財務官僚が描くシナリオで「政治家が夢を語れなくなっている」前・明石市長の泉房穂氏(62)が国政復帰して感じた“強烈な危機感”

元・明石市長の泉房穂氏

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2025年7月の参院選で兵庫選挙区から立候補し、82万票超えという、選挙区候補としては全国最多得票で当選した、元・明石市長の泉房穂氏。今年10月には新書『公務員のすすめ』を上梓。市の職員たちを巻き込みながら、子ども政策や福祉政策など数々の市政改革を実現させた軌跡を描いている。

国政の舞台に戻ってきた泉氏だが(氏は、2003年から2005年にかけて衆議院議員)、目の前には難題が山積していた。

「どこから攻めたらいいんや、どないせいっちゅうねん」

それでも諦めない泉氏の、現在の胸の内とは──。【前後編の前編】

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地方改革が X×2+1=7、国政改革は複雑すぎる「多元連立方程式」

──久しぶりに国政に戻ってこられたわけですが、地方自治体の首長と国会議員では勝手が大きく違うのではないかと想像します。

まず大前提として、「こんな理不尽な社会を、もっとマシな社会に変えてやる。冷たい明石の街を優しい街に変えていくんだ」と10歳の時に心に誓った、その時の誓いを、明石市長時代の3期12年で自分なりに果たしてきたという自負があります。

その上で、明石市が変わったところで、国の政治が冷たいままでは国民全体は浮かばれない、という思いもありました。国レベルでも方針転換して、国民の方を向いた政治に変えていく必要がある。そのために自分ができること、やるべきことがあるはずだと決断して選挙に出た身としては、今、国政の場に戻ってきて、いよいよこれからだとやる気がみなぎってくる感覚はあります。

しかし一方で、20年ぶりに国政に戻ってきて、市長と国会議員ではまったく違うということを改めて感じてもいます。

国政の舞台に戻ってきた泉氏

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──どのような違いでしょうか。

市長は地方行政のトップです。市長になったその日から権限を行使することができます。今回の新刊『公務員のすすめ』でも書いているとおり、公務員の中に入っていって、すぐに一緒に仕事を始めることができる。そして、同時に責任も負います。市長に就任したその日に何か不祥事が起きたり災害が起きたりすれば、その責任も負うことになる。責任と権限は常にセットなのです。

市長に就任した瞬間から、24時間365日、気の休まることのない日々がスタートする。そうした緊張感の中で12年やってきた身としては、今回国政に戻ってきて、国会議員になったところで責任や権限というものからはまだまだ遠いところにあると痛感しています。もちろん20年前にも2年間衆議院議員をやっていたから知らなかったわけではないけれど、行政府のトップである首長と、立法府のワンオブゼムである国会議員は、どちらも市民に選ばれた政治家とはいえ、まったく違う職業だとあらためて実感しているところです。

──政策を実現させるプロセスがまったく違うわけですね。

政治というのは結果と責任の両輪だと私は思っています。結果というのは、市民・国民に安心を届けて、みんなを笑顔にすること。そして、そこまでの責任を負うのが政治です。

市長の場合、その結果に到達するための図式は比較的シンプルな一次方程式が多く、スピード感をもって解を導き出すことが可能です。例えばX×2+1=7というような方程式のイメージ。これならば、きちんと手順通りに計算しさえすれば、X=3という解が導き出せるでしょう。

ところが国政となると事情は相当に違ってきて、かなり複雑な多元連立方程式になってくる。XYZなどがやたらいっぱい出てきて、それも2乗や3乗がいくつも並んでいて、これってほんとに答えがあるの? どこから手をつければいいの?という感じ。

しかし、私は「それでも答えはある」と思っています。それが私の特徴でしょう。地方自治の方程式とは違ってXがすぐに導き出せず、YやZの5乗などから解いていかなければならなくても、国民の笑顔という結果にたどり着くまでの解を、どんなに遠回りをしても解いていくつもりでいます。政治家の多くは、「あ、これは無理、こんな複雑なのは解けない」と内心で思っているのかもしれません。しかし、「解けない」と政治が諦めてしまうと、官僚に任せるしかなくなってしまいます。

市の職員たちを巻き込みながら、子ども政策や福祉政策など数々の市政改革を実現させた泉氏

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──各省庁の官僚はそれぞれの分野のエキスパートですから手強い。

国政は複雑で多種多様で、しかも行政は激しい縦割りです。地方自治体の首長は大統領制的なシステムの中で一元的に権限を行使できるけれど、国会議員は立法府なる合議体組織の一員に過ぎません。

新著『公務員のすすめ』でも書きましたが、地方自治体の首長には、方針決定権・人事権・予算編成権がありますから、これらの権限を行使して市政を改革していくことができます。

