
自動音声が“地獄への入り口”
「2時間後にあなたの電話が止まります。ダイヤル『1』を押してください」
ある高齢女性の自宅にかかってきたのは、NTTを名乗る自動音声の電話だった。この一本の電話がきっかけとなり、特殊詐欺はついに、誰もが知る昭和の未解決事件「3億円事件」を超える被害額の領域へと足を踏み入れることになった。
昨年10月、仙台市在住の70代女性が、約3億6000万円もの大金を騙(だま)し取られたことが発覚した。
「あなた名義の携帯電話が犯罪に使われている。関与を調査するため全財産を警察と金融庁で預かる」
警視庁捜査2課を名乗る男の言葉を信じ込んだ女性は、指示されるがままに金塊約18.6kg(時価3億4800万円相当)を駅のコインロッカーに置き、現金約1040万円を指定口座に振り込んでしまったのである。この事件は、今まさに日本全土で猛威を振るう「ニセ警官詐欺」の氷山の一角に過ぎない。
警察庁の最新データによれば、今年9月末までの特殊詐欺全体の被害額は965億3000万円。そのうち、ニセ警官詐欺の被害額は実に661億2000万円と、全体の約7割を占める異常事態となっている。
なぜ、これほどまでに多くの人々が、いとも簡単に「ニセ警官」に騙されてしまうのか。その背後には、日本人の気質を知り尽くし、海外から巧妙な罠を仕掛ける国際「トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)」の実像が浮かび上がってきた。
「こちらカスタマーセンターです。お客様がご利用中の携帯電話が2時間後にすべて停止します。ご不明な点は1番を押してください」
警察庁が公開した実際の詐欺電話の音声は、こんな無機質な自動音声から始まる。不安に駆られた被害者が「1」を押すと、誠実そうな声のカスタマーセンター職員が登場し、こう言うのである。
「お客様名義で不正契約された携帯から迷惑メールが大量発信され、犯罪性があるため利用停止になります。事件が起きた福岡県警本部に緊急通報としておつなぎできますが、どうされますか?」
突然「犯罪」という言葉を突きつけられ、冷静な判断ができる人間は少ない。被害者が了承すると、電話はニセの警察官へと転送される。
「はい、こちら福岡県警本部。事件ですか事故ですか?」
少し早口でテキパキとした口調の“警官然”としたニセ警官の登場だ。
「肩書に弱い日本人」という弱点
「照会をかけた結果、松島店というところで契約されているのが確認できました。被害届を発行するには事情聴取してからの発行になりますから、本日福岡県警本部に2時間以内にご来署していただく必要があるのですが……」
通信会社、警察と役割分担された、まさに“劇場型”の犯行だ。このような感じで犯人グループは、警察官になりすましてLINEなどに誘導。偽の警察手帳や時には逮捕状をビデオ通話で見せつけ、被害者を完全に信じ込ませる。
冷静に考えれば矛盾だらけのニセ警官の手口。なぜ、信じ込んでしまうのか。『闇バイトの歴史 「名前のない犯罪」 の系譜』の著者で、犯罪組織の内情に詳しいノンフィクションライター・藤原良氏は、その背景に日本人特有の気質があると指摘する。
「外国人犯罪グループの誰もが口をそろえて『日本人は肩書に弱い』と言いますね。かつて日本で水道局員を名乗る詐欺が横行したように、日本人は昔から制服や公的な肩書を持つ相手を信用してしまう。しかし、この感覚は彼らの常識とはまったく異なります。中国など彼らの出身地では警官自体に信頼がありません。
ですから、そもそも彼らは警官を騙(かた)る手が日本で通用するとは思っていなかったので“オレオレ詐欺”がどんどん広がっても、ニセ警官詐欺は本格的な手口として広まることはなかった。ところが彼らは気づいてしまったのです。日本の特殊事情、つまり公権力への信頼度の高さが詐欺の格好の要素だということに」
例えば、中国では「警察官」に対する認識がまったく異なると藤原氏は続ける。
「中国では、公安警察は国民からまったく信用されていません。彼らは共産党の支配の道具であり、一般市民に対して無実の罪を着せ、金品を要求するということが普通にあります。例えば『反政府的なビラを撒いただろう』といったイチャモンをつけて連行し、財産を没収したりする。国民からすれば、いつ理不尽な言いがかりをつけられるかわからない、犯罪者とたいして変わらない存在です。つまり警官への見方がそもそも全然違うんです」
日本では「警察官」は絶対的な信用の対象で、「警察官」というだけで多くの人が疑いもせずに信じてしまう。この文化的なギャップが、今まさに狙われているのである。
なぜ「+」から始まる国際電話を使うのか?
