26 October 2025
WSで遠征観戦を“解禁”した真美子さん 写真一覧 世界一という称号を争い、熱戦が続いている。10月25日(現地時間、以下同)、ブルージェイズの本拠地であるトロントのロジャース・センターで行われたドジャース対ブルージェイズの一戦は、先発投手・山本由伸(27)の好投もありドジャースが勝利。大谷らへの大ブーイングに包まれた敵地での戦いで、対戦成績を1勝1敗の五分とした。スポーツ紙記者が語る。 「ナ・リーグ優勝決定シリーズでMVPを獲得した大谷翔平(31)は、1戦目でツーランホームランを打つなど、まずまずのスタート。27日からは本拠地・ドジャースタジアムに帰るので、ビジターゲームを五分で乗り越えたのはチームとして大きいでしょう。 大谷は28日の第4戦で先発予定。17日の“二刀流出場”時には3ホーマー(3ホームラン)を放つ歴史的偉業を成し遂げただけに、慣れ親しんだ球場での活躍が期待されます」 ワールドシリーズでは、これまでと異なる要素もあった。大谷の妻・真美子さん(28)がアウェーのトロントに訪れ、声援を送ったのだ。在米ジャーナリストが語る。 「今年生まれた0歳の娘がいることもあり、真美子さんはアウェーの試合には同行せず、ロサンゼルスの自宅で子育てに集中していました。 アウェーの試合に同行したのは、7月に行われたオールスターゲームでレッドカーペットを歩いて以来のこととみられます。最終決戦に際して、外出を“解禁”したのでしょう」 ポストシーズンが始まって以降、ホームゲームでは観戦に訪れていた真美子さん。前出・在米ジャーナリストは、「大谷選手は試合前はリラックスした状態でいることを望んでいるように見える」と話す。 「本拠地で行われるゲームでは、アップの時間に笑顔でいろんなチームメートに話しかけたり、スイートルームにいる真美子さんに手を振ってジェスチャーを送ったりする様子がよく見られます。 もちろん慣れもあるでしょうが、ポストシーズンでも本拠地の試合のほうが結果を残している(10月25日現在)。今回のロジャース・センターでは、大谷選手に対する大ブーイングもありました。家族を前にリラックスした状態でいることは、大谷選手のよきルーティンになっているのかもしれません」 “敵地”で声援を送った真美子さん(左奥、ドジャース奥様かいのインスタグラムより) 写真一覧 夫妻が信頼を寄せる“絶対的味方” 西海岸に位置するロサンゼルスからカナダ東部のトロントまでは、実に3500kmほどの距離がある。にもかかわず、アウェー戦に駆けつけた真美子さんは、大谷の大きな支えになっただろう。 一方で、大谷も真美子さんも娘のことは気がかりだったはずだ。しかし夫妻には“絶対的味方”の存在がある。 「双方のご両親です。昨年のワールドシリーズで真美子さんがヤンキー・スタジアムのあるニューヨークを訪れた際は、大谷選手のご両親も一緒に球場を訪れていました。ご両親も、昨年から常に寄り添い続けている真美子さんのことを心から信頼しているようです。 真美子さんのお母様は、出産以降長期的にロサンゼルスに滞在し、娘さんのお世話をしていたと聞いています。7月のオールスターゲームの際には、真美子さんがレッドカーペットを歩く間、お母様が娘さんの面倒をみていた。今回の“遠征”も、家族の存在が2人を後押ししたのでしょう」(同前) ワールドシリーズ開幕直前、米放送局「FOX」が公開した特別インタビューでは、「特別な1年だった。娘が生まれたのも、僕の人生にとっては大きなことだった」と感慨深く語っていた大谷。家族の存在を力に変えて、本拠地での戦いに臨む。 すべての画像を見る
26 October 2025
「いったい何じゃ!? 提灯の光を照らすと、そこには血が広がっていた」 「芳一の耳はもぎ取られ、血が滴り落ちている……」 ロウソクがゆらめく薄暗い部屋で、トキ(郄石)がヘブン(トミー・バストウ)におどろおどろしく怪談話を聞かせるシーンで始まった、NHK連続小説『ばけばけ』。 今期の朝ドラでトキのとなっているのが、イギリス国籍で、日本に帰化したの小泉八雲の妻・セツだ。島根県松江市にある小泉八雲旧居に隣接する、「小泉八雲記念館」。その館長を務める小泉凡さん(64)は、2人のひ孫にあたる。 「八雲の多くの作品は、セツが日本に伝わる怪談や伝承話を、八雲に語り、まとめられた再話文学です。ドラマで描かれているように、セツには語り部としての才能がありました。日本語がたどたどしく、『てにをは』の使い方や、形容詞の活用が苦手な八雲が話す独特な“へルン言葉”でコミュニケーションをとり、夫婦で作品を生み出していったのです。『耳なし芳一』や『ろくろ首』などが収録された八雲の代表作『怪談』は、夫婦合作といっても差しつかえがないと思います」 歴史に埋もれかかったセツの名が、いま、朝ドラによって脚光を浴びようとしているのだ。 