【全文】立石正広・創価大《阪神ドラフト1位》「負けず嫌いです。『スマブラ』でも勝つまでやります」

身長180㎝。小学校1年生で野球を始め、中高一貫の高川学園に進学。高等部3年の夏は甲子園に出場。創価大進学後は日本代表の4番も経験。’25年ドラフトでは3球団競合の末に阪神への入団が決まった

″虎の将来を担う期待の星″ロングインタビュー
『TWICE』が好きな 21歳
3球団が競合した2025ドラフトの目玉スラッガー

プロ野球ドラフト会議を2週間後に控えた10月10日、創価大学の内野手・立石正広(22)は不安を口にしていた。

「本当に指名してもらえるのかな、と。これまでのドラフトできつい思いをした選手を見てきましたから。大阪桐蔭から立教大に進んだ山田健太選手(現・日本生命)も、指名が確実視されていたじゃないですか。何が起きるかわからないのがドラフトだと思っています。正直、(新聞報道などの)自分に対する評価にびっくりしていますけど、本当にチャンスがあるのなら上位でプロに行きたい」

複数球団の競合が確実視され、運命をクジに委(ゆだ)ねることになる野球人の心中はけっして穏やかでなかったのだ。

このオフ、東京ヤクルトの村上宗隆(25)だけでなく、巨人の岡本和真(29)もポスティング移籍が容認され、阪神でもまた佐藤輝明(26)の近い将来の渡米が予想される。日本球界の顔である内野手のメジャー流出が確実だからこそ、打てる内野手である立石は今年のドラフトの主役だった。

結局、競合を避ける球団が相次いだことや福岡ソフトバンクと横浜DeNAが米・スタンフォード大の佐々木麟太郎(20)の指名に走ったことで、立石を指名したのは広島、北海道日本ハム、阪神の3球団にとどまり、藤川球児監督(45)がクジを引いた阪神が交渉権を獲得した。立石の指名は1年前からの決定事項だったという。縦縞のユニフォームに袖を通すことになる立石は会見で「いち野球ファンとして早く藤川監督にお会いしたい」と話し、こう続けた。

「縦縞は大学ジャパン以来です。本当に単純ですけど、縦縞だと足が太く見えてちょっとカッコいいというか、スタイルがよく見えるので嬉しいです。大勢のファンの前でプレーするのはずっと夢だった。毎年、打撃タイトル争いに絡めるような選手になりたいです」

創価大学のグラウンドでインタビューを実施した日、ポートレートの撮影中にいかにもモテそうな甘い表情をした立石を茶化すと、「モテるために野球をやってきたようなもんですから!」と笑った。なるほど、伝統のユニフォームはそんな立石にもよく似合いそうだ。

阪神は’16年の大山悠輔(30)、’18年の近本光司(30)、’20年の佐藤輝明、そして’22年の森下翔太(25)と、大学・社会人の野手をドラ1で獲得し、そのいずれもが戦力となって今季はセ・リーグを制した。

「勝負強い選手たちがそろっている。森下選手、大山選手のバッティングには魅力を感じるので少しでも吸収できたらいいなと思います」

立石のストロングポイントは、リストが強く、対峙する投手の剛速球にも簡単には差し込まれず、広角に力強い打球を飛ばせる打撃スタイルだ。

「二塁手で長打が打てる右打者という貴重なタイプだから注目していただいていますけど、自分的には二塁を守っていることもたまたまだし、右でしか打てないから右打者なだけなんです(笑)。自分はこれからの選手だと思っています。まだまだ発展途上ですし、守備や走塁も突き詰めていきたい」

立石の母・郁代さんは元バレーボール選手で、’92年のバルセロナ五輪に日本代表の一員として出場した。父もバレーボール選手で、姉2人はSVリーグ、Vリーグの選手。しかし、末っ子の立石が7歳から没頭したのは野球だった。

「常にバレーボールが身近にありましたし、実際にやってもいたんですけど、より興味を持ったのは野球でしたね。母はバレーボールを選択してほしかったんでしょうけど、父が野球好きで、息子には野球をやらせたかったみたいです。自分も両方やりながら、将来的には野球を選ぶんだろうなとは思っていました」

中学・高校は野球の練習環境が整った高川学園(山口)に進学し、いつしかプロ野球選手を夢見るように。両親譲りの跳躍力やスパイクを打つ時の手首の使い方などは、野球にも活(い)かされた。

