《本人直撃》「AIみたいな美少女」「実在しないと思った」と言われることも…“美しすぎる謎のアイドル”てのひらえる(26)とは何者か?
てのひらえる、26歳。アイドル、モデル、シンガー、アパレルブランドプロデューサー、など様々な肩書をもつ彼女。のフォロワーは17万人を超え、多くの若者に支持されている。 SNS上で「AIみたいな美少女」と言われることもあるそうだが、彼女は実在するアイドル、しかも10年というキャリアを誇る。そんなてのひらえるがどのような経緯でアイドルになり、どんな思いで活動してきたのか、話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く) てのひらえるさん ©杉山秀樹/文藝春秋 ◆◆◆ 「AIみたいな美少女」「ほんとに実在したんだ!」と話題に ――ファンなどから「AIみたいな美少女」と言われることがあるそうですね。 てのひらえる(以下、える) 原宿なんかを歩いているとき、「ほんとにえるさん実在したんだ!」って声をかけられることがよくあります(笑)。SNSで私のことを知ってくれている人たちからは「AIだ」って思われているみたいです。 ――SNSでは、特にがバズっていますよね。 える SNSの使い方は今もずっと考え続けてます。どうやったら“いいね”が伸びるのかとか、見つけてもらえるのかとか。を始めてから、それが結構トントン拍子にいってバズるようになりました。 があったからコロナ禍でもアイドルとして生き抜いてこれたかなと思うんです。ちょうどコロナ禍でSNSに力を入れ始めたので。 「本気でプロのダンサーになろうと頑張っていた」のにアイドルを目指した“きっかけ” ――子どもの頃から人前に出るのが好きだったのですか? える いや、子どもの頃はちょっと人見知りな部分もあったりして、1人遊びが好きでしたね。でも、歌ったり踊ったりするのは好きだったので、そこだけは譲れないなっていう気持ちもありました。 小学生の時にクラスでダンスが流行って、そこから本格的にダンススクールに通うようになったんです。もうどんどんのめり込んで、ダンスコンテストにも出たりして。本気でプロのダンサーになろうと頑張っていましたね。 ――そこからダンサーではなくアイドルになったきっかけは? える 中学校を卒業してすぐ、高校生になる前の時期に、「一度、アイドルのライブを観に来てみないか」って“ぱぱさん”(所属事務所の社長の愛称)に誘われて、ライブハウスに観に行ったんです。そしたら、私の知らない世界が広がっていて、凄く楽しそうだなと思って。そこからアイドル活動を始めました。 「ロックアイドルかっこいい!」初めて観たアイドルのライブで受けた衝撃とは? ――その時はどんなアイドルのライブを観たのですか。 える テレビで見ていたアイドルはキラキラ系のイメージだったのですが、そのライブで観たのはロック系のアイドルで。アイドルとロックが融合するというのをそこで初めて知って衝撃的でした。父親の影響でロックが好きだったので、「ロックアイドルかっこいい! 自分もなりたい!」と思ったんです。 ――もともとロックが好きだったんですね。 える 小さい頃からずっと車でブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)が流れてましたね。だから自然とロックが好きになっていきました。 「てのひらえる」という名前の由来は… ――2015年、15歳の時に2人組のアイドルグループとして活動を始めます。 える 私の地元は神戸なんですが、大阪を拠点に活動していました。始めた頃はとにかく「ステージで歌って踊るのが楽しい!」って気持ちだけでライブをしていましたね。でも当時は技術的にはほんとにダメダメで。一生懸命ではあったけど、今思うと恥ずかしいです。 ――その頃は「える」というお名前で活動していたんですよね。 える そうですね。最初のグループが活動休止した後、ソロアイドルでやろうと決めた時に「てのひらえる」になりました。 ――「てのひらえる」という名前の由来は? える 当時、アイドル活動以外に洋服のモデルのお仕事もしていて。モデルのときは、小柄なのを売りにした「てのひらちゃん」っていう名前で活動しようと考えていたんです。「手のひら」のちっちゃいイメージで。 でもモデル活動が本格的に始まる前に、アイドルグループが活動休止になってしまったので、いっそのことモデル名の「てのひらちゃん」とアイドル名の「える」をくっつけて、「てのひらえる」という名前で活動しようと決めました。 「メンバー間で熱量に差が出てきたりして…」グループではなくソロアイドルとして活動し始めたワケ ――グループではなくソロアイドルになったのはなぜですか? える グループの時にメンバーが変わったり、メンバー間でアイドル活動への熱量に差が出てきたりして、いろいろと難しかったんです。…
