「医師からもう長くないと」犬に噛まれて30針を縫うケガだけでは終わらなかった…女優・小島可奈子(50)を襲った『もう1つの試練』

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〈〉から続く

 今年5月、女優・さん(50)は知人宅の犬に顔を噛まれ、口と鼻に30針も縫う大ケガを負った。当初、血まみれで呆然としたが、医師による適切な治療と、インナーケアでわずか1ヶ月で回復。しかし、彼女のを揺るがす試練は、犬に噛まれる事件だけでは終わらなかった――。インタビュー中編をお届けする。(全3回の2回目/続きを読む)

【変わりすぎ…】犬に噛まれて「くちびるが3倍」に膨れ上がった『50歳女優の衝撃写真』

犬に噛まれて2日目の小島さん。しかし彼女を襲った「試練」はこれだけじゃなかった……(写真:本人提供)

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顔を噛まれて1ヶ月、驚きの回復力

――現在の傷の経過は、いかがですか?

(以下、小島) よく見ると部分的に赤みがありますが、傷は順調に治ってきています。人中(鼻の下)の隣なので、あまり目立たないように思います。貫通していた口角の傷は、完全に塞がりました。内側の粘膜の方から縫ってくださったので、見た目も動きも全く問題ありません。

――傷跡が残ると宣告されていたそうですが、なぜここまで回復したのでしょうか。

小島 現在福岡で診てくださっている先生が、「東京の先生が、非常に上手に縫合してくれたのが良かった」と仰っていました。いい病院を探してくれた知人にも、本当に感謝しています。

 最初の半年間くらいは自己治癒を待つしかないので、紫外線対策や、保湿剤を塗って乾燥を防いだり、傷跡を保護する医療用テープを貼ったりする基本的なケアをしていました。

 年齢を重ねると傷の治りが遅いといわれますが、普段からインナーケアを意識しているのがよかったのかもしれません。美容ドリンクの会社を経営しているので、自分でも毎日飲んでいるんです。

 今後も美容医療など、できるだけ傷跡が目立たなくなる治療方法を探したいと思います。

ビーフジャーキーの匂いが苦手になった

――精神的な後遺症はありますか?

小島 怖い経験ではあったけれど、元々犬好きなので全く問題ないだろうと思っていました。でも、ワンちゃんを散歩させている方とすれ違う時に、「ご機嫌は悪くないかな」と様子をうかがっている自分に気づいて、多少は影響があるのかもしれません。

 あとは、ビーフジャーキーの匂いが苦手になりました。恐らく、顔を噛まれた時にワンちゃんのご飯の匂いがしたのだと思います。先日、口にしようとすると当時の情景が思い起こされるようで、食べるのをやめてしまいました。

――飼い主の方とは、その後どんなやり取りがあったのでしょうか。

小島 治療費は、知人が加入していた保険で補償していただくことになりました。また、私の任意保険の「弁護士特約」が、自動車事故以外にも適用されることが分かり、弁護士を通じて保険会社とやり取りができるようになりました。

 今回の件で、知人はある意味では私よりもつらい思いをしています。直接話さずに済むことになり、心の負担を少しは軽減することができました。

――顔に傷を負うのは相当なショックだと思われますが、当初から前向きに振る舞う姿が印象的でした。

小島 グラビアアイドルだった若い頃は、「生きているのがつらい」と思い悩むことが多かったのですが、今は随分変わったと思います。

 30代で福岡に移住してから、心理カウンセラーの資格を取得した過程で、内面の弱さに向き合い自己分析することで、少しずつ生きづらさが解消されていきました。

 また、8年ほど前から両親や身内の介護をしてきたので、精神的に鍛えられたのだと思います。

母、父、叔父の壮絶な介護体験

――どんな苦労があったのでしょうか。

小島 2017年に会社を設立した翌年、母の末期がんのため余命宣告を受けたんです。「これからは母に子育てを手伝ってもらいながら、経営を頑張るぞ」と考えていた矢先でした。

 そのことに父が酷く落ち込んでしまい、1ヶ月後に倒れました。私も病院に駆けつけたのですが、末期がんを患った母が寒い廊下で父のことを長時間待っていた姿が忘れられません。それでも文句一つ言わない、優しい母でした。父は無事でしたが、程なくして母は亡くなりました。

 さらにその後、父の弟である叔父が脳梗塞で倒れ、要介護状態になりました。両親と叔父は3人で暮らしていたのですが、その頃には父も慢性心不全のため心臓にペースメーカーを入れており、叔父と暮らすのは難しくなってしまいました。

 私も仕事やADHDの娘の子育てで手一杯で、どうすればいいのかと悩ましかったです。

――2人の介護にどう対処したのですか?

医師から「もう長くは持たない」と…

小島 叔父には申し訳なかったのですが、介護施設に入居してもらうことになりました。父は一人暮らしをして、週3回ほどヘルパーさんに来ていただきました。

 父は心臓や肺に水が溜まりやすく、呼吸困難になって何度も救急車のお世話になり、「今夜が峠です」と何度も言われた気がします。

 また、父は競艇などのギャンブルが好きで、年金が入るとすぐ使い果たすので困りました。昔は母がやり繰りしてくれていたのですが、私が管理すると言うと「嫌だ、自分でできる」と拒否されてしまって。結局好きに使ってしまい、「電気代が払えない」ということが度々でした。そういう時は心を鬼にして、「一旦立て替えるけど、年金が入ったら返してね」と厳しく言うようにしていました。父は貯蓄もなかったので医療費も大変でしたね。

 私が顔を噛まれた時、父は入院しており、医師からもう長くは持たないと言われていました。

〈「外食は控えるように言われていたんです。でも…」お寿司を食べさせた2週間後に天国へ…女優・(50)が「父との別れ」を後悔なく迎えられた理由〉へ続く

(都田 ミツコ)