のちの大物MC「歌ダメ、芝居ダメ」の烙印を押され 三谷幸喜氏も「売れないで帰るんだろうな」

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 フジテレビ系「なりゆき街道旅」が26日に放送された。

 ハナコ・岡部大、中山秀征、ロッチ・コカドケンタロウが高知県の街を散策した。

 道中、岡部は今年、デビュー40周年を迎えた中山に「改めてですけど、今年で40周年。すごいですね…」と感心。

 中山は「1985年デビューで17歳です」と述懐し「俺、歌で入ったのよ?元々は第2の吉川晃司募集だったの」と振り返った。

 つづけて「歌のテープを送ったわけ。(オーディションに)引っかかるは引っかかるんだけど。いざレッスンが始まったら『あんまり歌は向いてないんじゃないか?』って。(自身を)『とっといて?』と」と苦笑した。

 さらに「芝居をやらないか?って芝居をやるんだけど。これまた、やったらそれも向いてないって言われたの。『とったよね?』って」と笑わせた。

 中山は「えらい早いうちに歌ダメ、芝居ダメってなって。ちょうど、その頃、お笑い班っていうのをとるようになって。お笑いやりたいやつ、集まれ!って募集をするわけ」と振り返った。

 岡部が「三谷(幸喜)さんがいた?」と聞くと、中山もうなずいて脚本家・三谷幸喜氏との若かりし日の出会いを回想。

 「三谷さんは脚本というかネタを書きたいって。あの頃、同時募集だったの。いわゆるお笑いやりたい人と作家やりたい人で同時募集。だから、三谷さんも俺らのコントを書いてるの。覚えてる。今でも。(当時)三谷さんとご飯を食べに行ったの。暗くてさ。その頃さ、放送作家になりたい!って言ってる若者じゃないですか?僕は売れたい!っていう若者で。なんとなく2人でご飯食べに行ったの。一回だけ」と話した。

 中山は「暗いなと。こんな暗い人が面白いもの書けるんだろうかって思いながら。盛り上がるわけでもなく。一方、それから数十年経って、その話を三谷さんとしたのよ。『俺はね。悪いんだけど、三谷さん。こんな暗い人は世の中で見たことないと思った』と。三谷さんがね『こんな明るい奴を初めて見た』って」当時は、お互いに真逆の印象を持っていたことを明かした。

 つづけて「(三谷氏は中山に)『この子は明るさは良いんだけど、おそらく売れないで群馬に帰るんだろうな。かわいそうだけど帰るんだろうな』って」との所感を持っていたと話し、2人を笑わせていた。