【鈴木砂羽さん・52歳】子宮筋腫手術を受けて「40代までの苦しみや悲しみや怒りを手放せた気がした」|美ST

仕事で多忙を極め、体のことは二の次三の次になっていたという俳優・鈴木砂羽さん。40代後半から子宮筋腫の投薬治療を開始しましたが、悲鳴を上げる体の声を「まだ耐えられる」と聞き流し、だましだましやってきたと語ります。そしてコロナ禍が明けて50代になった時に意を決して子宮筋腫と子宮の上部を摘出する手術に踏み切りました。「生まれ変わったようだった」と語る術後について、そして鈴木さんの現在や今後の展望についてお伺いしました! 仕事も恋愛もギブアップ気味な40代は、「私、何をやってるんだろう」と虚無感を抱くキツい時期でした 引用元:美ST お話を伺ったのは…俳優・鈴木砂羽さん(52歳) 《Profile》 1972年生まれ。静岡県出身。美術短期大学を中退後、文学座の研究生となる。研究所卒業後の94年、映画『愛の新世界』で主演としてデビュー。圧倒的な存在感でブルーリボン賞など各新人賞を多数受賞。その後、舞台やテレビドラマでも幅広く活躍。直近では、テレビ朝日のドラマ「相棒 season23」に出演中。ドラマ、映画、舞台、バラエティのほか舞台演出、マンガの執筆など幅広い表現ジャンルで活躍している。 引用元:美ST 40代はとにかくバタバタしていました。仕事も多忙を極め、私生活では離婚も経験。トラブルで世間を騒がせてしまったこともあり、精神的にギブアップ寸前でした。 ふと、「私、何やってるんだろう」と虚無感に襲われたことも。体調面も壊滅的で、それ以前から患っていた子宮筋腫の投薬治療を40代後半からようやく開始しました。最初は2cmくらいの大きさで、1ヶ月1万円ほどの投薬をしていましたが1mm減ったか減らないかくらい。効率悪いなと思いながらも仕事が忙しいことを言いわけに、自分の体の声をずっと無視していました。 そうこうしていると筋腫がテニスボールほどの大きさになってしまって、もう患部を触ればわかるほどに。生理もひどくなり、当時舞台に出演していたのですが、冗談抜きで“血の雨”といった感じで、顔が真っ白な紙のようになり、貧血で立ち上がるのも困難なほどでした。 それでも「まだ耐えられる」とだましだまし踏ん張っていたらコロナ禍になり、未曾有のパンデミックの中、否応なしに初めて自分を見つめ直すことになりました。 これまで私は私を生きていませんでした。いつも他人の評価や視線を気にして、他人に求めてばかりの承認欲求の塊。世の中が大きく変わろうとする中、私自身も変わりたいと思いました。それはハッキリとした「意識」でした。28年所属した事務所を辞めて新しい事務所に入ったり、以前からやってみたかった、長い髪をバッサリと切ることだったり、できることから自分を変えているとドラマ『相棒』に復帰させていただくお話をいただいて。それで手術に踏み切ろうと決めました。コロナ禍は明け、私が50歳の時です。

中山美穂さん元夫・辻仁成氏「大丈夫」9連発も「辻さんもお疲れ」「大丈夫ですか」一部心配の声

芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)が27日、自身のX(旧ツイッター)を更新。「大丈夫」を9個書き連ねて、悩める人たちへ助言した。 「気を使わないでください、大丈夫です」と書き出し、「大丈夫です」を連発。「落ち着いてください大丈夫 決して無理はしないで大丈夫 考え過ぎないで大丈夫ですよ 思いつめないで、大丈夫やから 今は少し休んで大丈夫ですよ 真っ先に自分を労わってください 嫌なことは忘れてくれて大丈夫 思い切って一度諦めても大丈夫」とつづり、最後に「とにかく、大丈夫です」と締めくくった。 辻氏の投稿に対し「辻さんも心身ともにお疲れでしょう。”大丈夫”って言葉を発する時って、本当は大変な時だったりするのです。強がらずに誰かにもたれかかりましょう。お互い様なので」「考え過ぎるのはあるかも知れません。訳がわからず、少し頭が疲れているみたいです。自由になったのは嬉しいのですが」「辻さん、大丈夫ですか? うんうん、大丈夫ですよ 生きていたらいろいろありますね だけど今、生きている なんとかなります」などと書き込まれていた。 元妻の中山美穂さんは54歳の若さで6日に不慮の事故で亡くなった。辻氏と中山さんは2002年(平14)6月に交際8カ月で結婚。03年にパリに移住して、04年1月に長男が生まれたが、14年7月8日に離婚した。 12日には家族葬が行われ、家族と事務所関係者のみが参列した。妹で女優の中山忍(51)が喪主を務め、長男もフランスから駆けつけた。深紅のダリアなど式場全体が花に包まれ、一時代を築いたアイドルの旅立ちを見送った。来年に「お別れの会」を行う予定。

中山美穂さん行きつけ焼肉店の店主が明かす「帰るときはいつも腕を組んで」忘れられない姉妹の姿

中山美穂さん(左)と妹の中山忍 《大好きな妹は子供の頃からいつも私の後を付いてきます。今も何かある毎に来てくれます。優しくて可愛くてしっかりした女優さんで、忍が妹で本当に良かった》 生前、SNSに妹の中山忍について、そう投稿していた中山美穂さん。2024年12月6日に急逝した彼女を惜しむ声が絶えない。 「中山さんのオフィシャルサイトで、2025年3月末でファンクラブを閉鎖することが発表されました」(スポーツ紙記者) 中山さんのインスタグラムにある最後の投稿には、1万件を超えるコメントが寄せられている。 《1番、美穂ちゃんが驚いてますよね? 心にぽっかり穴が開いた感じです》 《あなたが亡くなった事を知ってから、本当に悲しい毎日を過ごしていました》 《いまだに信じられない。嘘であってほしい。受け入れられない》 《ミポリンのいない世界はつまらない。私の生きる指針だったのに。どうすればいいの?》 多くのファンが、今もその死を受け止められないでいる。 思い出の多い行きつけの焼き肉店 「もう、美穂さんがこの店に来ることがないんだと思うと、信じられないですよね」 そう話すのは、東京・笹塚にある焼き肉店『にくる』の店長・伊藤信太郎さん。同店は生前、中山さんが足しげく通った行きつけだった。 「店はオープンして4年ほど。当初は忍さんが来てくれて、その紹介で、美穂さんもいらっしゃるようになりました」 月に1回は中山さんから弁当の注文が入り、数か月に1回は直接、店を訪れていたという。 「いらした際は、必ず“ありがとう、お弁当おいしかったよ”と言ってくれて、僕みたいな、ただの飲食店の従業員にも分け隔てなく、気さくに接してくれる人でした。忍さんが僕を下の名前で呼んでくれていたのにならって、美穂さんも“シンちゃん”と呼んでくれるんですから」 常連だった忍は、来店するたびに姉について話していたという。 「忍さんは“聞いたよ! この間、姉のライブにお弁当を届けてくれたんだってね。ありがとう”って、美穂さんのことでもきちんとお礼を言ってくれるんです。本当に仲がいいんだなって」 ふたりが揃って訪れたときには、特別に仲のよさを感じた、忘れられない姉妹の姿があったという。