「守備の身のこなしやスローイングなんかに活きているかなと思います。ただ、家族からしたら自分は鈍(どん)くさく見えていたみたいで、両親もスポーツ選手としては期待していなかったみたいなんです。ウエイトとか、いろんなスポーツのトレーニングを見て、試行錯誤を繰り返した結果、大学に来てから足のタイムも速くなり、体重も増えました。身体能力に関しては伸びしろしかないと思うので、これからもやればやるだけ(身体能力は)高まっていくと思います」

創価大を選んだ理由

コロナ禍で無観客開催となった’21年夏の甲子園では初戦の小松大谷(石川)戦でバックスクリーンに特大の本塁打を放った。東京六大学の強豪をはじめとする多くの大学から誘いがあるなか、当時の堀内尊法(たかのり)監督(現・創価高校監督)の熱い勧誘を受けて、東京新大学野球連盟に属する創価大に進学。すると、2年春のリーグ戦で打率、本塁打、打点の三冠王に輝き、3年生になると大学生の侍ジャパンに選出された。

「自分をこんなに必要としてくれる場所はないなと思った。入学した年に、3学年上の先輩に(現・巨人の)門脇誠さん(24)がいらっしゃって、『あの選手を見ていればいい』とアドバイスされたのも大きかった。もし野球エリートばかりが集まる大学だったら、やる気なくなっちゃってたかもしれないです(笑)。成長を実感できたのは昨年の明治神宮大会でしたね。2本塁打を放つことができて、’25年のドラフト候補として紹介されるようになり、こんなにも短期間で見られ方も変わるんだな、と」

いよいよ最後のリーグ戦が迫っていた今年8月、立石は右足首の靱帯を損傷した。さらにインタビューの前週には、背中に痛みを覚え、駿河台大戦の途中で退いている。野球人生で初めてケガに苦しんだシーズンを過ごし、アマチュア選手として有終の美を飾ること=リーグ優勝を果たすことができなかった。

まずはケガをしっかりと治すことがプロ野球選手としての第一歩となる。

「伸びてしまった靱帯はしっかり快復したんですけど、固定していた分、可動域がかなり制限されてしまっていた。足首の可動域が制限されるなか、気を遣(つか)いながら練習に復帰し、試合に出場したところ、いわゆるぎっくり腰のような痛みが背中に出てしまって、打撃時に力が入らなくなってしまった。すべては足下からつながっていて、足下をおろそかにしていたら身体全体の調子を崩してしまうことを、プロ入り前に気づけて良かったと思います。まずは足首の可動域を年内には100%に戻したいです」

創価大で守った二塁は、阪神においては侍ジャパンにも名を連ねる中野拓夢(29)の聖域。立石は他に三塁や一塁も難なくこなすが、いずれも佐藤、大山というチームの主軸が守っている。鉄壁の阪神内野陣でスタメンの座を掴むため、器用な立石がプロの舞台で遊撃に転向するようなことがあっても不思議ではない。

「それまで遊撃手だった選手がプロ入り後に二塁を守ることはあっても、プロになるまで遊撃を守ったことのない選手がいきなりプロで遊撃に入るケースはほとんどないですよね……遊撃は現実的ではないと思います(笑)」

オフの日は身体を休めるために眠るか、日帰り温泉に行くかして、野球のパフォーマンスにつなげるための時間に利用するが、「オフの日まで汗をかきたくないのでサウナには入りません」と笑う。

グラウンドを離れれば、K−POPグループ『TWICE』好きで、「推しはダヒョン」という純朴な大学生だ。

「寮では仲間とゲームとかしますよ。『スマブラ』(大乱闘スマッシュブラザーズ)とか、『荒野行動』とか。ただ、自分は弱いんですよ。それなのに負けず嫌いだから、勝つまでやり続けます」

憧れの選手は、先日、引退を発表した長野久義(40)。

「山口でテレビで観られる試合というと巨人戦ばかりでしたから(笑)、長野選手のプレーにくぎ付けになっていたんです」

日本人野手のメジャー挑戦が不安視された時代は終わり、投手ばかりでなく野手もいわゆる助っ人としてメジャーに渡る時代が訪れる。

「将来的には鈴木誠也選手(31)みたいにメジャーでやってみたいなと思っている。段階を踏んで、一年一年、戦いたい」

虎党の信頼を得るためにも、まずは12球団随一の戦力を誇る阪神で、スタメンを勝ち取ることが挑戦の第一歩となる。

シャープなスイングと逆方向にも長打を放てるリストの強さは、立石が憧れの選手に挙げる長野を思わせる
練習を終えた立石は仲間と談笑した後、照れくさそうな笑顔をカメラに向けながらグラウンドを後にした

『FRIDAY』2025年11月14・21日合併号より