
ツキノワグマは「人間を恐がる」と言われてきたが……(写真提供/イメージマート)
ゴミ捨てに行ったらクマに襲われた、幼稚園バスの前にクマの親子があらわれた、など日常生活のそばにクマの脅威がせまっていると連日、報じられている。かつて、クマは臆病なので人を見ると逃げ出す、と言われたが、近ごろ報じられているニュースからは、どうも違った様子が見えてくる。人々の生活と社会の変化を記録する作家の日野百草氏が、23日には盛岡市役所裏という市の中心部でクマが目撃されて騒然とした、岩手県でのクマ対策事情について住民の声をレポートする。
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名レフェリー、タイガー笹崎がクマに襲われて死んだ。
あるいは、タイガー勝巳でもあった。敬意を込めて、本稿あえて敬称は略す。笹崎レフェリーでいいだろう。本名は笹崎勝巳と言った。近年では栃木プロレスでお会いした方も、あったかもしれない。
笹崎レフェリーには筆者も多くのプロレス団体、とくに全日本女子プロレスのレフェリーとしての記憶がある。ずいぶん昔、少しだけ取材でお会いしたこともある。ガッチリした体格ながら柔らかい話し方で、暴れん坊ばかりのレスラーをさばくにふさわしい、穏やかな人という印象だった。
逃げねえんだ。人馴れしてるのかどうか
笹崎レフェリーは移住先の岩手県北上市で露天風呂の清掃中、クマに襲われたとみられる。
10月17日、北上市和賀町の夏油川に近い雑木林で彼の遺体が見つかった。
笹崎レフェリーを襲ったとみられる体長1.5mのツキノワグマはその場で駆除された。北上市では2025年3人目の死者となった。
クマに殺される――いまや、それは身近なものとなった。決して昔語りでない、令和の熊害(ゆうがい)だ。
熊害の多発をうけて10月22日、木原稔官房長官は2025年のクマによる被害者数は108人(9月末時点)と発表して注意を呼びかけた。環境省もまた10月22日時点の死者数を9人とした。

クマ被害で亡くなった笹崎勝巳さん(左/バトル・ニュース提供)
クマによる人への被害を熊害と呼ぶ。三毛別ヒグマ事件、石狩沼田幌新事件、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件などはとくに知られる熊害だろう。いずれも20世紀の話かつ北海道のヒグマによるものだが、近年は本州および四国の山間部に生息するおなじみのクマ、ツキノワグマの被害が多発している。
ツキノワグマが各地で人間を襲い、ときに殺す。臆病で、大人しくブナやらドングリ、ふきのとうやらを食べることが大半のツキノワグマとされるが、死者4人を出した2016年の十和利山熊襲撃事件など、後述するがその殺傷能力は侮れない。
筆者は妹が岩手県南西部の山間に嫁いでいる。ツキノワグマの生息域だ。笹崎レフェリーが襲われた北上市も近い。
聞けばこの地域の子どもたちは対人の防犯ブザーというより熊よけブザー、熊よけの鈴を持つとのことで、まあ彼女の嫁ぎ先は山の中なのでそれも当然かもしれないが、実のところ山の中がどうだ、登山がどうだは関係なくなりつつある。岩手県など東北地方だけの話でなく、関東地方でも群馬県沼田市のような住宅街はもちろん、東京都の八王子市や青梅市でもツキノワグマの目撃情報がある。
ツキノワグマも人間を狩ることにかけてはヒグマに負けてはいない。時速40km以上で走り、雑食性で何でも食べる。もちろん、人も。
岩手県で農業を営む男性(80代)は自身の経験からこう語る。
「ツキノワ(グマ)は臆病でよっぽどのことがなければ人を襲ったり、ましてや人を食ったりはめったに無かった。畑を荒らしたり、いたずらしたりはあったが俺のことを見ればすぐ逃げた。タヌキとかシカと変わんねえ」
しかし近年は違うと語る。「おかしいんだ」とも。
「あいつら、逃げねえんだ。人馴れしてるのかどうか。町(役場)には報告したが、こっちを食いたそうにみてたな、冗談じゃねえ、獲物って目で見んだ。こりゃやばいと距離のあるうちにその場を離れた。あれが特別なツキノワかどうかは知らんが、そういうおかしいのが出始めているんじゃないか」
彼の印象でしかないが実際、これまでの熊害とは数がまったく違う状態にある。毎日のようにツキノワグマに襲われた人々のニュースが報じられる。

