紅白の橋本環奈 ネックレスの値段がケタ違い!「マジ」「たまげた」「超えぐい、、」「ビビる」ネット仰天「綺麗ーー」

第75回NHK紅白歌合戦(後7時20分)が12月31日に東京・渋谷のNHKホールで行われ、3年連続の司会・橋本環奈の衣装に注目が集まった。 オープニングで着用した、赤い花びらが装飾された奇抜ドレスは、ネット上で「めちゃくちゃかわいいー!」と話題に。ブランドは「Oscar de la Renta」(オスカー・デ・ラ・レンタ)と判明し、定価は328万超と思われる。前年の紅白で橋本が着用した、ボーダー柄のカラフルなドレスもこのブランドだった。 そしてお色直しで橋本は、ブラックドレスに着替えた。デコルテには、黒、緑、金色の宝石が施されたネックレスが輝く。その存在感は抜群で、ネットは「ネックレスにくぎ付け。綺麗(きれい)ーー」「橋本環奈ちゃんのネックレスどこのかなぁ」と注目。ブランドは高級ブランド「ヴァン クリーフ&アーペル」のもので、公式サイトによると税込み1359万6000円。値段を知ったネットは「橋本環奈のネックレスが1000万オーバーでたまげた」「橋本環奈のミャクミャクドレス300万、ネックレスは1300万とかマジか」「橋本環奈のネックレス見覚えあると思ったらヴァンクリか」「橋本環奈のネックレス1300万だと?!」「1300万超えぐい、、、、」「ヴァンクリーフだな素敵…まあ値段ビビりますけど」と仰天した。

「あまりの痛さにご報告させていただきます」 「GTO」出演の希良梨44歳、がん手術後に離婚していた

2023年12月に離婚を公表した女優の希良梨(きらり、44)が1日に自身のインスタグラムを更新。新恋人がいることを伝えた。 希良梨は昨年9月にがんを公表し、12月17日に再手術を終えたことを報告している。そして同19日の投稿では「あまりの痛さにご報告させていただきます」と書き出し「昨年離婚したことはささやかにストーリーでは、ファンの方々やフォロワーの皆様にご報告させていただいていたのですが」とつづり、2023年に離婚していたことを公表した。 この日は「明けましておめでとう御座います」とあいさつし、「今、実はお付き合いしている恋人がおります。そろそろ公表してもいいかなと、思っていた頃でした。堂々としていたいから」と明かした。お相手については「彼は、日本人男性で、同じ歳の、同じ年齢で、同じ生年月日の、色んなビジネスを手がける実業家で経営者で、私の仕事の理解者でもあります。ちなみに、血液型もイニシャルも同じなので、ある意味こわいですが笑笑」と説明。「お互い、同じくらいの変わり者です。びっくりするくらいにw」だそうで、「でも、彼もまた、人が言いづらいことを私に、はっきりと言ってくれたり、私も彼には自分の素を出せる。そういう存在は、大人になってからは特に、男も女も関係なく、とても貴重ですよね」と存在に感謝した。 フォロワーからは「急展開が多すぎますよ。おめでとうございます~」「運命って面白いし不思議だし奇跡だよな。その運命をこれからも大切にね」「希良梨様 覚醒!!」と祝福の声が寄せられた。 希良梨は1998年に放送された俳優・反町隆史主演のフジテレビ系ドラマ「GTO」で生徒役を演じ、人気を集めた。私生活では台湾人男性と国際結婚し、出産したことも公表。近年はメキシコを拠点に活動していたが、9月に婦人科の検査でがんを患っていることが判明し、手術したと告白した。

突然の余命宣告、シーズン中も週1の面会 戦力外直後に祖父が死去…続けた“恩返し”

毎週往復3時間…伝え続けた感謝の気持ち「このままお別れしたら本気で後悔する」 現役引退を発表したソフトバンク・古川侑利【写真:竹村岳】  必死の思いは祖父も同じだった。2024年限りでの引退を発表した古川侑利投手。2024年シーズンはソフトバンクの育成選手として支配下復帰を目指し、必死に腕を振り続けた。だが、その願いは叶わなかった。悔いを残さないために――。自身の置かれている立場を理解し、全力で取り組んできた右腕。その気持ちは大好きな祖父に対しても同じだった  戦力外を通告されたのは10月6日だった。現役続行を願い、トレーニングに励む毎日。そんな日々の中で、1本の電話が鳴った。「夜中に『もう危ない』ってなって。福岡から車を飛ばして、嬉野まで行きました」。連絡は祖父が入院していた佐賀・嬉野市の病院からのものだった。 春季キャンプ中、祖父のがんが分かった。「医師に『桜を見られればいいね』って言われて。言葉にならない感情が込み上げてきました」。幼い頃から“おじいちゃん子”だった古川。楽天時代には佐賀から仙台まで駆け付けるほど、誰よりも応援してくれていた。だからこそ、限られた時間で感謝の思いを伝え続けることを決めた。 グラウンドで必死に戦う古川の姿が励みになったかのように、春、そして夏を乗り越えた祖父。「このままお別れしたら本気で後悔すると思ったので、週1でじいちゃんに家族で会いに行くようにしていました」。シーズンに入ると、往復3時間をかけて祖父を見舞った。 「よく昔の話をするようにしていました。一緒に虫取りに行ったよねとか、あれ美味しかったよねとか。そういう話をしましたね」。2人だけの大切な思い出。どんな話をしても覚えていてくれていたことが何よりも嬉しかった。もがき続けたプロ最終年を過ごす中で、それが古川の励みにもなっていた。 泣きながら1人で駆けつけた病院…最期に伝えた「今までありがとう」 祖父の容態が急変したという連絡を受けた10月中旬。病院についたのは明け方だった。「ばあちゃんにどうしても会わせたくて、ずっと『じいちゃん』って声をかけていました。じいちゃんも粘っていたんですけど、それは叶わなかったんです」。施設に入っている祖母は、夜中に外出することができなかった。なんとか夜が明けるまで――。そう願いを込めたが、思いは届かなかった。 「じいちゃんのために少しでも長く会えたらと思っていたので。今考えたら1時間半くらいかけて運転して、移動距離は結構あるなとは思うんですけど。それはそれで会いに行けたからよかったなと思います」 育成選手から支配下に返り咲くため、がむしゃらに過ごした1年。思うようなパフォーマンスを発揮できずに、2軍の遠征にも帯同できないことがあったが、ウエスタン・リーグの優勝を決めた9月27日の広島戦(由宇)では9回のマウンドを任されるなど、決して諦めることなく腕を振り続けてきた。苦しいシーズンだったことは間違いない。それでも祖父に会いに行くことは欠かさなかった。 「本当に会いに行って、よかったですね。亡くなってからも本当に寂しいですけど、ちゃんと気持ちを切り替えられたというか。今までありがとうねっていう感謝ですね」。戦力外通告からまもなくして訪れた悲しい別れ。その後に2024年限りでの現役引退を決断した。そんな右腕は、球団のアナリストとして新たな道を歩み出す。「後悔しないように」。何事にも全力を尽くしてきた男にとって、忘れられない10月になった。