「朝ドラのとなることは、制作発表される3日ほど前に、NHKから知らされました。ちょうど『怪談』出版120周年という節目もあり、セツの企画展を準備していたタイミングだったので、驚きと喜びが一緒にきました」(小泉さん) 小泉さんは、昭和7年に他界したセツと会ったことがないが、実家には愛用品があったという。 「幼少期に過ごした東京の実家の、いちばん奥にある3畳間には、セツの姿見がありました。木枠の右側が色あせているのですが、家族からは、セツがいつもぬれ手ぬぐいを右側にかけていたからだと聞きました。こうした愛用品を通して、曽祖母の息遣い、つながりを感じることができたんです」 現在、記念館に展示されている姿見は、どのようなセツの人生を映し出してきたのだろうか──。 ■養女に出され、夫に逃げられたセツと、母に捨てられた八雲は心引かれ合う 小泉セツは、1868年、松江藩の城下町で、藩士の娘として生まれた。節分の時期に生まれたことが、その名の由来。『面白すぎて誰かに話したくなる 小泉八雲とセツ』(新書)の著作がある、予備校社会科講師の伊藤賀一さんも、こう語る。 「小泉家は家禄300石の藩士。父の小泉湊は号令をかけるときの美しい声が評判の武官で、母・チエは1千500石の江戸家老・塩見増右衛門の長女でした。ところがセツは生後7日目に、小泉家よりも格下の稲垣家へ養女に出されました。心のどこかで“家族に捨てられた”という思いを抱いていたのかもしれません」 明治の御一新に伴い、1875年には実父、養父ともに家禄を奉還。翌年の廃刀令によって武家も平民と同じ身分となり、セツは幼少期に激動の時代を迎えた。 「養父の没落による経済的理由で、セツは小学校の上等科(高学年)には進めず、実父・湊が起こした繊維会社で機織りの女工として働きます。しかし元武士の実父に経営手腕が期待できるはずもありません」(小泉さん) 18歳のときに鳥取の士族・前田為二を稲垣家の婿養子として迎えるために結婚。 「のちに八雲が発表した怪談『鳥取のふとんの話』は、もともとはセツが為二から聞いた話です」(小泉さん) ところが養子先の稲垣家が無財産であるばかりか、もあり貧しい生活を強いられるため、翌年、為二は出奔してしまう。 「セツは大阪にいることを突き止め、説得に向かいましたが、結局、正式に離婚することとなりました」(小泉さん) そんなセツが、のちに小泉八雲となるハーンと出会ったのは、ハーンが風邪をこじらせ気管支カタルを患い寝込んでいる時期だった。 「住み込みの世話役が必要だと、ハーンの投宿先であった富田旅館の女中・お信が、知り合いのセツに白羽の矢を立てたと思われます。若い女性が住み込みで働くのだから、未婚の女性よりも離婚歴があるセツが適任と思われたのでしょう」(伊藤さん) セツがハーンの世話役をすんなり受け入れられたのは、セツが外国人に対して偏見を持っていなかったからだろう。 「セツが3歳のときです。フランス人の軍事訓練を見学した際、普通の子供なら外国人を見たら泣いて逃げ出すところですが、セツは肝が据わっていたのか、動じない。感心した陸軍軍曹ワレットは頭を優しくなで、小さな虫眼鏡をプレゼントしました。幼少のセツには大きな体験で、外国人に対する垣根がなくなったのだろうと思います」(小泉さん) セツより18歳年上のハーンは、1850年、イギリスの保護領だったギリシャのイオニア諸島レフカダ島で生まれたが、幼少時代に一家は父の出身地であるアイルランド・ダブリンへ移住している。 「ここでハーンの父は、昔の恋人と再び恋に落ちてしまいます」(伊藤さん) 異国で孤独を感じたハーンの母は、ハーンを置き去りにして母国へ帰り、今生の別れとなった。 「母性を求める気持ちを強く持ち、のちに出会うセツに、母の姿を重ねていた部分があったのかもしれません。セツを『ママさん』と呼び頼り切っていました」(小泉さん) ハーンの身に、次々に不幸が襲いかかった。7歳のときには父が再婚してインドへ赴任し、高校時代には遊具でけがをし左目を失明。 「右目も強度の近視だったので、文字を読み書きするのも苦労。隻眼はコンプレックスでもありましたが、目が見えづらい分、想像力や感受性が育てられたのだと思います」(伊藤さん) その後、単身アメリカへ移住し、新聞記者などで生計をたて、39歳のときに来日。松江の島根県尋常中学校で英語教師の職を得たのだ。お互い家族に恵まれない境遇もあり、2人は引かれ合っていった。 《遠い外国で便り少い独りぽっちとなって一時は随分困ったろうと思われます。出雲の学校へ赴任する事になりましたのは、出雲が日本で極古い国で、色々神代の面影が残って居るだろうと考えて、辺鄙で不便なのをも心にかけず、俸給も独り身の事であるから沢山は要らないから、赴任したようでした》 ハーンとのの回想は、セツの著書『思い出の記』(以下《 》内は同書の引用)の冒頭にも記されている。 取材・文・撮影:小野建史 参考:小泉節子『思い出の記』…