岩手県ではクマ出没情報を公開し人身被害に遭わないよう注意をよびかけている(岩手県HPより)
これまで北海道のヒグマの恐怖は語られても、ツキノワグマはそれほどでなかったように思う。当初は話題性があるから大げさに報じているのだろうとネット界隈でも語られていたが、いまや「クマやばい」「ツキノワやばい」が本気で語られ始めている。
「あいつら(クマ)は秋になると冬ごもりの準備のために降りて来る。人間のいるところにも餌はあるからな」
これまでツキノワグマが人里に現れるのは冬ごもりのために畑の作物を拝借したり、ゴミを漁ったり、あとはうっかり住宅街に入ってしまったとかのレベルだった。
実際、これまでそうしたニュースを目にしたことは多いと思う。山の中の餌が不足しているとか、開発で行動範囲が狭められたとか、長くツキノワグマの保護と共に報じられてきた。
しかし男性によれば「それとは違う」と首を振る。
「いよいよ人間の味を憶えたんじゃないか。ツキノワそのものが人間を食べるほうが美味しいし手っ取り早いと憶えた、じゃなきゃこんなに人間を狙って襲うなんて俺には考えられねえ」
重ねるがあくまで彼の意見、しかしそういう説をとなえる専門家は複数ある。決して煽りでなく「人食いグマ」に警鐘を鳴らす研究者も。
「ツキノワは利口だ。人間が弱くて美味しいと知った親から子へ伝わるんじゃねえかな。その繰り返しでとんでもねえツキノワになった、そういうのがいっぱい出てくるようになった。しょせんクマに比べりゃ人間は弱いからな。餌が足りないとかより人間の肉のが美味しいってね。(ツキノワグマは)賢いから、自分にとって良いこともしつこく憶えてるんだ」

クマによる被害が相次いだことを受けて警察庁が初めて開いた研修会で対応を指示する同庁の阿波拓洋生活安全企画課長。2025年10月16日午後、東京都内(時事通信フォト)
駆除したら役所の電話がパンクするほど抗議の電話が来る
明らかに結果として、熊害の数が尋常でなく増え続けている。10月17日には福島県が「異常状態」と発表した。
10月3日 宮城県栗原市でクマに襲われたとみられる女性の遺体を発見、一緒にいたとみられる別の女性も行方不明(10月24日現在)。
10月8日 岩手県北上市でクマに襲われたとみられる男性の遺体を山林で発見。
10月15日 岩手県西磐井郡平泉町で列車がクマと衝突、一時運転見合わせ。
10月16日 福島県喜多方市山都町で男性がクマに襲われ顔面血まみれで重症。
10月18日 群馬県利根郡みなかみ町で犬の散歩中の女性がクマに襲われ頭部から顔面を負傷。
10月20日 秋田県湯沢市の住宅街でクマが暴れ男女4人が重軽傷。
10月20日 岩手県盛岡市本宮の原敬記念館でクマが立てこもり、捕獲。
10月22日 福島県大沼郡会津美里町で男女2人がクマに襲われ首や顔を負傷。
10月24日 秋田県雄勝郡東成瀬村で男女4人がクマに襲われ重軽傷、のち1人死亡。
すべてを書き出すわけにはいかないが、今月の熊害をちょっと調べるだけでもこれだけ出てくる。2025年度の被害者数は全国で108人、死者9人。
本州なのですべてツキノワグマとされるが、自治体だけでなく政府が警戒を呼びかけるほどの事態となってしまった。
それでも、現状の手立ては限られる。同じく岩手県、自治体関係者の男性がこう語る。
「クマの保護の問題もあるし、地域差はありますが猟友会の方々と言ってもすぐに対応できるわけもない。駆除したら役所の電話がパンクするほど愛護の方々からそれこそ、全国から抗議の電話が来る。これが現実です」
実際、7月に北海道松前郡福島町で新聞配達員の男性がヒグマに襲われて殺された事件は、ヒグマを駆除したところ数百件の抗議電話が寄せられた。

