Japan News

ひき逃げか 軽乗用車と原付バイクが衝突 新聞配達員の男性が死亡 乗用車の運転手は現場から逃走

8日朝、岐阜県瑞穂市で軽乗用車と原付バイクが衝突し、原付バイクの男性が死亡しました。軽乗用車を運転していた人物は現場から逃走していて、警察はひき逃げ事件として調べています。

Nagoya TV News - YouTube

警察によりますと、8日午前5時すぎ瑞穂市別府で、通行人から「バイクが道路に倒れていた」などと警察に通報がありました。

警察がかけつけたところ、現場に横転した軽乗用車と転倒した原付バイクがあり、原付バイクに乗っていた瑞穂市の新聞配達員・井上哲也さん(53)が倒れていて、井上さんは病院に運ばれましたが、出血性ショックで死亡しました。

名古屋市中村区で原付バイクに乗った新聞配達員の男性、車にはねられ重傷 車は逃走し、警察はひき逃げで捜査|au Webポータル国内ニュース

一方、軽乗用車を運転していた人物は行方が分からなくなっていて、警察は原付バイクと衝突した後現場から逃走したとみて、ひき逃げ事件として、運転していた人物の行方を追っています。

Related Posts

体操メダリストの村上茉愛さん イケメン夫と結婚式!出席者も豪華…恩師が公開「末永くお幸せに」

体操指導者で1988年ソウルと92年バルセロナの両五輪で団体連続銅、ゆかで銅と銀メダルを獲得した池谷幸雄さんが23日までにインスタグラムを更新。自身の教え子で、21年東京五輪体操種目別ゆか銅メダリストで体操女子強化本部長に就任した村上茉愛さんの結婚式の出席したことを伝えた。 池谷さんは「教え子の村上茉愛が結婚式を挙げました 4歳でうちのクラブに来た茉愛が結婚式を挙げるとは、時の流れを感じます 元IGCのコーチや生徒とも会え、昔を思い出しました」とつづり、村上さんと夫でトレーナーの森田敦士さんの晴れ姿をアップ。「素晴らしい結婚式・披露宴でした これからの体操界を頑張って盛り上げてもらいたいと思います!末永くお幸せに」と祝福した。 集合写真には田中理恵さん、内村航平さん、白井健三さんらの姿があり、倒立でパフォーマンスする体操選手らしい写真も。 またNHKの中川安奈アナウンサーもインスタグラムで「笑顔、感動、そして幸せがいーっぱいの時間でした まいちゃん本当におめでとう りえさんキッズも可愛すぎたっ」を会場の写真を投稿していた。 村上さんは、床運動でH難度「シリバス」を武器に、17年世界選手権で日本女子63年ぶりの金メダルを獲得。21年東京五輪では同種目で個人種目では日本女子初の銅メダルをつかみ、同10月の世界選手権を最後に現役を引退した。昨年2月に森田さんとの結婚を発表した。

元大関・小錦さん、腎不全で妻から腎臓の移植手術…「これからも相撲の素晴らしさ伝える」

大相撲の元大関小錦八十吉さんと妻の千絵さん(2022年6月18日) © 読売新聞 大相撲の元大関の小錦八十吉さん(60)が23日、腎不全を患って妻の千絵さん(48)から腎臓の移植手術を受けていたことを明らかにした。今月4日に手術を受けた後の経過は良好で、23日に入院していた神奈川県鎌倉市の病院で記者会見を開いた。 サンタクロースの衣装に身を包んで元気な姿を見せた小錦さんは、「これからも世界の人々に相撲の素晴らしさを伝えていきたい」と述べた。

【動画】中山美穂さん かつて芸人の浜田雅功にアドバイス求めていた理由とは

自宅の浴室で急逝した歌手で俳優の中山美穂さん。出演したドラマ『もしも願いが叶うなら』では、共演のダウンタウン浜田雅功さんに演技のアドバイスを求めていました。 慣れないコメディー作品に挑戦した中山さんは、転ぶシーンをおもしろくしようと浜田さんにアドバイスを求めながら何度も二人で練習していたといいます。中山さんと浜田さんの息のあった掛け合いが話題となり、ドラマの平均視聴率は17.8%を記録しました。 中山さん自身も「コメディーは共演者と呼吸を合わせることが大切」と語り浜田さんを「本当のお兄ちゃんのようだった」と振り返っていました。 【↑ 上の写真クリックで動画へ】

