18 November 2025
中学唯一の補欠が夢を掴む瞬間が訪れた!元中日ドラゴンズの岡野一郎が、かつての同級生・大谷翔平からの一通のLINEメッセージで運命を変えた。岡野は中学時代、補欠として過ごしながらも努力を重ね、福島の名門・成功学院でエースとなり、甲子園のマウンドに立つまで成長した。 この物語は、岡野の逆転人生を描いた書籍「さよなら天才大谷翔平世代の今」で明らかにされた。岡野は青山学院大学に進学し、本気でプロ野球選手を目指す道を選ぶ。そんな彼の人生を大きく変えたのは、大谷との偶然の再会だった。 高校日本代表時代、岡野は大谷と初めて言葉を交わし、その後、LINEで再び連絡を取る決意をする。大谷からの返信は、岡野にとっての大きな励みとなり、彼のプロへの道を後押しした。大谷は岡野の質問に丁寧に答え、彼の心に火をつけた。 この一通のメッセージが、岡野を中日ドラゴンズからのドラフト指名へと導くことになる。中学時代は夢も持てなかった少年が、今やプロ野球選手としての道を歩むことができるのは、まさに大谷の存在があったからこそ。岡野の物語は、夢を追い続ける勇気と、仲間の大切さを教えてくれる。
18 November 2025
インパクト十分の琴勝峰の父親・学氏。経営する柏の居酒屋「達磨」で 今年7月、IGアリーナのこけら落としにもなった大相撲名古屋場所で優勝したのが、平幕・琴勝峰(当時25)だった。 もつれにもつれたこの場所、千秋楽の琴勝峰の相手は、新鋭の安青錦。琴勝峰が勝てば、すんなり13勝2敗での初優勝が決まるが、敗れれば安青錦との優勝決定戦に持ち込まれる展開となった。 この一番、191㎝、172㎏の恵まれた体格の琴勝峰が落ち着いて攻めて、突き落としで勝利。弱冠二十歳で幕内に昇進、「ホープ」と言われ続けてきた男が、ついにその花を開かせたのだ。 表彰式での優勝インタビューでは、 「まだちょっと感情が追いついていませんが、うれしいです」 と、控えめに答えていた琴勝峰。 その優勝を決めたバックヤードで、ひと際存在感を放っていたのが、千葉から応援に駆けつけた父の手計学(てばかり・まなぶ)氏だった。 「心配でたまりませんでした」 まだ赤ん坊の琴勝峰を抱く学氏夫妻(学氏提供) マッチョな体型に、長い髭を蓄えた風貌は、「ドラゴンボール」の「亀仙人」にそっくり。なにしろ、60歳の現在も、「週7で」ジムに通い、筋トレを欠かさない「現役ボディビルダー」なのだ。 報道陣から、亀仙人のポーズをリクエストされると、フレームの色が違うメガネに変えて、ムキムキの筋肉をアピール。 「(千秋楽の対戦相手)安青錦は、低く当たってくるから、富士紀(としき。琴勝峰の本名)にとって、もっとも苦手な相手。私は妻らとマス席で観戦していたのですが、心配でたまりませんでした」 優勝を決めても控え目な長男に代わって、さまざまな質問に答える学氏。この夜、佐渡ヶ嶽部屋の千秋楽打ち上げパーティーに参加した学氏は、美酒に酔いしれた。 現在、千葉県柏市内で、居酒屋「達磨」を営んでいる学氏は、少年時代から体を鍛えることが大好きだった。長男・富士紀にもスポーツで体を鍛えてほしいと思っていたところ、通っていた幼稚園で、柏市内で行われるわんぱく相撲の申込書を見つけた。 「富士紀は当時から背が高かったので、大会に出ることにしたんです。でも、まだ年少さんだったこともあって、勝てなかった。それで、次の年も大会に出たところ、準優勝。本人も相撲が少し面白く感じてきていたようでした」 「そんな言葉遣いじゃ、ダメだよ」 「達磨」で料理を作る学氏 こうして、小学生になると、地元の「柏少年相撲団」に入って、本格的に相撲に取り組むことになった。 相撲団の先輩には、有名力士の息子もいた。 「鎌谷将且君こと、今の大関・琴櫻関です。富士紀が相撲団の指導者に生意気な口を利いていると、『そんな言葉遣いじゃ、ダメだよ』と叱ってくれた。さすがに、相撲部屋で育っている(祖父、佐渡ヶ嶽親方。父、元関脇・琴ノ若)だけあって、小学校低学年ながら、上下関係をよくわかっている子だなぁと感心したものです」 先輩・鎌谷君は、すでに堂々たる体をしていたが、富士紀はひょろひょろだった。ボクシングやボディビルを経験していて、体作りにはこだわりのある学氏は、無理なく良質なタンパク質が取れるようなメニューで、富士紀を支えた。 「魚だったら、マグロ。肉だったら、脂身の少ない料理。焼肉にして食べることが多かったのですが、いつだったか、家族で食べ放題の焼肉屋に行った時、富士紀は1人で6人前の肉をたいらげていました(笑)」 こうした徹底的な体作りの成果が出て、中学生の時には、富士紀の体重は110㎏になっていた。 「道場の指導者は、ご年配の方が多かったこともあって、小学生ならまだしも、100㎏超えの中学生の稽古相手が難しくなったんですね。私は相撲経験がないのですが、当時、100㎏以上あったので、道場の子どもたちに直接胸を貸しました。さすがに、ヘトヘトになりまして、皆さんの役に立ったかどうかはわかりませんけどね(笑)」 中学3年生の時には、全国都道府県中学生相撲選手権個人戦(無差別級)で優勝。「柏の手計富士紀」の卒業後の進路に注目が集まった。 「慶応高校さん、埼玉栄高さんなどから声をかけていただきました。練習環境などを考えて、栄高さんに行かせていただきましたが、相撲部の寮生活を経験する中で、だいぶ『心』のほうも鍛えられたようです」 現在、慶応大学相撲部で監督を務める奈良文彦氏は、当時をこう振り返る。 「手計君は、中学校での成績がオール5だったのです。9教科での偏差値も問題がなく、ぜひ慶応高、慶応大に進んで、相撲部を持ち上げてほしいと、お声がけしたのです」 まさに文武両道だったわけだが、進学した埼玉栄高では、1年時から団体戦のレギュラーとなり、2年生、3年生では大きな大会の団体戦で大活躍。 「高校3年生の国体が終わった時です。富士紀が『大学に進んで相撲を続けたい』と言ってきたのは……。私は、本人の意思に任せようと静観していました」 富士紀の人生に、転機が訪れようとしていた。 【後編】では琴勝峰の高校時代や優勝して胡蝶蘭を送ってきた意外な人物を紹介する。 【後編:「仏壇の前で50回四股」…優勝力士・琴勝峰のボディビルダー父が語る「店に届いた胡蝶蘭の送り主」】…