実際、私も大胆に政策を転換させて予算を組み替え、子ども政策の予算を125億円から297億円まで2.4倍に増やし、子ども政策を担当する職員の数も39名から150名とおよそ4倍に増やしました。優先させるべき政策に財源と人材を集中させて、明石市の人口増と経済の好循環へと繋げた。やる気さえあれば、その権限を適切に行使して大胆に方針を転換できるのが首長です。

一方、総理大臣の場合、首長に近いような形での権限行使が本来であれば可能です。ところが、日本においてその権限を行使した総理は、ほとんどいないと言っても過言ではないでしょう。近年ではもっとも権限を行使したはずの安倍晋三元首相でさえ、消費税の増税方針においては最終的に財務省に従わざるを得なかったと思うと、行政に対して全責任を負った日本のトップは、戦後の歴史上、存在していないのではないでしょうか。結局は、XYZの連立多元方程式の解を解こうとすらせず、「ここに答えがありますよ」と官僚に言われると「そうか」と従ってしまう。

「いや、ちょっと待って。自分たちで解を導き出して、方向づけをしていくから」というような政治の動きが、衆議院議員だった20年前と比べてさらに弱くなり、官僚主導がますます強まっているように感じます。

元・明石市長の泉房穂氏が上梓した新書『公務員のすすめ』

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財務省のシナリオで野党政治家も夢を語れなくなった

──2009年の総選挙で民主党による政権交代が実現しましたが、あの時、官僚から官邸の方に主導権を持ってこようという動きが見られたのでは?

いや、むしろ民主党政権の3年は、国民からの大きな期待を失望に変えてしまったという点で、ある意味、不幸だったのではないかと思います。あの時に、予算のやりくりも含めて政治主導でやれることはもっとあったはずでしたが、結局のところ財務省の手のひらで転がされてしまったようにも見えました。そして、できなかった理由づけとして「お金がない」「だからできない」という方向で整理してしまったことが問題だったのではないでしょうか。きちんと方針を転換し、予算の組み換えをし、人事権を行使して組織再編していけば、できることはたくさんあったと思うのですが。

その意味では、私が衆議院にいた20年前、当時の野党はもう少し元気でした。自民党の政治では国民が幸せになれないから、自分たちにやらせてみろと本気で語る政治家が一定数いました。自分たちにやらせてくれたら、もっと障がい者や子どもたちに寄り添う政策を実現させてみせる、社会をこんなふうに変えていくと、自分なりの言葉で夢を語っていたように思います。

しかし今回、久しぶりに国政の場に戻ってきてびっくりしたのは、与党だけでなく野党にも言い訳が多くなったということ。「こういうことができる」ではなくて、「そんなことはできない」という論調が蔓延しているように感じます。

──現実の状況が厳しすぎて夢が共有しづらくなった。

野党までが、少子高齢化だからしょうがないというような言い訳しかしなくなったのは、国民にとってあまりに不幸なことです。結局のところ、官僚が書いた国民負担増のシナリオに与党も野党も乗せられているに過ぎないのではないでしょうか。

2009年に民主党による政権交代を目の当たりにした財務省は、その経験から、与野党双方に向けてしっかりと官僚主導のシナリオを書くようになってしまった。その意味でも民主党政権の3年は不幸だったと感じています。

官僚が先回りをして夢のないシナリオを書くものだから、政治家がもはや夢を語れなくなっている。政治家のみならずマスコミも同様です。財務省が全国紙の論説委員クラスにもレクチャーしていますからね。野党を含めた国会議員やマスコミが一種の諦めムードに入ってしまって、国民の願いを叶えようと考える以前に、そもそも、それは無理なこと、と整理してしまう。20年前と比較して、状況はかなり厳しくなっています。

──一方で、泉さんはかねてより「減税」での大同団結を呼びかけていましたが。

いっときは、自民党抜きに野党での大同団結というストーリーを考えていましたが、今の流れは明らかに多党化に向かっています。この流れは当分続くのではないかと感じています。とはいえ、難しいから諦めるということではもちろんありません。

今は、手強い相手と将棋を指しているような感じです。市長時代の相手とは明らかにレベルの違う手強さがある。もう、藤井聡太七冠に向き合っているような感じです。敵は押せるし引けるし、全方位的に目配りできるし、どこから攻めたらいいんや、どないせいっちゅうねん、という感じ。

でも、国のありようを変えていくのは、自分の人生が2回くらいなければたどり着けない、簡単ではないというのは20代の頃からわかっていたこと。だからこそ、まずは市長として明石の街を優しい街に変えることに人生を賭けようと心に決めたわけです。その意味で、当時の自分が思い描いていたように、わがふるさと明石で成功事例をつくるというところまでは大筋やってこられたかな、と。

次は、いよいよ手強い敵を前に、どこからどう手をつけていくか、さまざまな戦略を思い巡らせているところです。

(後編に続く)

構成/大友麻子 写真(人物)/野口 博(フラワーズ) 写真(書籍)/五十嵐美弥(小学館)