高市早苗首相への“女性からの厳しい指摘”に「女性の敵は女性なのか」の議論勃発 日本社会に色濃く残る男尊女卑の風潮が“女性同士の攻撃”に拍車をかける現実

高市早苗氏が首相に就任してから1か月が経過した(時事通信フォト)

高市早苗氏が首相に就任してから1か月が経過した(時事通信フォト)

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日本で女性初の内閣総理大臣が誕生して1か月が経つ。女性の参政権獲得から80年という節目の年についにガラスの天井が破られた一方で、同じ女性たちからの厳しく批判されている現実もある。仕事の出来不出来、思想信条の違いなどを理由にした理論的な攻撃ならまだわかる。だが、中には感情論による“口撃”もあり、ゲンナリしてしまう。“女性の敵は女性”なのかと──。このような状況が生まれる背景について考察する。【前後編の前編】

10月21日に日本初の女性総理に選ばれた高市早苗氏(64才)は、就任直後からASEAN首脳会議、日米首脳会談と次々と外交日程をこなし、休む間もなく臨時国会に挑んでいる。国会での答弁書を準備するために開いた「午前3時の勉強会」が話題を呼び、「睡眠時間もほとんど取れていないような状況」で激務を極めている。その姿には性別を超えてこれまでの首相にない力強さを感じるが、女性の政治家や学者からは批判の声が上がった。

社民党の福島みずほ党首は、高市氏が自民党総裁に決まった際に、

《自民党初の女性総裁と言われても選択的夫婦別姓に反対しジェンダー平等に背を向けてきた人なので嬉しくありません》

とSNSに投稿。また、米トランプ大統領の訪日時に、彼の隣で腕を突き上げて飛び跳ねるようなしぐさをしたことに対しては親密外交と評価される一方、「媚びている」という“指摘”も寄せられた。元衆議院議員で共産党員の池内さおり氏はXで《高市氏をみながら、『現地妻』という悲しい言葉を思い出す》と投稿し、批判が殺到。立憲民主党の蓮舫議員がXに綴った《肩に腕を回されなくても。笑顔を振り向かなくても。飛び跳ねなくても。腕を組まなくても。冷静な会談はできたのではないかな、と見えます。とても残念です。「演出」ではなく「信頼」で成り立つ政治を求めていきたいと思っています》という投稿は、「女性の敵は女性」ではないかと議論を呼んだ。

こうした高市氏への反応に対して、精神科医の片田珠美さんが言う。

「女性は表舞台で活躍するほど、女性の敵が増えるのだと実感しています。私自身もメディアに名前が出て有名になったことで、同じ女性から叩かれることが増えました」

立憲民主党の蓮舫議員(時事通信フォト)

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男尊女卑の風潮が攻撃に拍車をかける

いったい、なぜ女性が「女の敵」になるのか。片田さんが解説する。

「攻撃するのは、根底に羨望や嫉妬の感情が潜んでいるからです。羨望は他人の幸福をがまんできない怒りで、嫉妬は自分が手にするはずだった幸福を人に奪われることへの喪失不安。嫉妬の方が陰湿な感情です。

男性にも羨望や嫉妬の感情はありますが、女性同士の場合は日本社会に色濃く残る男尊女卑の風潮が拍車をかけます。例えば男性から指示されるのはいいが、女性が自分より上に立って指示することを許容できないという人は多い。私も医師として女性看護師に指示するときは苦労しました」

国会議員のように選ばれた世界であるほど、女性同士の軋轢は生じやすい。

「女性の国会議員は数が少なくて、いわゆる特権階級です。政界ではこれまでも“初の女性首相”と目された女性議員もいましたがなれなかった。手に入れようとするポジションや幸福度が高く、相手が身近にいるほど羨望や嫉妬が激しくなります」(片田さん・以下同)

攻撃の対象になりやすいのは才色兼備の女性だ。

「美人で学歴もあり、仕事も順調で家庭にも恵まれているという人ほど、対象になりやすい。

また、高市さんは当てはまりませんが、一般的に敵意を向けられやすいのは『無自覚型のナルシシスト』。自己愛が強く、自分の優れた点を悪気なく自慢して、マウントを取る人ほど敵意を向けられやすい。SNSにブランド品や高価なディナーを投稿するのも特徴のひとつです」

高市氏のように活躍する女性は「自分もこうなりたい」と憧れの対象になる一方で、「なりたくてもなれない」と羨望の対象にもなりうるという。

「高市さんは二世議員ではないし、裕福な家庭に育ったわけでもありません。彼女のように努力でのし上がった女性には、同じ女性から憧れの感情が生まれやすい。“サナ活”という言葉が生まれ、愛用品が注目されているのもそのためです。

一方で、称賛されている人を見ると、人間には羨望の感情が生まれて怒りを抱きやすくなる。そうなるととにかく批判して揚げ足をとる『女の敵』が増えます」

芸能人やモデル、その家族など持って生まれた環境に圧倒的な差があれば話は別だが、“近しい存在”であればあるほど羨望や嫉妬は生まれやすい。

正当な批判であれば対峙すべきとも思えるが、侮蔑や揶揄は単なる“悪口”でしかない。そして、まだまだ完全な男女平等とはいえない現代社会で手をたずさえていくべき女性が“敵”になることは多々あるのだ。

後編記事【「自分よりかわいくならないように“真逆のアドバイス”をするアイドル」「ワーママを攻撃する先輩ワーママ」…女性たちが直面する”女性の敵は女性”という過酷な現実】では、具体的なエピソードを通して“女性の敵は女性”という現実に迫る。

※女性セブン2025年12月4日号