
全国で増えているクマ被害(写真/イメージマート)
全国で増えているクマによる被害。情報番組やニュースなどでは連日、報道が過熱している。そんな事態に「コロナ騒動」との共通点を指摘するのがコラムニストの石原壮一郎氏だ。われわれはこの2大騒動の共通点に何を学ぶか。石原氏が解説する。
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日本各地でクマが猛威を振るっています。報道も過熱する一方で、ワイドショーやネット記事はもちろんのこと、NHKの全国ニュースにもクマが登場しない日はありません。こんな怖い被害があった、こんなところで目撃された、こういうことに気をつけるべし、政府は何をやっているんだ……などなど、たくさんの情報が錯綜しています。
「クマ騒動」が盛り上がっていく中で、「あれ、この感じ、たしか前にも……」と既視感を覚えている方も多いのではないでしょうか。そう、新型コロナウイルスが猛威を振るい、日に日に報道が過熱していた「コロナ騒動」の頃と、何となく雰囲気が似ている気がしないでもありません。
もちろん、クマとコロナはぜんぜん違います。クマは目に見えるけど、コロナウイルスは見えません。クマは鳴きますが、コロナウイルスは鳴きません。頭文字はどっちも「カ行」ですが、クマは二文字でコロナは三文字です。ぜんぜん別モノなのに、なぜ既視感を覚えてしまうのか。その理由を探ってみましょう。
何が「正解」かわからない。冗談ネタにすると「不謹慎だ!」と怒られる
あらためて考えてみると「クマ騒動」と「コロナ騒動」には、いくつかの共通点があります。たとえば、このあたり。
「増えた原因にせよ発生した経緯にせよ被害や感染を防ぐ方法にせよ、何が『正解』かわからないので、いろんな人がいろんなことを言い出す」
そして、どちらも一部の人は、自分とは違う意見をムキになって否定したがります。人間というのは、スキあらば「オレのほうが知っている」というマウントを取ろうとしたり、誰かを攻撃することで恐怖心を紛らわせたりしたがるのかもしれません。
「うっかり軽口や冗談のネタにすると、待ち構えていたかのように『不謹慎だ!』『被害に遭っている人のことを考えろ!』という“正義の鉄槌”を下されてしまう」
仮に今、SNSに「住民の恐怖心を和らげるために、東北で『くまのプーさん』の巡回上映会を開催しようwww」なんて書き込んだら、高い確率で炎上するでしょう。世の中には「正しい側」から「正しいこと」を言うのが好きな人が少なくありません。
「何がきっかけなのか何が悲しいのか、一部に極端な主張を持つ人が現われる。その人たちは似た者同士の輪の中で結束を固め、どんどん頑な&凶暴になっていく」
誤解がないように申し添えますが、コロナ騒動における「極端な主張を持つ人」とクマ騒動における「極端な主張を持つ人」が、重なっていると言いたいわけではありません。ただ、共通する雰囲気とかニオイとかを感じてしまうのは、気のせいでしょうか。
「どちらも“当事者”ではない人ほど、声が大きい。しかもその声は、自分は大切なことを伝えているという認識とは裏腹に、うるさいだけで誰の役にも立たない」
今、クマ騒動で大きな声を上げているのは、おもにクマが出没しない地域に住む人たちです。コロナは「誰もがリスクがある」という点がクマとは違いますが、誰かや何かを声高に批判したり恐怖心を訴えたりしていたのは、比較的安全な立場にいる人たちでした。

北海道に生息するヒグマ(写真/Getty Images)
今後も出てくる「新しい恐怖」に私たちはどう立ち向かえばいいのか
そのほか「より用心深くという細かいノウハウはどんどん増え続け、お役所も個人も自粛ムードがどんどんエスカレートする」という共通点もあります。「こんな対策もある、あんな方法もある」と言っているほうが賢そうに見えるし、「もし何かあったら」「もし批判されたら」という印籠の前では誰もがひれ伏さざるを得ません。
今後予想されるのが「喉元を過ぎると熱さを忘れて、あいかわらず危険性は十分にあるのに、世の中の関心が離れて話題にならなくなる」という共通点。どんな問題にせよ、喉元を過ぎると見事に忘れられてしまうとなると、話題になっているときに抱いている恐怖心や警戒心は、もしかしたら抱く必要がないということでしょうか。
忘れっぽいのが人間のサガとわかってはいても、クマなりコロナなりといった「怖いもの」に注目が集まると、ひとしきり騒がずにはいられません。ただ、少なくともクマ騒動に関しては、安全な地域でテレビやスマホの画面を見ながら「うわー、怖い」と言っているのは、しょせん娯楽として消費しているに過ぎないことは自覚しておきたいものです。
「クマ騒動」と「コロナ騒動」の両方を経験した私たちとしては、今後も次々に出てくるであろう「新しい恐怖」に対して、どう立ち向かえばいいのか。
今こそ噛みしめたいのが、コロナ禍の頃によく言われた「正しく怖がる」というフレーズ。やみくもに騒ぐほうが、目先の充実感や達成感は得られますが、あとで振り返ると「なんであんなに騒いでいたんだろう」と思ってしまいます。
ちょっと恥ずかしくなるだけならまだしも、誰もがひとつ間違えると、他県ナンバーのクルマに石を投げつける的な「人としてどうかしている行為」をしでかすかもしれません。己の「正義感」や、その時々の「正しい意見」がいかにアテにならないかも、ふたつの騒動の共通点を通じて十分に学ぶことができます。
私たちは恐怖心や怒りや敵愾心を煽られると、我を忘れてヘンな考えや行動に走ってしまいがち。猛獣やウイルスだけでなく、ニュースを見聞きして激しく感情が揺さぶられたときは、くれぐれも気をつけたいですね。たとえば……いや、話が長くなりそうなので、各自でイメージをふくらませてもらうことにして、このへんで失礼いたします。