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過労で意識を失い、リハーサルでは右膝を捻挫し病院へ…「昭和の歌姫」中森明菜の「紅白」
中森明菜が「紅白歌合戦」に出演するかどうか? が大きな話題になった年末だった。 いや今から10年前の’14年の「紅白」でアメリカのスタジオから中継して出場して以来、毎年のように中森明菜の復活は望まれてきた。それが今年後半の香取慎吾とのコラボで一気に現実味を帯びた。明菜が昭和63(1988)年5月に発売、21枚目のシングルとしてスパンコールのボディコンミニ姿で歌った『TATTOO』。この歌が大好きでずっとカバーを望んでいたのが香取だった。 今年11月27日に発売されたアルバム『Circus Funk』でとうとう実現したのだが、その際に明菜もともにレコーディング、その様子を香取は自身の公式YouTubeチャンネルで報告。 「明菜さんが『1回どういう感じなのかを観たいから、まず一緒に歌ってみたい』となって、2人で向かい合って、歌うわけですよ。緊張というか、夢のような。『本当に幸せです』とお伝えしたとき、ほっぺに手を当てて『もちろんだよ。頑張って』って……」 ◆「花の82年組」“ポスト百恵”…女性アイドルが続々登場した年に 中森明菜は昭和56(1981)年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で、“スタ誕”の先輩で前年に結婚のため芸能界を退いていた山口百恵の『夢先案内人』を歌って合格。翌年16歳で『スローモーション』で歌謡界に飛び立った。ちょうど薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』、大橋純子の『シルエット・ロマンス』が大ヒットしていた来生えつ子、来生たかお姉弟から提供されたバラードの秀作だった。 当時は“ポスト百恵”として、若手の女性アイドルが続々と登場していた。百恵が引退の年には同じレコード会社から松田聖子がデビューし、その穴埋めに成功していた。 明菜デビューの年も過熱して、松本伊代に早見優、小泉今日子、堀ちえみに石川秀美と次世代のアイドルが続出し、それは百恵、聖子に次ぐスターたちと注目され「花の82年組」と呼ばれた。 この年の新人賞レース、「日本歌謡大賞」は男性からはシブがき隊、尾形大作に加え、女性陣は全員入選したが、問題は「日本レコード大賞」だった。「日本レコード大賞」のノミネート数は5組なのである。そのヒット力からシブがき、松本伊代は確実視されたものの、あとの3組が混とんとしていた。 結果的に明菜とキョンキョンのふたりが漏れ、石川、早見、堀の5人に決まった。明菜はデビュー曲『スローモーション』が期待どおりのヒットに結びつかず、7月末に出した第2弾『少女A』でヒット街道を驀進中だった。しかし実はこの結果は、百恵と同じだった。 百恵も「歌謡大賞」の最優秀候補に入選したが、「レコード大賞」の5組には届かなかった。デビュー曲『としごろ』がヒット曲というほどまでには成長せず、第2弾の『青い果実』のヒットで追撃したが叶わなかったのである。 ◆「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」 『少女A』も『青い果実』も彼女たちの年齢にしては、ちょっと過激なエロスな世界を感じさせる詩だった。明菜のその頃のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。 インタビューで「明菜ちゃんはほんとにエッチなんですか?」とよく聞かれ、本人は苦痛だったという。実際「エッチ」は少し背伸びした大人の雰囲気を表したものだったが、百恵のスタートもまたそれに通じていた。 『少女A』の売野雅勇はこの年デビューしたばかりの新人作詞家だった。彼曰く「百恵の『プレイバックPart2』のような、捨て台詞が彼女にはいきると思い『少女A』を書いた。反対に“少女性”を売りにしている松田聖子という圧倒的な存在がいたからこそ、明菜はそれに対する“不良性”を前面に出した」と述懐している。 この作品を明菜に渡したときの反応は、「いやだよ、こんなの」と拒否、「歌わない!」の一点張りだったが、周囲が無理やりレコーディングにこぎつけさせた。そのため明菜は、憮然としながら、怒りを滲ませながらこれを歌った。しかしそれがよかった。この年の「レコード大賞」新人賞と「紅白」は逃したが、翌年にこの“不良性”路線の『禁区』で「紅白」に初出場することになる。 しかし、実はデビューのこの年の「紅白」出場が濃厚視されていた資料がここに残る。
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<内田有紀>米倉涼子との絆、更年期の始まりを告白 30年ぶり始球式、助演女優賞も受賞した2024年を振り返る
2024年に49歳を迎えた俳優の内田有紀さん。今年はその美しさだけでなく、同じ1975年生まれの俳優、米倉涼子さんとの強い絆や、更年期の始まりを告白するなどして大きな話題となった。30年ぶりの始球式、助演女優賞も受賞した1年を振り返る。 内田有紀さん。今年はその美しさだけでなく、同じ1975年生まれの俳優、米倉涼子さんとの強い絆や、更年期の始まりを告白するなどして大きな話題となった。30年ぶりの始球式、助演女優賞も受賞した1年を振り返る。 【写真特集】内田有紀:美脚を生かし豪快な投球フォームを披露 30年ぶり始球式のフォト ◇米倉涼子は「俳優で唯一なんでも話せる同級生」 内田さんは、2012年にテレビ朝日系でスタートした大ヒットドラマシリーズ「ドクターX~外科医・大門未知子~」で、米倉さん演じる孤高のフリーランス外科医・大門未知子の“相棒”、麻酔科医の城之内博美を演じてきた。同作は公開中の映画「劇場版ドクターX FINAL」(田村直己監督)をもってその歴史に幕を下ろす。田村直己監督)をもってその歴史に幕を下ろす。 長年、ともに演じてきた米倉さんとの絆は深く、会見や舞台あいさつで、たびたび思いを明かした。同シリーズの完結が発表された10月の完成報告会見では、涙ぐむ米倉さんを前に「いつも最後だと思って演じてきましたが、今回、彼女が大門未知子を下りる決断をただただ応援しようと。演じ続けてくれた米倉涼子に感謝です」と心を寄せた。 同作最後となった12月の舞台あいさつには、サプライズで登場し、米倉さんはうれし泣き。内田さんも「どなたかがいつの間にか(大門未知子と城之内博美で)“ひろみちこ”という愛称をつけてくださいまして。最後の“ひろみちこ”になっちゃいます」と名残惜しげに語った。 さらに、「私の中で唯一、俳優さんでなんでも話せる同級生の彼女と会えたこと、城之内博美という役を通して大門未知子を演じる米倉涼子をずっとそばで見られたこと、こんなに幸せなことはない」と思いを明かした。 また、公開初日の舞台あいさつで米倉さんが「全力投球で真っ向勝負できるような俳優になりたい。人から誇りに思ってもらえるような人でありたい」と今後の挑戦について語った際には、内田さんも「自分が年齢を重ねていっても初心を忘れずに、自分のスキルを信じて、自分のスキルを磨いて、いい役者になっていきたいと、味のある俳優になっていきたい」と同じ思いを抱いていると、自身の決意を語った。
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木村拓哉「もう一生関わることはない」中居正広“9000万円トラブル”でSMAP再結成が永久消滅
国民的な人気を誇る中居正広が、女性トラブルで大ピンチを迎えている。 中居は、ある女性との間に深刻なトラブルを起こし、解決金として約9000万円を支払っていたと『NEWSポストセブン』が12月19日に報じた。 このままだとイメージダウンを避けられなそうな中居。すでに、MCを務める『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)の収録が取り止めになったといわれており、ほかのレギュラー番組にも影響が出ることは間違いないだろう。 それ以外にもいろいろな支障が出始めているようで、その一つがSMAPの再結成だとか。 テレビを干されていた元メンバーの稲垣吾郎、香取慎吾、草彅剛が、ここ数年でドラマやバラエティー番組に返り咲き。その流れで再結成の話も出ていたが、中居の女性トラブルですべてが白紙状態になったという。 「中居の一報を受けて、元メンバーの4人はすぐさま距離をとった。中居と関係性が良くなかったとされる木村拓哉は、『もう一生関わることはない』と、周囲のスタッフに話しているようです。中居が今後、どうなるにせよ、SMAPの再結成は永久になくなったといえるでしょう」(スポーツ紙記者) SMAPファンとしてはなんとも残念なことではあるが、中居の好感度が地に落ちた今となっては再結成しないのが正解だろうと、週刊実話WEBが報じている。