Author: d3001

《別府・ひき逃げ殺人》大分県警が八田與一容疑者を「海底ゴミ引き揚げ」 で“徹底捜査”か、漁港関係者が話す”手がかり発見の可能性”「過去に骨が見つかったのは1回」

11 November 2025

八田容疑者の捜査で、海底の堆積物の調査が始まった(『大分県別府市大学生死亡ひき逃げ事件早期解決を願う会』公式Xより) 写真一覧 重要指名手配犯に指定されている八田與一容疑者が別府市の県道交差点で、信号待ちのバイク2台に軽乗用車で追突し、大学生らを死傷させた事件からまもなく3年半が経つ。大分県警は事件後、防犯カメラの映像などから、容疑者が現場から東の別府湾方面に向かったと特定し捜査。港湾沿いでは、遺留品とみられる黒のTシャツが見つかり、これが事実上、最後の手がかりとなっている。 すでに病気で亡くなった容疑者の祖父も生前、記者にこんなことを語っていた。 「シャツが別府湾に脱ぎ捨ててあった。着るものも金も持たずに生きているわけがないんだよ。生きていたら暖かく迎えてやりたいが……」 生死も定かではないなか、警察は新たな動きに出た。事件発生当時から容疑者の取材に関わる民放の記者が話す。 「大分県警が、別府湾の海底にある堆積物を調査していることがわかりました。県は10月に入ってから、漁師と連携しながら別府湾沿いの3つの港で海底清掃を実施していて、捜査関係者が引き上げられたゴミなどを確認しているということです。県警は、八田容疑者が海に入って逃げた可能性も視野に捜査を進めているとみられます」 別府湾が捜査の鍵になっているのにはワケがあるようだ。 「八田容疑者は事件前、愛媛の松山刑務所から海を渡って逃げた脱獄犯に興味をもっており、知人などにその話をしていた。県警も事件解決に必要な捜査だと判断して、作業にあたっています」(同前) 雲隠れを続ける八田容疑者。県警への情報提供は10月末までで1万5000件を超えているが、有力な手がかりはいまだない。 ではなぜこのタイミングで別府湾の調査に踏み切ったのか。現地の漁港で働く関係者の男性が話す。 ”韓国風メイク”を施した八田容疑者(SNSより) 写真一覧 海底の泥の中に何があるのか… 「そもそも別府というか、九州ではここ10年以上台風の直撃とかがなくて。海水の入れ替わりがあまりないから、海底のゴミなどを人の手で回収する作業を行なってきました。 ただ、一度、清掃作業したエリアでは連続して作業してはいけないというルールがありまして、この作業をするのは数年ぶりなんです。なので作業が再開したタイミングで、県警のほうから協力をお願いしますと要請があったわけです」 この関係者によれば、清掃作業は2班体制。それぞれの班が10日間ずつ順次、別府湾の港から船を出して作業を行う。現在は、杵築市と別府市の港から2キロほど離れた海域に船を出しているようだ。 別府湾は面積およそ475平方キロメートル、水深は平均36メートルといわれる。男性は、“手がかり”が見つかる可能性についてこう語った。 「3メートルの“すき”を使って海底の泥を耕すんですが、その際に網も一緒につけていますので、ある程度のゴミが取れる。警察の方はそのゴミを丁寧に調べている。 あくまで私の知る範囲ですが、これまでの作業で、人骨のようなものが見つかったのは1回。それも最初は『豚の骨じゃないか』という話になったり、あまり判別がつくものではなかった。 死体にしても、例えば海で亡くなった方は最初浮いていますが、1回沈んでその後は腐敗が進むそうです。そのあとはまた浮いてくるときもありますが、そのまま海の底で魚のエサになってしまって跡形もなくなるパターンもざら。警察の方が本気で捜査しているので、もちろん何か見つかってほしい思いはありますが、雲を掴むような話かもしれませんね……」 被害者遺族や有志により結成された『願う会』は11月8日、公式Xを更新し「あらゆる可能性を全て潰していって欲しい」(原文ママ)などと期待を膨らませている。 事件解決の一手となるか──。 情報提供募集 「NEWSポストセブン」では、情報・タレコミを募集しています。情報提供フォームまたは、下記の「公式X」のDMまで情報をお寄せください。 ・情報提供フォーム:https://www.news-postseven.com/information XのDMは@news_postsevenまでお送りください! 【写真】「目が冴えるような金髪に真っ赤なリップ…」”韓国風メイク”を施した八田與一容疑者、SNSのアイコンほか

「同僚の体調を気にしてシフトを組んでいた…」日テレ・菅谷大介アナが急死、直近で会話した局関係者が語る仲間への優しい”気遣い”

11 November 2025

 の菅谷大介が11月8日、消化管からの出血で亡くなっていたことがわかった。53歳という若さだった。によると、菅谷アナは今月7日の夜に勤務を終えて帰宅後、不調を訴えて都内の病院に緊急搬送。その後に容態が急変し、翌日午後に死去した。  菅谷アナは国際基督教大学大学院終了後、1997年にに入社。同期には馬場典子アナ(2014年退社)らがいた。バラエティーやスポーツ実況で活躍し、『news every.サタデー』などの報道番組でキャスターを担当。菅谷さんの名実況が話題となったのは、日本がスピードスケートの女子団体パシュートで金メダルを獲得した2018年の平昌五輪だった。スポーツ紙記者が語る。 「菅谷さんは女子パシュート決勝の中継を務めました。オランダ相手に張りつめた緊張感の中、『2分50秒ほど先に広がるのは果してどんな景色なのか。高木美帆は”この団体パシュートで輝く景色を見たい”そう話しました。金が銀か、決戦のとき』と視聴者を引き込み、ゴールの際に放った『この瞬間は永遠だー!』は選手を称え、多くの人々に感動を与えました」  視聴者に親しまれていた菅谷アナだったが、2022年8月にすい臓がんで闘病中であることを自身のSNSで公表。2021年11月に人間ドッグで異変を指摘され、2022年1月の再検査ですい臓がんと診断。同年4月に腹腔鏡手術を受けていた。術後は化学療法を受けながらアナウンス業務に復帰していた。数週間前に菅谷さんと会話したという同局関係者が打ち明ける。 「としての最後の仕事は11月2日の男子ゴルフ大会『フォーティネットプレーヤーズカップ』最終日の実況でした。菅谷さんはアナウンス部次長の管理職も務めていて、たちのシフトを管理していて、『この時期は箱根駅伝や高校サッカーの取材での予定は立て込んでいる』と同僚の体調を気遣いながらシフトを組んでいました。  ただ、バラエティー番組で活躍していた頃とくらべると、病気を患ってからは少し痩せていた印象で、会食についても回数を少なくしていて、スタッフらとの会にも最近はほとんど参加していなかったと聞いています。体調を優先して会食も控えていたくらいだったのに、残念です」  同局は「2022年にすい臓がんを公表して以降も、としても管理職としても前向きに取り組む姿を直前まで見ていただけに、あまりに突然の訃報に接し、社員一同、ただただ驚くとともに悲しみに包まれております。故人の功績に深く感謝し、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます」と、コメントを発表した。 「治療の経過や日常がつづられている菅谷さんのインスタグラムには、がんを公表した2022年8月から10月26日の最後の更新まで、多くの投稿に”すい臓がん””がんサバイバー”というハッシュタグが付けられています。  菅谷さんは生前、『自分の経験をとして伝えていきたい』と周囲に語っていました。つい数日前まで元気で話していたのに、本当に信じられません」(同前)  菅谷さんの名実況は永遠に語り継がれるにちがいない。