「もう一度聞きたい」中山美穂さんの“一曲”ランキング 「推したい曲」が並んだ大混戦の15位以降 「なんてカッコイイんだ」とファン衝撃の曲も

12月6日に亡くなった、歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。1985年、「C」でデビュー以降、数多くのヒット曲を発表してきました。そのなかで、もう一度聞きたいという「一曲」は何か、AERA dot.編集部はアンケートを実施。3千超の回答から選ばれたランキングの15位以降は、「ファン以外にも聞いてほしい」と選んだ名曲がひしめく混戦状態に。 中山美穂さんは、1985年に放送されたドラマ「毎度おさわがせします」で彗星のように現れ、同年の初主演ドラマ「夏・体験物語」の主題歌『「C」』で歌手デビュー。その後も、多くのヒット曲を発表しました。 今回のアンケートは12月11~16日にインターネット上で実施し、3333人から回答がありました。 ■15位 未来へのプレゼント(1996年) 15位には同一票で3曲が並ぶ。1曲目「未来へのプレゼント」は、本人主演のフジテレビ系ドラマ『おいしい関係』主題歌でシンガーソングライターの岡本真夜とのコラボ曲だ。 「『おいしい関係』のドラマのストーリーにどっぷり浸かってました。この歌詞を聴くと励まされます」(40代、女性)というファンの声のように、「未来へのプレゼント」は多くの人の支えになってきた。 「あきらめそうな時に元気をもらえた」(50代、男性) 「自身が辛かった時に初めて聴いた歌で、歌詞と自身の思いがリンクし涙が溢れた1曲。今でも応援歌として聴いています」(50代、女性) 「小学生の頃に見ていたドラマの主題歌。今年のコンサートで初めて生で聞けて感動しました。歌詞にも励まされるので、今もう一度聞きたいです」(30代、女性) そして、ファンに勇気や元気を与えてくれた「未来へのプレゼント」を歌う中山美穂さんは亡くなってしまった――。 「今年のライブで歌ってくれました。歌う前のMCで、『歌詞がストレート過ぎるので、歌うことを躊躇することもあった』というようなお話をしていて、本当にいつも自分のことではなく、相手のことを思いやれる人なんだなと感じ、歌声を聴きながら泣いてしまいました。 そんな美穂ちゃんが大好きで、初めてTVで見た時から40年、ずっと追いかけ、ずっと応援してきました。訃報が入った当日のビルボードライブ大阪も会いに行く予定で、突然のお別れがまだ信じがたく、胸が痛いです」(50代、女性)

