25 November 2025
11月23日、歌舞伎役者のが、自身のブログを更新。中学2年生になった娘・麗禾(市川ぼたん)と過ごした休日の様子を投稿し、あるアイテムに反響が集まっている。 この日、團十郎は《今日は予定なしの日》とつづり、コーヒーを飲んだり、お香を楽しんだりと、自宅でゆっくり過ごす写真をアップしていた。昼近くになると、「麗禾とお散歩」というタイトルでブログを更新し、黒いダウンコートに身を包んだ麗禾の後ろ姿をアップ。《ママのコート いこか》と、コートが亡き妻・さんの持ち物だったことを明かした。 その後は、麗禾と公園を散歩したようで、大きな木の下で微笑む麗禾を公開。《なんでもない時間が、とても幸せ》と、家族の時間を満喫した様子だった。コメント欄では、「ママのコート見てるだけでジーンときます」「麗禾さんの成長を感じます」など、麻央さんのコートをまとった麗禾の姿に感激する声が寄せられている。 2017年、麻央さんが34歳の若さで亡くなってから、團十郎はシングルファザーとして長女の麗禾、長男の勸玄(市川新之助)を育ててきた。18日に放送された『孝太郎&ちさ子 プラチナファミリー 華麗なる一家をのぞき見』(テレビ朝日系)では、親子3人で登場。麗禾は14歳、勸玄は12歳という成長ぶりに、視聴者からは驚きの声があがっていた。 「番組のなかで、團十郎さんは『晩酌してないからな……』と明かし、『まったく飲まないんです。もう10年以上』と、お酒自体を断っていると告白しました。團十郎さんの一家は短命で、自身も祖父・11代め團十郎とは会ったことがないそうです。『俺はどうしても子ども2人の孫に会いたい。お酒やめちゃいました』と語っていました。 團十郎さんといえば、若い頃は派手に飲み歩くタイプでしたが、すっかり落ち着いたようです。子どもたちと話している様子も和やかで、いい関係性を築いていることが伺えます」(芸能記者) 麻央さんが亡くなって8年。彼女のコートを娘が受け継いだことが、子育てに心血を注いできた團十郎と、その子供たちとの強い結びつきを感じさせた。
25 November 2025
中村文則氏が新作について語る(撮影/朝岡吾郎) 写真一覧 前作『列』のモチーフとなった「列に並ぶこと」は、人生や人間社会そのものを映し、私達に客観視させる装置のようでもあった。 一方、最新作『彼の左手は蛇』のモチーフは「蛇」。奇しくも本書を巳年に上梓した巳年生まれの中村文則氏は、後書きにこう書いている。〈以前からの読者のかたは、この小説があまりに僕らしいと感じたかもしれない。まるで名刺ではないかというような〉……。 主人公は、仕事をやめ、女と別れ、町とは名ばかりの過疎地に3か月前に越してきた〈私〉。1週間前、近所で毒蛇が逃げたと聞いて以来、〈昔、私の左手にいた蛇が、私を追いここまで来たのではという〉〈気がかりな感覚〉があったと綴る彼の手記を通じて、読者はその〈蛇信仰〉が残る町で起きた一連の奇妙な出来事について知ることになる。 が、〈この手記は私の拠り所だった。蛇が枝に巻きつくように、私はこの手記に自分の正常を委ねている〉とあるように、全ては彼の脳内で起きたことともいえ、その仄暗い衝動の先に待つのは破滅か、または光か。 「本が今年出たのは偶然ですけど、元々神話や説話で蛇がなぜ悪や性的な象徴として描かれるのか、気になっていたんです。それで歴史を調べてみたら、仏教とかキリスト教とか、今多数派の宗教が広がる前は世界中に蛇信仰があって、日本でも縄文期まではそうだったと。それが弥生のシステム化した社会とか、多数派の宗教に取って代わられたことで悪役に追いやられていて、ずっと少数派で生きてきた自分にはピッタリの題材だなと思って(笑)。 そんな一度は駆逐された蛇信仰の復活を夢見る男の話を書いたら、今に必要な物語ができる気がしたんです。こういう抑圧的で生きにくい時代だけに、自然信仰の一種で、荒々しくて、生きることの象徴のような精神は重要だと。 今、不当な評価をされたり、実は内面に苦しさを持ってる人は多いと思う。でも世界の方が間違ってる、つまり別の価値観で見たら、自分の評価も全然違ってくるかもしれないんですね。私見ですが、かつてキリスト教圏で特にペストが広がったのは鼠をとる蛇を遠ざけ、邪悪扱いした弊害じゃないかと資料を読んで思ったし、価値観は決して今あるものだけが正しいわけじゃない。