クマ捕獲にも使われる箱罠。クマを殺傷しない方法だが、人的被害を及ぼさない無害なクマも捕獲してしまう問題があると言われている(写真提供/イメージマート)
「凄いですよ。『人間なんか死んでも構わない』『クマに食べてもらってありがたく思え』って本当に来ます。それは極端な極少数ですけど『クマがかわいそう』『クマは悪くない』は多いですね。いろいろな人がいることは承知ですし言論は自由ですが、自治体として積極的に駆除という方向にはなりづらい」
これがすべてではないし特殊な例と言いたいところだが、現実にはクマ一頭の駆除で数百件の電話が殺到する。さすがにこれは極端過ぎるし、それこそ2024年12月、クマの駆除に対する抗議電話に怒った佐竹敬久前秋田県知事ではないが「お前(クマの駆除に反対する電話の主)のところに今(クマを)送るから住所を言え」「そんなにね、(クマが)心配だったらお宅に送ります」「こういう方は話してもわからない」「そういうくらい言わないと本当にひどい」と言われても仕方のない状況だ。
「あのときと違い、自治体の判断で住宅街でも撃てるようになりましたが、現実は難しいですね」
これは改正鳥獣保護管理法で「緊急銃猟」と呼ばれ、9月1日から可能になっているが、熊害は増えるばかりなのに活用されているとは言い難い。
「何かあったらと思うと自治体も猟友会の方々も及び腰ですね。それこそ人にでも(弾が)当たったらと思うとね、クマを撃ったら撃ったでさっき言った通り、全国からの苦情に襲われますから」
大事なのはクマか人間か
この「緊急銃猟」については冒頭の男性も悲観的だ。彼も80代だが狩猟免許(第一種)は持っている大ベテランである。
「年齢や(銃の)腕がどうこうでなくいまクマを撃てるかはわからんね。さすがに猟友会は引退させてもらったが、ツキノワ倒して1頭数千円ではね、金額の問題じゃないと言われても、こっちだって命があるし、誰がやるかという意見ももっともだ」
岩手県では一頭あたり8,000円、北海道空知郡浦河町では一頭あたり1万円など各自治体によって金額が異なるが、いずれもクマを相手にするには驚くほど安い。北海道など相手はヒグマでこれである。2024年には北海道空知郡奈井江町(一頭あたり8,500円)に対して、危険なのに「安すぎる」として地元猟友会が出動を断る事態となった。

冬眠をしないクマの出現が恐れられている(イメージ)
全国に広がる熊害、クマの天敵でもあったニホンオオカミの絶滅から100年以上、日本の生態系の王として君臨するクマが一部専門家の指摘の通り、人を恐れるどころか人を簡単に食べられる肉と認識し始めたというのか。環境保護、動物保護と人間の保護、これから冬到来を前にますますクマは活発に餌を求め続ける。
80代男性はこうも懸念する。
「冬は冬で『穴持たず』と呼ばれる巣ごもりしない、できなかったおかしなクマがいる。そういうのは腹減ってるし頭が変になってるのか知らないが、本当に怖いんだ。大事なのはクマか人間か、俺からすればそんな選択はおかしいと思うよ」
胎児を含め7人を殺した三毛別のヒグマは「穴持たず」だった。ヒグマの恐怖はもちろん、ツキノワグマでも10月8日に発見された北上市の男性は頭と胴体が別々に転がっていた。
2メートルを超えるヒグマに比べれば小型のツキノワグマであっても、とくにオスのパンチ力と鋭い爪、噛む力は人間など相手にもならない。臭覚も鋭く執着心も強く、そして賢い。学習能力が高く、人は強くて怖いと覚えることもあれば、人は弱くて美味しいと覚えることもできるとされる。
連日報道される熊害、各社いずれも決して大げさに伝えているのでなく事実であり、多くの被害者を出している。私たち人間が食べられる側であることを思うと、「大事なのはクマか人間か」という、人生の大ベテランの言葉は重い。
人間を襲い続けるクマ、山に入らなければいいという話でもなくなってしまったいま、共生の模索を続けるのは当然として、ひとまず高市早苗新首相による政府として一歩踏み込んだ、さらなる「人間保護」のための熊害対策に打って出るしかないように思う。
●日野百草(ひの・ひゃくそう)/出版社勤務を経て、内外の社会問題や社会倫理、近現代史や現代文化のルポルタージュを手掛ける。日本ペンクラブ広報委員会委員。