黒沢明監督の「椿三十郎」「用心棒」のしびれるような存在感は今でも忘れられません。
お会いしたのは、仲代さんが60代になられてからのこと。楽屋に入ると、潤んだ瞳を見開き、あの低く重厚感のある声で挨拶され、両ひざに手をつけるように身をかがめて丁寧に挨拶をされました。
パイプ椅子に座り打ち合わせをはじめると、仲代さんには「適当」なんて言葉はなく、フリートークの番組なのですが、どの質問にもちょっと笑みを浮かべながらも「うまく答えられるかなぁ」「う~ん……」と真剣に考えていらっしゃいました。どの姿もまるで映画のワンシーンのようで、とにかく格好いい!希代の名優が何事によらず真摯に対応される姿に、ファンの一人としてうれしくなりました。
名優という修飾語に「僕は名優なんかじゃないですよ」とキッパリ。黒沢明監督の「七人の侍」に浪人のエキストラとして、俳優座から派遣された時に、歩くだけのセリフもないワンシーンで「浪人がそんな歩き方をするか!」と怒られて午前9時から夕方まで(本人談)かかり、ようやく監督からOKが出たという有名なエピソードがありましたが、「ここまでこだわるのか」と黒沢監督に執念を感じたとおっしゃってました。この経験からも「俺は人の5倍10倍稽古をしなくちゃいけないんだ」と思われたそうです。
黒沢作品に数多く出演されているので「黙々と歩き続ける仲代さんを気に入られたんじゃないですか?」と伺うと意外な返答が……。
「いい役者になって黒沢映画には出ない、って決めたんですよ」
それでも度重なるオファーが届き「どうしても君に出て欲しい」と監督自ら説得されて“和解”されたそうです。
「役者だけやっていれば楽でよかったんでしょうけど、役者の世界にお返しをしなければいけないんじゃないかと……」と、無名塾を立ち上げ、芝居が好きだから、役者バカだから、私財を投じておられる姿もまた並大抵のことではありません。
90歳を越えて舞台に立つこと、そしてお客さんを集めることは誰もができることではありません。観客のみなさんも仲代さんの芸を見る以上に、その“生きざま”を目に焼き付けておきたかったのではないでしょうか。
亡くなる数日前も、弟子たちに負けないよう、稽古をしなければとおっしゃっていらしたそうですから、いくつになっても向上心を持ち続けておられたのだと思います。仲代さんの辞書には「満足」という言葉はなかったのではないでしょうか。
希代の名優・仲代達矢はきっと「努力の天才」でいらしたのだと思います。