
2020年に引退した元プロレスラーの中西学さん
ワイルドな風貌に体重120キロの巨体で「野人」「和製ヘラクレス」と呼ばれた元プロレスラーの中西学さん(58)。新日本プロレスで第51代IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座(第31、39、49代)に輝き、数々の名勝負をプロレス史に刻んできたが、2020年に惜しまれながら現役を引退。
あの屈強な男がリングを去ってから5年、現在は愛知県で仕事をする中西さんに、引退を決意した理由、世間を騒がせた激やせの真相、今の生活について聞いた。【前後編の前編】
「わざわざ名古屋まで来られたんですか? 自分でよければなんでもお話するので聞いてください」──待ち合わせ場所へ向かうと、ランニングシャツにジーパン姿の中西さんが取材班を出迎えてくれた。
「今は名古屋で月に1回、ネットラジオ番組に出たり、永田裕志選手のYouTube番組に呼んでもらったりしています。現役のときはシボレーのトレイルブレイザーに乗っていましたけど処分して、こっちに来てからは車じゃなくて自分の足で走ったりとかしています。
家から10キロくらいの名古屋までなら昔は1時間あればジョギングできましたけど、今は3~4時間かかっちゃいますね」
──初っ端から“野人節”を炸裂させた中西さんだが、現役時代と比べ、少し痩せたように見える。
「現役の頃は身体の大きな選手を相手にしていましたので、壊されないようにたくさん食べて、体重は140キロほどありました。今は主に自炊しています。得意料理はホットプレートで、野菜とか肉に、米や麺を一緒に入れてつくることですね。体重は95キロを行ったり来たりという感じで、病気とかじゃないですよ(笑)」

中西さんの得意技「アルゼンチン・バックブリーカー」
──現役時代から45キロも体重が減ったのですね。現役の頃、鍛え上げられた身体は「和製ヘラクレス」と呼ばれていました。
「実は試合でもすぐにバテて粘れなくて、思うようなプロレスができない時期がありました。そのときに、信頼していた知人から『ちゃんとスクワットやってるか?』って言われて。最初は半信半疑だったけど、バーベルを担いでスクワットで下半身を鍛えて、太くなったら上半身の筋肉もついてきました。要は“でっかいお皿があったらいっぱい肉も盛れるやろ”ということで、1カ月ほど徹底的に下半身を鍛え続けたのです」
──その強靭な下半身が中西さんの得意技「アルゼンチン・バックブリーカー」(肩の上に相手を仰向けに乗せ、あごと腿を掴み反り上げる)を完成させたんですね。
「自分はデビュー戦からずっと鳴かず飛ばずでした。相手を捕まえに行こうとするけど、向こうの動きが素早いから捕まえらえず体力を消耗してしまって、いいパフォーマンスができない。
それだったら向かってくる相手を捕まえりゃいいと思って、『アルゼンチン・バックブリーカー』で普通の人が持ち上げらないような選手を持ち上げました。体重120キロのタイガー・ジェット・シンや、身長218センチのジャイアント・シルバも持ち上げてやりましたよ」

第51代IWGPヘビー級王座に輝いた
緊急搬送…そして全身麻痺
──人気絶頂だった44歳のとき、2011年6月4日の地元・京都大会でジャーマンスープレックスを受けて、頸椎を損傷する大ケガを追いました。そのまま病院に緊急搬送され、当初は全身が麻痺した状態だったそうですね。
「『ジャーマン・スープレックス』でリングに叩きつけられて、記憶が飛んだことがあって。その時、多分どっかに行っていたんでしょうね。首を痛めて、30秒くらいは“上”にいたかもしれないです(笑)。戻ってこれたんでよかったですけど」
──30秒も?
「そのまま担架で運ばれて、痛さはもはや覚えていませんね。病院に行くまでの救急車の中で、身体が少し動き出したので『これは大丈夫かな』と思いました」
──現役復帰も絶望的だったんでしょうか。
「一番の原因は長年、首の鍛錬をしていなかった自分の責任です。自分の負傷でプロレス業界、後輩や会社にもほんまに迷惑かけました。最初は手術を回避する治療方法を模索していたんですが、東京の病院で手術をしたのは、ケガをしてから4カ月後でした」
──どうでしたか?
「首の手術は2~3時間ほどかかりました。長年、首が狭窄症という形で、延髄で骨が圧迫されている状態だったので、手術できれいに問題箇所を取ってもらって、筒の中にちゃんと延髄を入れてもらいました。今も痺れるときはありますけど、日常生活は大丈夫ですし、まだまだ走れます」
──約1年半のリハビリ期間を経て、2012年10月に492日ぶりに新日本プロレスのリングに復帰して、カムバックを果たしました。しかし、2020年に突然、引退を発表されました。
「手術から9年間、受け身がちゃんとできなくなったんです。自分の身体をケアしながらの試合しかできず、パフォーマンスとして本当にお客さんに対しても申し訳ないし、試合相手に対しても申し訳ないし、迷惑かけましたね。
会社と話し合い、引退を決めました。他の団体でというのは考えてなかったですね、自分は新日本に憧れて育ててもらい、いまだに契約していただいていて、恩返しをしたいっていうのがあります」
──いつまでプロレスラーを続けたかったですか?

現役時代から45キロも体重が減った
「『生涯現役』とか、カッコいいことばかり言ってしまうんですけど……。大ケガをしてこういうふうになるのが自業自得やなと思いつつ、自分で自分の首を絞めていたところもありますが、プロレス好きだから続けたかったですね。
心残りというか、後悔がないと言えば嘘になりますけど、自分がここまで来られたのはたくさんの人に助けてもらったからだし、いまだに助けてもらっています。恩返しをしていかなあかんな、何かできないのかなっていうのはいつも考えています」
──多くのファンがリングで躍動する中西さんの姿を今も鮮明に覚えています。
「プロレスラーの方が試合中の事故でケガをして、大谷晋二郎さん(頸髄損傷)や高山善廣さん(頸髄完全損傷)とか、命をかけて戦ってきた。そんな中で、2人が今も前向きに生きて努力されているのは嬉しいなと思います。もしこの先、試合の出られる機会があったら、自分もまた出られたらうれしいですね」
(後編に続く)
取材・文/千島絵里香(ジャーナリスト)