「中山美穂さん」パリで親交があったパティシエが語った「夜の街を歌いながら歩き」「辻さんと3人で飲んだ」日々

12月6日に急逝した中山美穂さん(享年54)はおしいものを食べるのも、お酒を飲むのも好きだった。通っていたお気に入りの店もいくつかあった。パリのケーキ店、東京の焼き肉店、ラーメン店……美穂さんと交流のあったパティシエや店主らが「食」を通して垣間見えた“素顔”を語ってくれた。 美穂さんは女優として活躍していた2002年、芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚。芸能活動を休止して、フランス・パリに移住した。そして04年に長男を出産。14年7月に辻氏と離婚するまで、パリに10年以上滞在した。 パリで美穂さんが行きつけだったのは、吉田守秀さん(47)が経営するケーキ店「MORI YOSHIDA」。同店がオープンしたのは2013年だが、吉田さんは美穂さんとの出会いをこう話す。 「出会いは僕がケーキ店をオープンしてすぐの頃です。知人のつながりで、食事会に誘っていただいたのが最初でした」 やがて、美穂さんは「MORI YOSHIDA」にも来るようになった。 「美穂さんは辻さんと夫婦で来たこともありますし、一人で来たこともありました。辻さんといるときは本当に静かでしゃべらない印象でしたが、美穂さん一人で来店すると、すごく明るくしゃべっていましたね」(吉田さん) 美穂さんと吉田さんは次第に打ち解けるようになり、外に少人数で食事に出かけるようにもなった。 「当時、パリに『みほ会』というのがあって、いろんな『みほ』さんが集まって、食事会を開いていました。そこに僕も入れてもらって、料理を手伝ったり、食事をしたりしていました。美穂さんはワイン好きで、特に白ワインが好みでした。3~4杯飲むとだいぶ出来上がって、それからが長いんです(笑)。みんなで楽しく飲むのが好きで、最初に酔っぱらって、人を楽しませるし、自分も楽しくなっちゃう人。異国暮らしで、いろんなストレスもあったのかもしれません。夜中に帰るときもあったし、朝まで飲んでいるときもありました。家が近所だったので、帰りは辻さんと息子さんが待つ自宅まで送っていく担当でしたね。今思うとかけがえのない時間でした」 お互いを「ヨッシー」「美穂さん」と呼ぶほど仲良くなると、帰り道のパリの夜の街を歩きながら、美穂さんは歌うこともあったという。 「ご自分の持ち歌の中で一番好きな曲は『ただ泣きたくなるの』だと話していました。原曲よりちょっと明るめにアレンジして歌いながら歩く美穂さんの後を、僕がついていくという感じでした」 ■「ヨッシーのケーキだと食べられちゃう」 美穂さんの自宅に着くと、辻さんが迎えてくれ、「せっかく来たんだから飲んでいって」と自宅に上げてもらったこともあったという。 「辻さんと美穂さんと3人で飲んだこともありましたね。最初のご自宅は現代建築の部屋だったんですけど、引っ越した後の家はオスマン調の昔ながらの天井の高いところでした。広すぎて寒いくらいでした」 美穂さんはパリでの生活を楽しんでいたようだ。 「ダンスを習っていると聞いたことがあります。ラテンぽいダンスで、飲みに行くと軽やかに踊っていました。『一緒に踊ろうよ』と誘われたこともありますが、僕は『パティシエは踊らないんですよ』と言って断っていました」  美穂さんとさまざまな話をするなかで、吉田さんには忘れられない言葉があるという。 「僕がわりとストイックにお菓子作りに熱中していて、パティシエ論?みたいな話になった時に、美穂さんがこう言ったことがありました。『ヨッシーみたいにお菓子一本でやってきた人もいるし、お菓子を楽しく作る生活の一部として、パティシエをしている人もいる。どちらも正解なんじゃないかな。パティシエにもいろんなタイプがいて、自分と違うタイプを否定するのは違うと思う。才能がある人もいるし、そうでもない人もいる。いろんな人がいていいんじゃないの』。この言葉に美穂さんの人柄があらわれているような気がして、今となっては余計に思い出してしまいます」 美穂さんは同店のイチゴショートケーキが好きで、それをほおばりながら「ヨッシーのケーキだと食べられちゃうんだよね。なんだか落ち着くわ」と語っていたという。 辻氏との離婚後、美穂さんは再び東京で暮らし始めた。歌手としてステージに立ち、女優としても復活を目指していた。 3~4年前から通っていたのが、渋谷区・笹塚にある焼き肉店「にくる」だ。店長の伊藤信太郎さん(44)によると、美穂さんは「3カ月に1回のペース」で同店を訪れていたという。最初は妹の忍さんが月に3~4回通っていて、そのうち、自然と姉の美穂さんを連れてくるようになったという。 ■焼き肉で好きだったのは「レバー」と「赤身」 美穂さんがいつも座る「指定席」は2階の個室。店の2階へは専用の外階段を使う構造になっていて、誰にも会わずに個室まで行くことができる。個室入ると、美穂さんのサイン入り色紙が飾られていた。 「美穂さんは遅めの時間に来られることが多かったですね。バックバンドのメンバーたちと練習終わりに来られたり。お肉では特にレバーがお好きでした。赤身の肉も召し上がっていましたね」 おしゃべりしながら、お酒も飲んでいたという。 「ワインも飲みますし、ジンベースのスダチのソーダ割りがおいしいと言ってくれていました。それでも2~3杯で、そんなに量を飲んでいたわけではないです。食事中もライスは食べず、野菜を一緒に摂っていて、健康にも気を使っているように見えました」 美穂さんを12歳でスカウトし、芸能界で育て上げた「恩師」の山中則男さんは、美穂さんの好物をこう明かす。 「若い時から肉はよく食べに行ったし、好きでしたね。『毎度おさがわせします』で女優デビューが決まった夜はディナーで、私の事務所の近くの『フォルクス』でステーキとサラダバーをイヤというほど食べましたよ。最高のディナーだったと今でも思っていますし、ドラマの撮影中でも時間があると『フォルクス』へ行きました。最初の海外ロケは写真集『もう一度お騒がせ 一生懸命』の撮影でハワイに行ったんですが、そのときも分厚いステーキをおいしそうに食べていました。他には、ラーメンも好きでしたね。ドラマの撮影では、楽屋にラーメンの出前を取ってよく食べていました」…

「中山美穂さん」パリで親交があったパティシエが語った「夜の街を歌いながら歩き」「辻さんと3人で飲んだ」日々

中山美穂さん 12月6日に急逝した中山美穂さん(享年54)はおしいものを食べるのも、お酒を飲むのも好きだった。通っていたお気に入りの店もいくつかあった。パリのケーキ店、東京の焼き肉店、ラーメン店……美穂さんと交流のあったパティシエや店主らが「食」を通して垣間見えた“素顔”を語ってくれた。   美穂さんは女優として活躍していた2002年、芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚。芸能活動を休止して、フランス・パリに移住した。そして04年に長男を出産。14年7月に辻氏と離婚するまで、パリに10年以上滞在した。 パリで美穂さんが行きつけだったのは、吉田守秀さん(47)が経営するケーキ店「MORI YOSHIDA」。同店がオープンしたのは2013年だが、吉田さんは美穂さんとの出会いをこう話す。 「出会いは僕がケーキ店をオープンしてすぐの頃です。知人のつながりで、食事会に誘っていただいたのが最初でした」 やがて、美穂さんは「MORI YOSHIDA」にも来るようになった。 「美穂さんは辻さんと夫婦で来たこともありますし、一人で来たこともありました。辻さんといるときは本当に静かでしゃべらない印象でしたが、美穂さん一人で来店すると、すごく明るくしゃべっていましたね」(吉田さん) 美穂さんと吉田さんは次第に打ち解けるようになり、外に少人数で食事に出かけるようにもなった。 「当時、パリに『みほ会』というのがあって、いろんな『みほ』さんが集まって、食事会を開いていました。そこに僕も入れてもらって、料理を手伝ったり、食事をしたりしていました。美穂さんはワイン好きで、特に白ワインが好みでした。3〜4杯飲むとだいぶ出来上がって、それからが長いんです(笑)。みんなで楽しく飲むのが好きで、最初に酔っぱらって、人を楽しませるし、自分も楽しくなっちゃう人。異国暮らしで、いろんなストレスもあったのかもしれません。夜中に帰るときもあったし、朝まで飲んでいるときもありました。家が近所だったので、帰りは辻さんと息子さんが待つ自宅まで送っていく担当でしたね。今思うとかけがえのない時間でした」 お互いを「ヨッシー」「美穂さん」と呼ぶほど仲良くなると、帰り道のパリの夜の街を歩きながら、美穂さんは歌うこともあったという。 「ご自分の持ち歌の中で一番好きな曲は『ただ泣きたくなるの』だと話していました。原曲よりちょっと明るめにアレンジして歌いながら歩く美穂さんの後を、僕がついていくという感じでした」 「MORI YOSHIDA」のオーナーパティシエ・吉田守秀さん(「MORI YOSHIDA」提供) ■「ヨッシーのケーキだと食べられちゃう」 美穂さんの自宅に着くと、辻さんが迎えてくれ、「せっかく来たんだから飲んでいって」と自宅に上げてもらったこともあったという。 「辻さんと美穂さんと3人で飲んだこともありましたね。最初のご自宅は現代建築の部屋だったんですけど、引っ越した後の家はオスマン調の昔ながらの天井の高いところでした。広すぎて寒いくらいでした」 美穂さんはパリでの生活を楽しんでいたようだ。 「ダンスを習っていると聞いたことがあります。ラテンぽいダンスで、飲みに行くと軽やかに踊っていました。『一緒に踊ろうよ』と誘われたこともありますが、僕は『パティシエは踊らないんですよ』と言って断っていました」  美穂さんとさまざまな話をするなかで、吉田さんには忘れられない言葉があるという。 「僕がわりとストイックにお菓子作りに熱中していて、パティシエ論?みたいな話になった時に、美穂さんがこう言ったことがありました。『ヨッシーみたいにお菓子一本でやってきた人もいるし、お菓子を楽しく作る生活の一部として、パティシエをしている人もいる。どちらも正解なんじゃないかな。パティシエにもいろんなタイプがいて、自分と違うタイプを否定するのは違うと思う。才能がある人もいるし、そうでもない人もいる。いろんな人がいていいんじゃないの』。この言葉に美穂さんの人柄があらわれているような気がして、今となっては余計に思い出してしまいます」 美穂さんは同店のイチゴショートケーキが好きで、それをほおばりながら「ヨッシーのケーキだと食べられちゃうんだよね。なんだか落ち着くわ」と語っていたという。 「MORI YOSHIDA」中野店のケーキ(撮影/上田耕司) 辻氏との離婚後、美穂さんは再び東京で暮らし始めた。歌手としてステージに立ち、女優としても復活を目指していた。 3〜4年前から通っていたのが、渋谷区・笹塚にある焼き肉店「にくる」だ。店長の伊藤信太郎さん(44)によると、美穂さんは「3カ月に1回のペース」で同店を訪れていたという。最初は妹の忍さんが月に3〜4回通っていて、そのうち、自然と姉の美穂さんを連れてくるようになったという。…

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *