働き方で頑張ってます。

「胸を見る度にため息が出る感じだった」それでもになった経験を“良かった”と思える理由

――から1年を経て、今の自分の胸をどんな風に感じますか。

橋本 最初こそ、乳頭がなくなった胸を見る度にため息が出るような感じだったんですけど、だんだん自分のマインドも変わって、ないものを追いかけるんじゃなくて、あるものを見ようという気持ちになったので、今は悲しいとか、そういう感情はないですね。

――がんをきっかけに価値観の変化がある中で、読む本も変わった?

橋本 というより、前はまったく本を読まなかったんですけど、読むようになりました(笑)。もっと勉強したい、中身を詰めたい、という方向にいきまして、今は「化学分析技能士」という国家資格と、「化粧品総括製造販売責任者」を4年以内にとることを目標に、勉強をはじめています。

 化粧品に含まれる成分の安全性を自分でチェックして、安心して楽しめるコスメを作る。その原点となったがんの経験と合わせて、いろんな人にシェアしていきたいなと思っています。

――今は、がんの経験をポジティブに受け止めている?

橋本 そうですね。2人目の子どもがほしかったので、子宮頸がんにはならないほうが良かったんですけど、に関しては、むしろなって良かったとすら思ってるかな。

 会社やインフルエンサーとしての在り方にも、「真っ当な道を選択する」という指針ができたので、失ったもの以上に得たものの方が大きいと感じています。そんな背中を、息子にも見せていきたいですね。

 になったことで自分の薄っぺらさに気づけたし、がんになってなかったらろくでもない人間になっていた気がします、本当に(笑)。

写真提供=橋本実花さん

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 以下のリンクから、子宮頸がんやが発覚した経緯や、闘病中の“壮絶なエピソード”をお読みいただけます。

(小泉 なつみ)