ニセ警官詐欺の多くは、「+44」などの国番号が表示される国際電話からかかってくる。常識で考えれば、日本の警察署が海外から電話をかけてくるはずがない。しかし、犯人グループは、この“不自然さ”すら計算ずくで利用していると、藤原氏は言う。
「あれは、詐欺師側の『篩(ふるい)』なんです。最初から怪しいと気づくような賢い人間は、相手にするだけ時間の無駄。堂々と怪しい電話をかけることで、それに気づかない人間だけを効率的に選別しているんです。最終的に、ATMで大金を振り込ませるような常識外れのことをやらせるわけですから、最初から騙しやすいカモだけを狙っている。非常に合理的な手口です」
さらに恐ろしいのは、彼らが使う「マニュアル」の存在だ。それは、相手を説得する「応酬話法」ではない。ターゲットの思考を停止させ、心理的に支配するための「洗脳マニュアル」なのだという。
「彼らのマニュアルは、相手に『はい』と『わかりました』といった肯定する言葉しか言わせないように構成されています。例えば、ニセ警官が『あなたの口座が犯罪に使われています。このままだとあなたも容疑者になります』と告げます。この言葉で被害者は『自分は事件に巻き込まれた』という強烈な恐怖心を覚え冷静な思考を失います。驚いた被害者が『どうすればいいんですか』と尋ねると、『容疑を晴らすには、口座を調査する必要があります。よろしいですね?』と畳みかけ、『はい』と答えさせる。
このように、相手が『はい』としか答えようのない状況を立て続けに作り出すのです。人間は『はい』といった肯定する言葉を5回以上繰り返すと、自己暗示にかかり、正常な判断ができなくなる心理がある。この心理状態を彼らは『巻く』と呼んでいます。相手を洗脳状態にして、言いなりにさせるのです」
理屈で納得させる必要はない。ただ、相手を思考停止に追い込み、操り人形にする。もし途中で被害者が我に返りそうになっても、「振り込みはまだですか?」ともう一度電話をかけるだけ。一度でも「巻かれた」人間は、再び洗脳状態に戻ってしまうという。
こうした詐欺の拠点はカンボジアが有名だが、実際には韓国、中国の朝鮮族自治州、タイ、マレーシアなど、アジア各地に点在する。200年以上の歴史を持つといわれる中国マフィアが築き上げてきた、アジア全域に広がる巨大な犯罪ネットワークを利用してこれらの拠点は作られているのだという。
「彼らにとって、ニセ警官詐欺は数ある犯罪ビジネスの一部、ワンオブゼムに過ぎません。もともと彼らは人身売買や薬物の密輸、売春組織の運営など、さまざまな非合法ビジネスを手がけてきました。そのための拠点やルート、つまり“縄張り”がアジア中に張り巡らされている。
ニセ警官詐欺の拠点は、その既存のインフラを利用して行われているのですが、彼らの価値観で言えば特殊詐欺は“犯罪の格”としては下です。だから騙して連れてきたその辺の“兄ちゃん”でもできるのです」(藤原氏)
警察の権威と信用を逆手に取るニセ警官詐欺。もはや単なる詐欺ではなく、日本社会の信頼構造そのものを蝕む組織犯罪と化しているのだ。かつて日本中を震撼させた「3億円事件」は、ニセ警官詐欺が横行するいま“日常”的な事件になりつつあるのだ。