Japan News

加茂さくらさん通夜しめやかに 宝塚OG「宝友会」会長・未沙のえる「宝塚のプリマドンナ。象徴でした」

21日に肺がんのため87歳で亡くなった元タカラジェンヌで女優の加茂さくら(かも・さくら、本名大谷照子=おおたに・てるこ)さんの通夜が24日、兵庫県・尼崎の斎場でしめやかに営まれ、親族、関係者60人が参列した。法名は釋尼照安。

加茂さくらさんの通夜しめやかに…宝友会会長の元専科・未沙のえる「『宝塚のプリマドンナ』の象徴」 : 読売新聞

真っ白な胡蝶蘭に囲まれた加茂さんの遺影が中央に。棺には加茂さんが一番好きだった私服1着と数珠が入れられた。

式場にはかつて相手役を務めた故・眞帆志ぶき名義の供花や、他にも汀夏子、榛名由梨、安寿ミラ、真琴つばさらからの供花が並んだ。

通夜に参列した元タカラジェンヌで女優の未沙のえる。昨年7月の宝塚音楽学校創立110周年記念式典では、卒業生によるトークコーナーで未沙が進行役を務め、加茂さんがパネリストに。加茂さんは「私たちの頃は制服がなかった」などと答えていた。未沙は宝塚OGが交流する「宝友会」の会長で「病気のことは知りませんでした。11月の宝友会の総会に来られず、どうしていらっしゃるのかなと思ってた。宝塚のプリマドンナ。象徴でした。ホントにびっくりしてます」と故人を偲んだ。

喪主の弟・清さん(84)によると「かなり前から乳がんを患ってた。肺などに転移して6月に入院。最期は間に合わなかった。苦しかっただろうなと思う」と目を伏せた。

Related Posts

中学校で頭から血を流した男性遺体見つかる 教頭から通報 学校関係者ではないとみられる 岐阜・中津川市

岐阜県中津川市の中学校で、頭から血を流した状態の男性の遺体が見つかりました。警察は事件事故の両面で調べを進めています。 警察によりますと26日午前8時過ぎ、中津川市立第二中学校で「男性が屋外で血を流して倒れている」と教頭から警察に通報がありました。 通報を受け警察が駆け付けると校舎とグラウンドの間の通路で成人男性が頭から血を流して倒れていて、その場で死亡が確認されました。 男性は上下黒色のジャンパーとズボンを着用していて、目立った外傷はないということです。 男性は学校関係者ではないということで、警察は男性の身元の確認を進めるとともに事件事故の両面で調べを進めています。  

植草克秀、デビュー〝同期〟の中山美穂さんを追悼「まだ若かったのに…残念です」

歌手、植草克秀(58)が25日、東京・文京区の東京ドームホテルでディナーショーを開催。サンケイスポーツの取材に応じ、12月6日に急死した女優で歌手、中山美穂さん(享年54)を追悼した。 中山さんは1985年6月に「C」で歌手デビューし、植草は同12月に少年隊として「仮面舞踏会」でデビューした〝同期〟。突然の訃報に「ニュースを見て、最初は信じられなかった。あの頃の女性アイドルでトップの存在。まだ若かったのに…残念です」と悼んだ。 デビュー以降はTBS系音楽番組「ザ・ベストテン」などで共演することはあったが、互いに多忙のため「仕事現場ですれ違うことが多かった」という。それでも「また仕事でお会いできればと思っていたのに…」と悲痛な面持ちだった。  

