25 October 2025
俳優ののほっこりエピソードが話題を呼んでいる。 25日にインスタグラムで「昨晩、ロケ弁でお世話になっているビストロで飲んでいたところ、お店の娘さん(22歳のパティシエさん)がお友達とご挨拶に来てくれた」お友達が勇者ヨシヒコを観たことがないと話されると、娘さんが『え!観てないの!?観なきゃだめだよ!』 その後、娘さんが発した一言に驚く 『勇者ヨシヒコは義務教育だよっ』初めて聞くワードに嬉し大笑いした この子は日本一のスイーツを作ると確信した昨日の夜」と内容を説明し、山田孝之と「勇者ヨシヒコ」の衣装を着たツーショットをアップした。 この投稿には「私も通りました!」「ほんとそれ!」「間違いない」「再入学しました」「懐かしい!また観たい」などの声が寄せられている。 「勇者ヨシヒコ」は2011年から2016年にかけてテレビ東京系で放送されたドラマだ。
25 October 2025
今年4月にデビュー45周年を迎えた(63)。彼女に魅了されたものまねタレントは数多く存在し、テレビで本人との共演も果たした「ものまね」筆頭の1人だったのが、ものまねタレント・Seiko(56)だ。 そんな彼女は今、ステージ4の大腸がんで「余命3か月」を宣告されている。そんななか、どうしても世間に知らせたい人生の”心残り”があるという。それは、売れっ子時代に直面した芸能界のリアルと、自身の「」の経験だった–。【前後編の後編。前編から読む】 「ずっと心に止めておく気持ちでしたが、余命3か月と伝えられ、人生を振り返った時に、どうしても心残りなことがあって、打ち明けたかったのです。私がいた業界で昔こんなことがあったんだということを、皆さんに伝えたかった。 1997年、私が29歳の時に、一般男性とのあいだに子供を授かったんですが、多忙のために胎児をすることになってしまったんです」 Seikoは27歳のときにものまねタレントとしてデビューし、芸能事務所に所属していた。直後から、年に100本以上の仕事が入るほどになっていたと語る。 「当時事務所からは相当な期待をかけてもらって、たくさん仕事をもらっていた。多忙のなか、当時の恋人とのあいだに子供を授かったんです。 事務所の社長に相談したところ『今、Seikoにいなくなられたら困る』と言われて、私自身も今がいちばんの頑張り時だという思いもあり、とても悩みました。悩んだ結果、この仕事をしながら子供を育て上げるというイメージがどうしてもわかず、そうした中でしたのです」 当時、Seikoの仕事のサポートをしていた知人もこう証言する。 「Seiko自身も当時、望んで子を授かったというよりも、まだ仕事を頑張りたいというスタンスだった。それで、事務所とも話した上で、を選択したようでした。 堕胎をした産婦人科には、男性マネージャーも同行していたのをはっきりと覚えています。さらに、した翌日には、出血があるなかですでに仕事に出ていて……私も当時、彼女の選択を止められなかったことを後悔しています」 その後、Seikoが子宝に恵まれることはなかった。余命3か月を宣告されたいま、当時の選択を後悔しているという。 「今振り返ると、こうしてに臨む今も、優しい言葉をかけてくれる子供がいたらどんなに良かっただろうと思います。仕事ばかりを考えてそういう判断をしてしまった自分に責任はありますが、当時の環境に対する恨みの気持ちも出てきてしまう。産むことに前向きな言葉をかけてくれていたら、別の選択があったのかもしれない、と……。 今、芸能界で身を削って働いている女性にも、こういうことがあったんだ、ということが伝わってくれたら、嬉しいです。暗い話ですが、命が終わる前に、このことを皆さんに知ってほしかった」 身を削る思いで、当時の後悔を語ったSeiko。今は愛犬の世話をモチベーションに、懸命に治療に臨んでいる。 (了。前編から読む)