社会からの評価にそこまで囚われる必要はない、というのもテーマのひとつです」 〈忘れられ、封じられた神〉になぜ主人公が魅入られたのか、読者は彼の幼少期の記憶をまずは遡る形で聞き、〈今週の土曜、「町」で有志による蛇狩りがある〉〈逃げた毒蛇は一匹ではないという。全て私が集めたい〉と決意表明した時点では既に、彼がオーストラリア原産の〈インランドタイパン〉の雌と遭遇し、家に連れ帰っていたことを知らされる。 彼は蛇が好みそうな底の深いバッグの中に毒蛇を誘導し、自宅の浴槽で隠し飼う。そして、件の蛇狩りで、逃げた蛇の産地が世界各地に亘ること、また、いずれもが猛毒を持ち、かつ美しいその蛇達の所有者が、実は〈Q山〉の麓の白蛇を祀る神社の〈宮司〉ではないかと住人らが疑っていることを知る。 そして空振りに終わった狩りの帰り道、彼は〈あなたでしょう〉〈蛇を逃がしたのは〉と参加者の女に言われ、見るとそのすぐ背後には体長2メートル級の〈ブラックマンバ〉が──。 手記だけに、彼の筆は過去の記憶や、蛇と人をめぐる畏敬と排斥の歴史など、あらゆる方向へいく。そして蛇を匿う者が浴槽を使えないことを見越してか、銭湯の近くを張り込む〈Q署の刑事〉や、東京にいた頃の彼を知っているという〈市議会議員〉。 さらに〈彼の左手は蛇なんです〉〈その蛇はやがて消えるだろうけど、大事にした方がいい〉と保育園の頃に同級生を殴った彼の衝動を認めてくれた〈精神科医〉や、彼の通訳時代の元雇い主で、次期大統領選に出馬が噂される実業家〈ロー・K〉の来日まで、〈これはテロの書だ。誰も読んではならない〉という孤独な彼の告白は、意外にも多くの人の運命と絡み合っていくのである。 物語に込めた様々な裏テーマ 「蛇信仰そのものもそうですが、それがどのように迫害、抑圧されてきたかに興味があったし、もうひとつは、頼れる人が周りにいない子供は、想像上の友人を作るとよく言われるでしょう。 それが、幸い僕の場合はいい存在だったけど、例えば神戸連続児童殺傷事件の犯人がつくった神はよくなかった。性に目覚める思春期まで持ち込むと時に危なくて、主人公も自分の正体が実は蛇で、お前は14歳になったら〈女を飲みたくなる〉と言われた記憶に苛まれる。相手が嫌がることを実行したら駄目だけど、色んな性衝動自体は自然とも伝えたかった。今は性的な話を避けがちで性=悪みたいな風潮もあって、小中学生の男子が自分の性に罪悪感を持ってしまうかもしれない。それはよくないです。 同時に、性被害を受けたとも言われる(西洋の神話で死ぬ)メデューサが本書では生き、性加害側が死ぬように神話とは逆にしています。女性の生きづらさ、男性の生きづらさ、両方を書いています」 〈世界は今、驕りの文明で行き詰まっている。抑圧と不平等に満ちている〉〈この失われた宗教を、復活させたらどうだろう〉と言って、ますます蛇に魅入られていく主人公の姿は時に危うくもあるが、この一見風変わりな物語の最後に、中村氏は思わず泣き出したくなるような光を用意する。 「もちろん人によって好みはありますけど、やっぱり小説って読んでよかった、出会えてよかったと思えるものがいいと、僕は思うんですよね。特に今回は手記だったり、デビュー作『銃』の拳銃の代わりに蛇を拾ったり、今までやってきたことをより深めた作品です。 日本神話でスサノオに排除された大蛇ヤマタノオロチが仮に復活したとしたら、日本の最大の抑圧者に歯向かうはずで、それは日本政府でも天皇でもなく、日本を巧妙に操るアメリカになる。様々な裏テーマを込めた物語にもなっています。もちろん政治的に読む必要はないんですけど、右傾化が戦争に繋がるのは人類の歴史が示す通りで、僕は巻き込まれたくないし、読者にも巻き込まれてほしくないんです」 その奥行きに遅ればせながらもハッとした時、私達はこの驕れる世界の暴走を食い止められるのだろうか。まだ間に合うと信じたい。 【プロフィール】中村文則(なかむら・ふみのり)/1977年愛知県生まれ。2002年『銃』で新潮新人賞を受賞しデビュー。2004年『遮光』で野間文芸新人賞、2005年『土の中の子供』で芥川賞、2010年『掏摸』で大江健三郎賞を受賞。2012年『掏摸』の英語版が米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」の年間ベスト10小説に選出。2014年David L.Goodis賞、2016年『私の消滅』でドゥマゴ文学賞、2020年中日文化賞、2024年『列』で野間文芸賞を受賞。「最近はあまりにも憂鬱だから走ってて。走るといいですよ。元気になる」 構成/橋本紀子 ※週刊ポスト2025年11月28日・12月5日号