堀ちえみ 数奇な運命“ドジでのろまな亀”千秋と重なるリハビリ生活 ステージ4舌がん克服後初の歌番組出演

歌手でタレントの堀ちえみ(57)がステージ4の舌がんを克服し、このたび、大みそかに放送されるテレ東系「第57回 年忘れにっぽんの歌」(後4・00)の収録に臨んだ。観衆が見守る歌番組への出演は復帰後初で、感極まり大粒の涙を流した。一時は死をも覚悟したという、かつてのトップアイドル。自身の道のりが、かつて主演を務めたTBS系ドラマ「スチュワーデス物語」での、“ドジでのろまな亀”と評されながらキャビンアテンダント(CA)に採用された千秋役と重なるという。苦労を乗り越えての成功体験を語った。 堀ちえみ(57)がステージ4の舌がんを克服し、このたび、大みそかに放送されるテレ東系「第57回 年忘れにっぽんの歌」(後4・00)の収録に臨んだ。観衆が見守る歌番組への出演は復帰後初で、感極まり大粒の涙を流した。一時は死をも覚悟したという、かつてのトップアイドル。自身の道のりが、かつて主演を務めたTBS系ドラマ「スチュワーデス物語」での、“ドジでのろまな亀”と評されながらキャビンアテンダント(CA)に採用された千秋役と重なるという。苦労を乗り越えての成功体験を語った。 【写真】アイドル時代をほうふつさせる堀ちえみ 演歌、歌謡界を代表する歌い手が集う人気歌番組に出演を果たし、観客に完全復活を印象づけた。病に伏せていた時は想像もできなかった。ペンライトを持ったファンから“ちえみコール”を受け、テレビカメラを向けられながら歌い続けた。 「もう経験できないと思っていたので、感無量です。昔の自分が蘇ったというか、私の中で一生思い出に残るシーンになると思います」 19年2月にステージ4のがんと診断され、舌の6割以上を切除した。「生きられるかどうかも大きな問題というか大きな壁であったので…」。命も危ぶまれただけに舞台に立つことは奇跡にも近い。出演者からも「おめでとう」と涙ながらに声をかけてもらった。 不安もあったが、共演した“花の82年組”で同期デビューの存在が心強かった。「(早見)優ちゃんがいてくれて、安心できた部分もありました。手術の前からずっと応援してくれて。同期はみんないい仲間」。復帰後のライブは度々見に来てくれ、LINEでも励ましをくれた間柄。勇気をもらい続けてきただけに感慨深かった。 リハビリ中の苦労の日々はかつて演じた「スチュワーデス物語」の主人公・千秋と重なる部分があるという。「私はドジでのろまな亀です」と自身を評する訓練生が、CAになるため村沢教官らに励まされ、一人前になる物語だが「数奇な運命というか不思議だなと。ああいう風に生きていくのは大変だと思っていましたが、自分とは正反対の役ではなかったと今、思います」とうなずいた。 リハビリ中の“教官”は自宅で発声練習などをしている時も「ちえみは運がいいから絶対大丈夫」と励ましの言葉をかけてきた夫で会社経営者の尼子勝紀さんであり、7人の子どもたち。「主人も子どもも、存在がすごく大きかった。最後まで頑張ったという背中を見せないといけないと思ってリハビリを続けました」と振り返る。 トップアイドル時代に幾度となく大舞台で歌ってきた経験がなせる技か、現在はしゃべる時よりも歌っている時の方が言葉がスムーズに出るという。 「テンポに乗せた方が言葉が明瞭なんです。若い時に培ったものは、どんな状況になっても思いだしてくれるんだなと思う時があります」 今年2月には、舌がん完治と診察され、現在は体調もすこぶるいいと言い切る。「来年は1枚、アルバムを出せたらいいなと。レコーディングって生で歌うよりもハードルが高いですけど、なんとかクリアできたので、はい、もっとうまく歌いたいと思っています」。さらなる向上心を持って聞いてくれる人々のためにマイクを握る。 ◇堀ちえみ(ほり・ちえみ)1967年2月15日生まれ。大阪府堺市出身。81年、第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝し、芸能界入り。82年にシングル「潮風の少女」で歌手デビュー。83年、TBS系ドラマ「スチュワーデス物語」に主演し大ブレーク。86年にはフジテレビ系「花嫁衣裳は誰が着る」で主演した。87年に芸能界を一時引退。医師と結婚し、3児をもうけるも99年に離婚。2011年に、現在の夫・会社経営者の尼子勝紀さんと3度目の結婚。血液型B。夫の連れ子を含む7児の母として奮闘中。ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝し、芸能界入り。82年にシングル「潮風の少女」で歌手デビュー。83年、TBS系ドラマ「スチュワーデス物語」に主演し大ブレーク。86年にはフジテレビ系「花嫁衣裳は誰が着る」で主演した。87年に芸能界を一時引退。医師と結婚し、3児をもうけるも99年に離婚。2011年に、現在の夫・会社経営者の尼子勝紀さんと3度目の結婚。血液型B。夫の連れ子を含む7児の母として奮闘中。

【西武】不倫報道の源田壮亮は「処分なし」へ 球団関係者「家庭内の問題」

西武・源田壮亮内野手(31)が不倫関係を続けていたと25日の文春オンラインで報じられた。 記事によると、銀座の高級クラブで働く20代女性と1年近くにわたって交際し、11月に開催された国際大会「プレミア12」で台湾遠征中に密会。同月末に行われた選手会納会ゴルフの前日にも、埼玉・川越市内のホテルに同宿させるなど逢瀬を重ねていたという。 源田は2019年10月に元乃木坂46の衛藤美彩(31)と結婚。夫婦の間には2人の子供がおり、ともに〝温泉県〟である大分出身のおしどり夫婦としてメディアへの露出も増えていた。源田は文春の直撃に不倫関係を認めており、本人のイメージダウンはもちろん、この問題が多方面に与える影響も懸念される。 チームにとっても大きな痛手だ。今季は49勝91敗3分けの借金42という歴史的な惨敗で最下位に沈んだ。西口文也監督(52)を新指揮官に迎え、再建を図る真っただ中にある。この日は球団の仕事納めで、奥村球団社長の「ファンの皆さまとひとつでも多く喜びを分かち合えるシーズンにすべく、一丸となって励んでまいります」とのコメントが発表されたばかりだった。 しかも、源田は来季も〝核〟となる戦力だ。チーム内の競争を促す西口監督は「今のところレギュラーは源田のみ。それしか考えていない」と源田の遊撃以外をすべて白紙としている。しかし、あろうことか唯一のレギュラーで、チームの顔でもある源田に不倫報道が飛び出したのだからショックは計り知れない。 今回の源田の報道を受け、球団関係者は「記事内容を見ても分かる通り、この件は源田の家庭内の問題。特に本人に対する処分などは考えていません」と打ち明けた。 2020年以降、西武ではペナルティーを科せられた事例が複数件あったが「コロナ禍におけるチーム内ルールを破ったことによる処分」という。また、昨季中に知人女性とのトラブルが発覚した山川(現ソフトバンク)は「無期限の公式戦出場停止」だった。同関係者によると、この件は不起訴になったものの相手女性から被害届が出された上、警視庁から東京地検へ「書類送検された事態を重く受け止めての処分」だったいう。 今回の一件は「民法上の不貞行為にあたる家庭内の問題」と一線を引いているが、再建途上のチームは頭痛の種が尽きない状態となっている。

森口博子、中山美穂さんからの忘れられない言葉 FAXでやり取り「全てが美しい、誇らしい同期」

歌手の森口博子が24日、テレビ朝日系「昭和の名曲グランプリ2024」で、6日に亡くなった中山美穂さんについての「忘れられない言葉」を涙を浮かべながら明かした。 中山さんの歌う映像を紹介した後、中山さんと同期の森口は「キングレコードでも一緒で、ディレクターさんも一緒で、会ってるときも、会ってないときでもスタッフを通じて美穂ちゃんの頑張り、届いていた」とコメント。 「ドラマで共演しているときは、当時は携帯電話とかなかったときなので、夜中にファックスを送り合って。本名で呼んでくれていたが、忘れられない言葉が、すごく忙しかったときに美穂ちゃんが『心は元気ですか?』って書いてくれて」と言うと涙を浮かべた。 「普通は『体調は大丈夫ですか』とか書くのに、明日も頑張り過ぎないで楽しんでねって」と声を詰まらせた。「常に周りの人のことを見ていてくれた。本当に優しい美穂ちゃんだった。演じても歌っても話しても全て美しい。誇らしい同期だった」と言って涙をぬぐっていた。

