木村拓哉「もう一生関わることはない」中居正広“9000万円トラブル”でSMAP再結成が永久消滅

国民的な人気を誇る中居正広が、女性トラブルで大ピンチを迎えている。 中居は、ある女性との間に深刻なトラブルを起こし、解決金として約9000万円を支払っていたと『NEWSポストセブン』が12月19日に報じた。 このままだとイメージダウンを避けられなそうな中居。すでに、MCを務める『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)の収録が取り止めになったといわれており、ほかのレギュラー番組にも影響が出ることは間違いないだろう。 それ以外にもいろいろな支障が出始めているようで、その一つがSMAPの再結成だとか。 テレビを干されていた元メンバーの稲垣吾郎、香取慎吾、草彅剛が、ここ数年でドラマやバラエティー番組に返り咲き。その流れで再結成の話も出ていたが、中居の女性トラブルですべてが白紙状態になったという。 「中居の一報を受けて、元メンバーの4人はすぐさま距離をとった。中居と関係性が良くなかったとされる木村拓哉は、『もう一生関わることはない』と、周囲のスタッフに話しているようです。中居が今後、どうなるにせよ、SMAPの再結成は永久になくなったといえるでしょう」(スポーツ紙記者) SMAPファンとしてはなんとも残念なことではあるが、中居の好感度が地に落ちた今となっては再結成しないのが正解だろうと、週刊実話WEBが報じている。

関根りさ 指定難病で闘病していた2歳長男との別れを報告「明日おはようが言えるのは特別なこと」

人気ユーチューバーの関根りさ(35)が31日、自身のYouTubeチャンネルを更新。指定難病である接合部型表皮水疱症で闘病を続けていた2歳長男との別れを報告した。 関根は夫でのユーチューバー「JJコンビ」ジョージとともに動画に出演。「息子は2歳7カ月12日で人生を終えました」と闘病を続けていた長男の最期をファンに伝えた。 動画ではともに過ごした日々の思い出を振り返り「本当によく頑張った人生でした。全てがはなまるでした。さようなら、最愛。また後ほど」と感謝の言葉をつづった。 昨年、長男が指定難病である接合部型表皮水疱症であることを告白。出産後ずっと入院しているとし、病名をを告白した。接合部型表皮水疱症は皮膚が非常に脆弱になり、水疱ができやすくなる遺伝的疾患で、現在日本では根治療法はなく対症療法のみ。接合部型は重篤な症状が出るもので100万~200万人に一人という難病だといい、治療法について情報を呼び掛けていた。

「母の遺骨、必ず兄に」 寺越武志さん妹、北國新聞社に手記 日朝に翻弄、親子の苦悩つづる

●豪雨で捜索の姿 61年前の友枝さん重なる  生涯を掛けて息子に注いだ深い愛、親子の苦悩がつづられていた。1963年に日本海で行方不明になり、北朝鮮で暮らす寺越武志さん(75)=志賀町出身=の妹(72)=金沢市=が30日までに、今年2月に92歳で亡くなった母友枝さんの思いを代弁した手記を北國新聞社に寄せた。日朝のはざまで翻弄(ほんろう)されながらも、わが子に会いに66回もの訪朝を重ねた母。その姿を近くで見てきた妹は「必ず母の遺骨を兄貴の腕に抱かせてあげたい」と訴え、手記を日本政府に提出する予定 63年に亡くなったとされていた武志さんと友枝さんが面会を果たしたのは1987年。13歳の少年だった武志さんは家庭を持ち、親になっていた。それから親子の「空白」を埋めようと、訪朝を重ねた友枝さんの様子を、妹は手記の中で「大きな山、いばらの道をあの小さな体で乗り越えて、大きな川を小さな笹舟で渡り会いに行きました」と表現した。 友枝さんはかつて拉致被害者家族会と活動をともにしたが、武志さんから「お願いだから今ある私の家庭が壊れることはしないで下さい」と伝えられ、「拉致」の言葉を封印。その経緯に触れた上で、「山の高さや海の深さは測ることはできますが、母の愛は測る事はできません」と、母としての思いを貫き通した友枝さんの愛の深さを、こう記した。 北朝鮮で暮らす武志さんの心情についても「母にどれだけ苦労と悲しみを与えたか、兄はその事を考えると胸が締め付けられる思いだったでしょう」と推し量り、「自分の息子が13才で何も知らない土地で暮すことになるとはだれがおもいますか?」と人生を変えた別離に悔しさをにじませた。 手記を書いたきっかけは、9月に奥能登を襲った豪雨。行方不明になった輪島市の少女を捜す家族の姿を報道で見た時だった。武志さんを捜し、来る日も来る日も海岸に通い続けた母と重なって見えたという。 ●もう一度、鴨緑江を 友枝さんの死去後、「もうできるだけ朝鮮の問題には関わらないようにしよう」と心に誓ったというが、「61年前の母の姿が脳裏によみがえってきた」とペンを走らせた。 手記はB5判の便せん4枚。「母の願い もう1度渡りたい『鴨緑江(おうりょくこう)』」というタイトルが付けられている。友枝さんは生前、中国と北朝鮮の国境を流れる川「鴨緑江」を「もう一度渡りたい」と繰り返し、武志さんとの面会を望んでいた。妹は「母の遺骨と一緒に鴨緑江を渡りたい」と訪朝を強く願った。 ★寺越武志さん 13歳だった1963(昭和38)年5月11日、高浜町(現志賀町)の高浜港から叔父の昭二さん=当時(36)、外雄さん=同(24)=とともに出漁し、行方不明となった。船は翌12日に能登沖で漂流しているのが見つかった。死亡したとみられていたが、87年1月、外雄さんから、武志さんと北朝鮮で生存しているとの手紙が家族に届いた。同年9月、訪朝した母友枝さんと24年ぶりに再会。2002年10月に一時帰国した。