「同僚の体調を気にしてシフトを組んでいた…」日テレ・菅谷大介アナが急死、直近で会話した局関係者が語る仲間への優しい”気遣い”

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 の菅谷大介が11月8日、消化管からの出血で亡くなっていたことがわかった。53歳という若さだった。によると、菅谷アナは今月7日の夜に勤務を終えて帰宅後、不調を訴えて都内の病院に緊急搬送。その後に容態が急変し、翌日午後に死去した。

 菅谷アナは国際基督教大学大学院終了後、1997年にに入社。同期には馬場典子アナ(2014年退社)らがいた。バラエティーやスポーツ実況で活躍し、『news
every.サタデー』などの報道番組でキャスターを担当。菅谷さんの名実況が話題となったのは、日本がスピードスケートの女子団体パシュートで金メダルを獲得した2018年の平昌五輪だった。スポーツ紙記者が語る。

「菅谷さんは女子パシュート決勝の中継を務めました。オランダ相手に張りつめた緊張感の中、『2分50秒ほど先に広がるのは果してどんな景色なのか。高木美帆は”この団体パシュートで輝く景色を見たい”そう話しました。金が銀か、決戦のとき』と視聴者を引き込み、ゴールの際に放った『この瞬間は永遠だー!』は選手を称え、多くの人々に感動を与えました」

 視聴者に親しまれていた菅谷アナだったが、2022年8月にすい臓がんで闘病中であることを自身のSNSで公表。2021年11月に人間ドッグで異変を指摘され、2022年1月の再検査ですい臓がんと診断。同年4月に腹腔鏡手術を受けていた。術後は化学療法を受けながらアナウンス業務に復帰していた。数週間前に菅谷さんと会話したという同局関係者が打ち明ける。

「としての最後の仕事は11月2日の男子ゴルフ大会『フォーティネットプレーヤーズカップ』最終日の実況でした。菅谷さんはアナウンス部次長の管理職も務めていて、たちのシフトを管理していて、『この時期は箱根駅伝や高校サッカーの取材での予定は立て込んでいる』と同僚の体調を気遣いながらシフトを組んでいました。

 ただ、バラエティー番組で活躍していた頃とくらべると、病気を患ってからは少し痩せていた印象で、会食についても回数を少なくしていて、スタッフらとの会にも最近はほとんど参加していなかったと聞いています。体調を優先して会食も控えていたくらいだったのに、残念です」

 同局は「2022年にすい臓がんを公表して以降も、としても管理職としても前向きに取り組む姿を直前まで見ていただけに、あまりに突然の訃報に接し、社員一同、ただただ驚くとともに悲しみに包まれております。故人の功績に深く感謝し、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます」と、コメントを発表した。

「治療の経過や日常がつづられている菅谷さんのインスタグラムには、がんを公表した2022年8月から10月26日の最後の更新まで、多くの投稿に”すい臓がん””がんサバイバー”というハッシュタグが付けられています。

 菅谷さんは生前、『自分の経験をとして伝えていきたい』と周囲に語っていました。つい数日前まで元気で話していたのに、本当に信じられません」(同前)

 菅谷さんの名実況は永遠に語り継がれるにちがいない。