矢部浩之 数千万の借金を肩代わり、一時は絶縁…他界した“ダメ人間”実父との複雑交流

「昔よく父親のダメ人間ぶりをネタにしていたんですけど。どうしようもない父親で、お酒、ギャンブル、大借金もして、物欲も強くて……。そんな父親が去年末に亡くなったんですよ」 こう語ったのは、ナインティナイン・矢部浩之(53)。12月24日に放送された『踊る!さんま御殿!!』の特番『Xマス特大さんま御殿 聖夜に人気者が大集合 お笑い怪獣50周年祭』(日本テレビ系)で、昨年末に他界した父の“最後の言葉”を明かした。 最後は声を出す力もなくなった父に、ひらがな50音のコミュニケーションボードを作ってあげたという矢部。「(父の)頭と耳はしっかりしているんで、こっちがしゃべったことをボードに指すと。『今日天気いいな、お父ちゃん』って言ったら、(父がボードを指して)『そうやな』で会話してたんですけど」と振り返った。 亡くなる1週間ほど前には手招きで矢部だけ呼ばれたといい、「ボード指したんですね。何を指すんかなと思ったら、『す』『ま』。うわ、これ最後に謝るんや(と思って)……。そこまで涙出てきたんですよ。『うわ、泣いてしまう、俺』と思ったら、続きがあって」とコメント。なんと父は「スマホがほしい」と求めてきたといい、「そんなことある?」「いま欲しがる? 天国行くのに?」とスタジオの笑いを誘っていた。 自ら“父をネタにしてきた”と語った矢部だが、これまでバラエティ番組などで実家の複雑な金銭事情を明かしてきた。 「矢部さんは何不自由なく育てられてきたそうですが、高校を卒業する間際に、両親が生活のために数千万円もの額を借り入れしていたことが発覚。ナインティナインでデビューして以降は、父からお金を無心されることが増えていったといいます。 さすがに矢部さんも“いい加減にしてくれ”と怒ったそうですが、お父さんから『勘当じゃ!』と“逆ギレ”されたとか。矢部さんは’16年2月放送の『解決! ナイナイアンサー!』(日本テレビ系)で、借金を自分が肩代わりして全額返済したと明かし、『腐っても親やな……。仕事もあって収入もあったから、そういう考え方できたと思うんでしょうね』と振り返っていました。 また同年11月には『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)で、“20年間黙っていたこと”として『実はうちの親父、前科一犯でした』と告白。矢部さんは兄から、父が若い頃に飲酒してケンカになり、警察の世話になったことを知らされたといいます。それでも番組では『矢部浩之は前科者の息子です』とジョークを飛ばし、場を盛り上げていましたね」(テレビ誌ライター) ■突然両親がやってきて、父が土下座でお金を催促したことも…… ’21年5月放送の『人志松本の酒のツマミになる話』(フジテレビ系)では、“借金完済の裏話”も語っていた矢部。 借金をめぐるケンカで「勘当じゃ!」とまで言ってきた父に、矢部も堪忍袋の緒が切れてしまい、「もう2度と連絡してくるな」と通告したという。とはいえモヤモヤした気持ちを抱えながら1カ月ほど経ったころ、両親が東京にある矢部の自宅を突然訪ねてくることに。父から土下座をされ「全部お父ちゃんが悪い」「ほんまに最後や、貸してくれ」と頼み込まれたといい、“今度こそ最後”という約束でお金を渡したと明かしていた。 「この時、矢部さんは大阪からやってきた両親のために、自分のマンションの隣にあるホテルを予約してあげたそうです。両親の宿泊代を支払うために翌日ホテルに行くと、ルームサービスまで頼んでいたことが発覚。矢部さんはこのエピソードを披露すると、『こいつら、反省してないな!』と冗談めかしてツッコミを入れていました。 矢部さんのお父さんは、すぐ人にお酒を振る舞うなど見栄をはってしまう性格だったそう。矢部さん自身も子どもの頃は、何でも買い与えてもらったといいます。矢部さんは後に別の番組でも、“自分が芸人になっていなかったら矢部家解散していました”と語っていました。それでもテレビ番組などで“面白いお父さん”と称するなど、慕っている印象です」(前出・テレビ誌ライター) そんな矢部も’13年3月に元TBSアナウンサーの青木裕子(41)と結婚し、現在は2児の父だ。同年4月放送の『めちゃ×2 祝ってるッ! 矢部浩之・裕子結婚披露宴 緊急生放送スペシャル!!』(フジテレビ系)では“公開披露宴”が行われたが、矢部家の出席者は長男・美幸さんだけだった。 当時、本誌が美幸さんを直撃すると、“矢部家ならでは”の事情をこう教えてくれた。 「(母は)パートが抜けられないんです。工場で働いていて、けっこう好待遇でなんと時給1,000円なんです。『東京まで行ったら、往復3万円はかかる。宿泊代を入れたら、もっとするわ。プラスマイナス考えたら、パート休めるわけないやん』と断言してました(笑)。貧乏暮らしが長かったですからねぇ。目の前のお金を、しゃにむに捕まえにいくんです。『今ある仕事を大切に』。矢部家の家訓です」 また当時、矢部の父はヒザの状態が悪く、三男は仕事が忙しかったといい、美幸さんは「壮大なコントに付き合うよりも、日々の仕事が大事ってことですね(笑)。これが、ウチのおかんの方針なんです」と語っていた。 父の傍若無人さに頭を悩まされたこともあったという矢部だが、家族を大切に思うからこそ苦労を笑いに昇華させられるのだろう。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *