《本人直撃》「AIみたいな美少女」「実在しないと思った」と言われることも…“美しすぎる謎のアイドル”てのひらえる(26)とは何者か?

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 てのひらえる、26歳。アイドル、モデル、シンガー、アパレルブランドプロデューサー、など様々な肩書をもつ彼女。のフォロワーは17万人を超え、多くの若者に支持されている。

 SNS上で「AIみたいな美少女」と言われることもあるそうだが、彼女は実在するアイドル、しかも10年というキャリアを誇る。そんなてのひらえるがどのような経緯でアイドルになり、どんな思いで活動してきたのか、話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)

てのひらえるさん ©杉山秀樹/文藝春秋

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「AIみたいな美少女」「ほんとに実在したんだ!」と話題に

――ファンなどから「AIみたいな美少女」と言われることがあるそうですね。

てのひらえる(以下、える) 原宿なんかを歩いているとき、「ほんとにえるさん実在したんだ!」って声をかけられることがよくあります(笑)。SNSで私のことを知ってくれている人たちからは「AIだ」って思われているみたいです。

――SNSでは、特にがバズっていますよね。

える SNSの使い方は今もずっと考え続けてます。どうやったら“いいね”が伸びるのかとか、見つけてもらえるのかとか。を始めてから、それが結構トントン拍子にいってバズるようになりました。

 があったからコロナ禍でもアイドルとして生き抜いてこれたかなと思うんです。ちょうどコロナ禍でSNSに力を入れ始めたので。

「本気でプロのダンサーになろうと頑張っていた」のにアイドルを目指した“きっかけ”

――子どもの頃から人前に出るのが好きだったのですか?

える いや、子どもの頃はちょっと人見知りな部分もあったりして、1人遊びが好きでしたね。でも、歌ったり踊ったりするのは好きだったので、そこだけは譲れないなっていう気持ちもありました。

 小学生の時にクラスでダンスが流行って、そこから本格的にダンススクールに通うようになったんです。もうどんどんのめり込んで、ダンスコンテストにも出たりして。本気でプロのダンサーになろうと頑張っていましたね。

――そこからダンサーではなくアイドルになったきっかけは?

える 中学校を卒業してすぐ、高校生になる前の時期に、「一度、アイドルのライブを観に来てみないか」って“ぱぱさん”(所属事務所の社長の愛称)に誘われて、ライブハウスに観に行ったんです。そしたら、私の知らない世界が広がっていて、凄く楽しそうだなと思って。そこからアイドル活動を始めました。

「ロックアイドルかっこいい!」初めて観たアイドルのライブで受けた衝撃とは?

――その時はどんなアイドルのライブを観たのですか。

える テレビで見ていたアイドルはキラキラ系のイメージだったのですが、そのライブで観たのはロック系のアイドルで。アイドルとロックが融合するというのをそこで初めて知って衝撃的でした。父親の影響でロックが好きだったので、「ロックアイドルかっこいい! 自分もなりたい!」と思ったんです。

――もともとロックが好きだったんですね。

える 小さい頃からずっと車でブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)が流れてましたね。だから自然とロックが好きになっていきました。

「てのひらえる」という名前の由来は…

――2015年、15歳の時に2人組のアイドルグループとして活動を始めます。

える 私の地元は神戸なんですが、大阪を拠点に活動していました。始めた頃はとにかく「ステージで歌って踊るのが楽しい!」って気持ちだけでライブをしていましたね。でも当時は技術的にはほんとにダメダメで。一生懸命ではあったけど、今思うと恥ずかしいです。

――その頃は「える」というお名前で活動していたんですよね。

える そうですね。最初のグループが活動休止した後、ソロアイドルでやろうと決めた時に「てのひらえる」になりました。

――「てのひらえる」という名前の由来は?

える 当時、アイドル活動以外に洋服のモデルのお仕事もしていて。モデルのときは、小柄なのを売りにした「てのひらちゃん」っていう名前で活動しようと考えていたんです。「手のひら」のちっちゃいイメージで。

 でもモデル活動が本格的に始まる前に、アイドルグループが活動休止になってしまったので、いっそのことモデル名の「てのひらちゃん」とアイドル名の「える」をくっつけて、「てのひらえる」という名前で活動しようと決めました。

「メンバー間で熱量に差が出てきたりして…」グループではなくソロアイドルとして活動し始めたワケ

――グループではなくソロアイドルになったのはなぜですか?

える グループの時にメンバーが変わったり、メンバー間でアイドル活動への熱量に差が出てきたりして、いろいろと難しかったんです。

 あと、グループの活動休止後も早くアイドル活動を再開したかったので、一度ひとりでステージ立ってみたら凄く楽しくて。それで、私はソロが向いているなと思いました。

――その独特のメイクもソロになってからですよね。

える そうです。ソロになってから、自分を表現するのに見た目のインパクトが欲しくて。でも、当時から黒髪ショートでずっと活動している中で、「誰々ちゃんに似てるね」って言われることがすごい多かったんです。その当時、黒髪ショートのアイドルが多かったのもあると思いますけど。

 表現者として活動している以上、「誰々に似ている」と言われるより、“私自身”を見てほしいという欲が凄くあって。だからまずは見た目で自分らしさを表現しようと思い、今のメイクを始めました。

2016年に「ミスID2017根本宗子賞」を受賞→東京でアイドル活動を開始

――大阪でのソロ活動を経て、2018年に上京することになります。

える 2016年に「ミスiD2017根本宗子賞」を受賞したんです。そこから本当にいろんな方が声をかけてくれるようになって、東京での活動が増えていきました。

 東京へ行くたびに、得るものが凄く大きくて。次第に東京で挑戦してみたいという気持ちが強くなったので、両親とも相談して上京を決めました。

――上京してソロ活動を始めてみて、どうでしたか。

える 肌に合ってるなと思いましたね。私は100%の気持ちでアイドル活動をしていて、常に刺激を求めてるんですけど、東京にいるとライブハウスでも、モデルのお仕事でも、いろんな人と会う機会が多くて。すごく刺激を受けるから、楽しいと思うことのほうが多かったです。

「ずっと幸せな状態だった」全然売れなくてもアイドルを辞めなかった理由

――アイドルではなくモデルに専念しようという気持ちはなかったですか。

える なかったですね。今もそうですけど、やっぱりライブが大好きで楽しくて、アイドルとして売れたいっていう気持ちが当時から強かったので。

 当時は多くのアイドルが武道館を目標にしていることすら知らなくて、もう目の前のライブを必死にこなして、1人でも多くの方に見つけてもらいたいと思ってやってました。

――自分も当時ライブを見てましたが、上京してしばらくは動員がなく厳しい時期が続いていました。あの頃、心が折れたりはしなかったですか。

える 心が折れるというのはあんまりなかったですね。世間的に見たら私は全然売れていないアイドルかもしれないけど、凄く恵まれた環境にいるなとも思ってたし、ライブの高揚感やそこで生きてる実感があったので、ずっと幸せな状態だったんです。

 もちろん悔しい思いをしたことや辛いことはたくさんあったけど、幸せな環境で活動できていたから「アイドルを辞めよう」とネガティブな気持ちになることもなくて。むしろ、この辛さを乗り越えたらもっと上に行けるかもしれない、とばかり考えてました。

――早く売れたいという焦りもなかった?

える 早く売れたいとは思っていました。「自分は最終的にどう花開くか」という漠然とした目標を描きながらですけど。

「人生でアルバイトをしたことが本当にないんです」

――お客さんがいないライブなどではどう気持ちを保っていたのですか?

える 私が好きで見に来てくれる人が1人でもいたら、その人のために歌おう、ライブしようって思っていました。こんな自分に「ファン」という存在がつくこと自体、凄く特別なことだと今も思っているんです。普通の女の子だったら経験できないような人生を歩めていると思います。

――収入面ではいかがでしたか。この頃、アルバイトなどはしていたのですか?

える 実は、全然してなくて。恥ずかしい話なんですけど、事務所に支えてもらってました。だから人生でアルバイトをしたことが本当にないんです。

――生活面でも心配することなくアイドル活動に専念できたわけですね。

える そうですね。本当に恵まれた環境にいると思います。

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

(松原 大輔)