
国は「薬を買いやすくする」アクセルだけ踏んできた
深夜の新宿・歌舞伎町で、10代の少女がビルから飛び降りて命を落とした。その直前、少女は市販薬を大量に飲んでいたという。
SNSでは「オーバードーズ(OD)」という言葉が当たり前のように飛び交っている。手軽に手に入る頭痛薬や風邪薬、睡眠改善薬ら市販薬の乱用が、若者たちの「自分を傷つける手段」として使われているのだ。
2025年版の自殺対策白書によれば、昨年の小中高生の自殺者は過去最多の529人にのぼり、若い世代の自殺未遂の多くをオーバードーズが占めていることが明らかになった。
なぜ、若者は市販薬のオーバードーズに走るのか――依存や自傷の問題に長年向き合ってきた国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦医師は「ドラッグストアが増え、薬にアクセスしやすくなったことが原因です」と断言する。
「2009年に《登録販売者制度》ができて、薬剤師じゃなくても第2類・第3類医薬品を販売できるようになりました。2014年の薬機法改正では、第1類医薬品(OTC薬のなかで最もリスク管理が必要な薬。購入には薬剤師の説明が必須)ですら『薬剤師がいればドラッグストアで買える』ようになった。
2015年には登録販売者の資格要件が緩和され、学歴も販売実務経験も不問で試験を受けられるようになり、全国でドラッグストアが爆発的に増えました」
薬を売る側も買う側も「ハードルが下がった」のだ。
「2017年には《セルフメディケーション税制》が始まりました。『病院に行かず市販薬で対応しましょう』という政策です。つまり、国が薬を自由に買える社会を後押ししてきたのです。その結果、若者の乱用が増えているのに、今年にはコンビニでの販売解禁まで決まりました。
総務省の規制改革推進会議をご存じでしょうか。さまざまな規制を緩和するために、財界や関係省庁と意見交換をする場なのですが、市販薬の問題も去年、大きな議題になりました。私も参考人として呼ばれました。
そこで、乱用や死亡事例など、明確な証拠を提示しても、『そのデータは偏っている』『エビデンスとして不十分だ』と、メーカー側や財界の方から強い反論が出るのです。違法薬物を規制強化する時には弱いエビデンスでも進めるのに、市販薬の販売個数制限となると途端に厳しいエビデンスが求められます。
たとえば、2021年にスイッチOTC薬として市販が始まったある鎮咳薬は乱用も死亡例も出ていますが、販売個数制限がされていません。来年5月からようやく規制がかかるようですが……『この国は子どもの自殺を止める気がないのか?』と疑ってしまいます」
「気づき」と「居場所」
薬へのアクセスが容易になったことで、SNS上には市販薬の「組み合わせ」や「錠数」に関する危険な情報が広がっている。「この錠数で眠れる」「この組み合わせが効く」といった投稿が拡散され、“レシピ”のように扱われているのだ。
若い世代にとってオーバードーズは「助けて」というサインだと松本医師は見ている。
「どうにもならない苦痛から逃れるための“最後の手段”として行われることが多いのです。オーバードーズを繰り返す子の多くがPTSDやトラウマによるフラッシュバック、不安や孤独で押しつぶされそうになり、そこから一時的でも逃げるために薬に手を伸ばしている。
つまり、オーバードーズのおかげで、ギリギリ生きられている子もいるのです。そんな背景も知らずにただ『ダメ、絶対』と言っているだけでは、子どもたちのオーバードーズを防ぐことはできません」
国は、薬物乱用防止などの啓蒙活動を行っているが、その一方でオーバードーズによる救急搬送は激増し、依存症の患者も増加の一途を辿っている。
「今年3月、厚労省が『OD(オーバードーズ)よりSD(相談)しよう』という広報を出しましたが、大炎上して1週間で削除されました。『相談したら“やめろ” と言われるからオーバードーズしている』という当事者の声が想像できていません。背景の痛みに介入しなければ意味がない。
『あなたをそんな気持ちにまで追い詰めてる原因についてもう少し詳しく話して』という、死にたい衝動の向こう側にある困りごと、悩みを聞くことが必要だと思います。オーバードーズしてしまった子が安心して相談できる場所をつくることが先なのです」
2022年12月以降、ブルーシートで広場を覆うなどの対策が繰り返され、トー横で若者の姿がほとんど見られなくなった。だが、オーバードーズする子どもたちは後を絶たない。
「閉鎖ではなく、『安全に運営する』ことを考えるべきだったと思います。
本来は各地域に、安全な居場所を作る必要があります。取り締まり一本槍ではうまくいきません。NPOやシェルターと連係し、居場所とつながりを作ることが鍵です」
松本医師は、これまで多くのオーバードーズに苦しむ若者の治療を行ってきた。若者の自殺は衝動的なケースが多く、介入すれば止められることもあると言う。
「若い人の約7割が思い立ってから1時間以内に実行するといわれています。中高年の場合、数ヵ月あるいは数年かけて悩み、計画を練ってから行動に至るケースが多いのとは対照的です。衝動性の高さが若年層の大きな特徴です。そこで声をかけられたり、誰かに気持ちを受け止められたりすると、諦めるケースが非常に多いのです」
若者の自殺のサインに気づいたら、どう声をかけ、どう介入すればいいのか。
「『死んではいけない』『生きていればいいことある』『何言ってるの』、これらは絶対に彼らに言ってはいけない言葉です。説教や議論も避けてください。大切なのは話を聞くこと、です」
オーバードーズは社会全体で向き合い、取り組むべき問題だ。
【プロフィール】
まつもと・としひこ
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長/薬物依存症センター センター長。精神科医。薬物・市販薬依存、オーバードーズ、自傷行為の研究と治療に取り組む。『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『オーバードーズする子どもたち』(合同出版)など著書多数。