『鬼滅の刃』『チェンソーマン』など日本のアニメが世界的なヒットを記録している。国際的な人気は今に始まったことではなく、1990年に放送を開始したテレビアニメ『楽しいムーミン一家』はムーミンの本国フィンランドでも大ヒット。ムーミン誕生80周年の今年は同アニメの音楽をオーケストラで演奏するコンサートが首都ヘルシンキで開催される。その公演に招待されて主題歌を歌唱する白鳥英美子に56年に及ぶキャリアを5回にわたって振り返ってもらう。3回目の今回は、米ロサンゼルスでの出会いだ。
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「このままだと、大好きだった歌が嫌いになってしまうかもしれない」
多忙を極めるなか、そう考えるようになった白鳥英美子は、相棒の芥川澄夫と相談のうえ、1973年に「トワ・エ・モワ」を解散。芸能界から離れ、保育士の資格を取得する。1975年にはミュージシャンの白鳥澄夫(「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」ではベースを担当)と結婚し、旧姓の山室から白鳥に改姓する。
「たまたまなんですけど、夫の名前(澄夫)が芥川さんと同じなので、いまだに『芥川さんと結婚したんですか?』と言われます。字も同じですから、これからも勘違いされていくのでしょうね(苦笑)」
ロサンゼルスで出会った音楽仲間と新たな挑戦
結婚後、白鳥夫妻は渡米し、ロサンゼルスに滞在するが、そのことを聞きつけたあるミュージシャンが2人を訪ねてくる。1972年に米国キャピトルレコードからアルバムをリリースした日本人バンド「EAST」のリーダーだった瀬戸龍介だ。
「当時の瀬戸さんは米国を拠点に、琵琶や琴、尺八などの和楽器を採り入れたバンドで活動されていたのですが、夫にも参加してほしいとおっしゃったんです。誘われた彼も『面白そうだから、やってみようか』ということで、一緒に活動することになりました」
白鳥澄夫という腕利きミュージシャンを得た瀬戸のバンドは、さまざまなライブスペースのオーディションを受け、そのすべてに合格。その中からいちばん高いギャラを提示された日本食レストラン「紅花」で演奏を始める。
「和洋折衷のスタイルが評判を呼んで、同じようなバンドが次々と登場しました。お客さんの中に当時、ドゥービー・ブラザーズを担当していたテッド・テンプルマンというプロデューサーがいて、彼からスカウトされるほど気に入られたのですが、契約したらしばらくは帰国できないと聞いて、その話は流れました」
「中国地方の子守唄」披露で静まり返ったLAの店内
そんな折、白鳥英美子にも歌う機会が訪れる。あるとき瀬戸から「英美子さんも歌ってみたら?」と勧められたのだ。
「『いいんですか?』という気持ちでしたが、自分が歌うなら英語よりも日本語の歌がいいと思って、あえて『中国地方の子守唄』を選びました。ギターを弾きながら歌い始めたら、食事をしていたお客さんの手が止まり、店内が水を打ったように静かになったんです。その雰囲気に驚きつつ、歌い終えると、ものすごい拍手をいただいて。その感激から眠っていた情熱というか、お休みしていた歌への想いがふつふつと沸いてきたんです」
帰国した白鳥夫妻は1977年、和楽器をフィーチャーした4人組バンド「鴉鷺(あろ)」を結成。1980年に松本零士原作のテレビアニメ『マリンスノーの伝説』(テレビ朝日系)の主題歌「海に還る」をヒットさせるが、3枚のアルバムを残して1981年に活動を休止する。
「このまま続けると方向性が見えなくなりそうだったので、ちょっと置いておこうという判断でした」
「鴉鷺」の楽曲では作曲も手がけ、メロディーメーカーとしての才能も発揮した白鳥は1982年からソロ活動を開始。かつてヒットを連発した「トワ・エ・モワ」の名前に頼らず、自分が歌いたい歌を追求していく。
そんな白鳥のもとに1986年、英国のダイヤモンド会社「デビアス」のCMの話が持ち込まれる。古くから伝わる賛美歌「AMAZING GRACE」をアカペラ(無伴奏)で歌ってほしいというものだった。
→第4回に続く
(濱口英樹)
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🔳白鳥英美子(しらとり・えみこ)1950年生まれ。69年、芥川澄夫と「トワ・エ・モワ」を結成し「或る日突然」でデビュー。ヒットを連発し、NHK紅白歌合戦にも2回出場。解散後はユニット「鴉鷺(あろ)」を経て、ソロ活動を開始。「AMAZING GRACE」、ゲーム『ファイナルファンタジーⅨ』主題歌「Melodies Of Life」などがヒット。クラシック、アニソン、童謡などジャンルを超えた音楽活動を展開する一方、ナレーションやエッセイなど多方面で才能を発揮。現在、55周年を記念した『白鳥英美子ベスト~ミュージック・オブ・ファンタジー』が好評発売中。

