「病気をして人間は床に落ちている埃と全く同じ存在なんだと気づきました」
佐野史郎さん(俳優/70歳) 佐野史郎さん(C)日刊ゲンダイ 【秘蔵写真】「冬彦さん」について笑顔で語る佐野史郎さん(2018年) 「50年はとても一言では言い尽くせませんが、あっという間でしたね。監督、演出家、多くの“師”に恵まれていたと思います。友人や仕事仲間、スタッフ、家族にも恵まれ、支えられました」 子供の頃は、「少年ジェット」や「七色仮面」「スーパーマン」、その後「ゴジラ」などの特撮や「クレージーキャッツ」にもハマった。映画や演劇は大好きだったが、最初から俳優の道を志したわけではなかったという。 「好きなものとの出会いがずっと続いたということでしょうね」 1968年、映画「ロミオとジュリエット」が公開され、英劇団ロイヤル・シェークスピア・カンパニーの「夏の夜の夢」のテレビ中継が始まると、その面白さに惹かれ、75年、演出家の出口典雄率いる劇団「シェイクスピアシアター」の旗揚げに参加。初舞台は20歳だった。 「単なるラブストーリーや権力闘争だけではなく、神秘主義的な影響があるシェークスピアの『幻想怪奇文学』の側面に惹かれたんですね」 渋谷の小劇場ジァン・ジァンで公演を重ねるうち、かねて憧れていた唐十郎の「状況劇場」に参加。 「やはり幻想怪奇に通じる世界観に惹かれました。学校で教わらないこの国の近現代史、戦後史の見方にも。社会がよしとしているものに疑問を投げかけるまなざし。そして現実と虚構が入れ替わる。澁澤龍彦さん、種村季弘さん、中上健次さんや若松孝二監督など交友も広がり、刺激を受けました。この20代の10年が原点になっていると思います」 30代に入ると、林海象監督「夢みるように眠りたい」(86年)で主役に抜擢。 そして92年には、「ずっとあなたが好きだった」(TBS系)で、猟奇的なマザコン男性の「冬彦さん」を演じ、大きな話題となる。 「当時のTBSは30%台を連発していたフジのトレンディードラマに押されていて、貴島誠一郎プロデューサーは気合が入ってました。唐さんには“おまえみたいな演技では映像の演技はできないぞ”と言われていたので、ドラマの中で状況劇場でできなかった宿題をやってやろうというかね。この30代の頃が俳優人生の再スタート。ここが第2の分岐点ですかね」 好きなものを追い続ける 佐野史郎さん(C)日刊ゲンダイ 一躍人気俳優に躍り出ると、その後は、あらゆる役を演じ続けてきた。 しかし順風満帆だった66歳の時、「多発性骨髄腫」を発症し、出演中のドラマも途中降板。抗がん剤と自家移植を用いた治療で、仕事は控えつつも継続した。がんは寛解したが完治する病気ではないので、治療は継続中だ。病気の後、人生観などに変化はあったのか。 「いや、変わらないですよ(笑)。ただ、人間は特別な存在ではないということに改めて気がつきましたね。この世界に存在しているという意味では床に落ちている埃と、人間は全く同じ存在なんだと気づきました」 いつまで役者を続けますかと聞くとこう答えた。 「続けられる限りやるんじゃないですかねえ。子供の頃、将来、何になりたいとか決めていなかったのと一緒で、最後はこうしたいとか、どういう死に方をしたいとか、何も決めてないです。コロナの時は、ずっと新旧のウルトラマンを見てましたけど、面白くてね。やっぱり自分が好きなものを追いかけていると、また新たな出会いが出てくるのかもしれません」 ▽佐野史郎(さの・しろう) 1955年生まれ、島根県松江市出身。俳優業のほか、音楽や写真の活動も。ライフワークの「小泉八雲・朗読のしらべ」は2007年から継続中。NHK朝ドラ「ばけばけ」では島根県知事役を演じる。
