
〈〉から続く
ネイリスト・経営者で、チャンネル登録者数20万人超の美容系でもある橋本実花さん(32)。橋本さんは26歳の時、妊娠中に子宮頸がんが見つかり、出産と同時に子宮を全摘出。さらに31歳でが見つかり、右の乳房を全摘出した。
【衝撃画像】「胸は小さくなかったし、自信のあるパーツだったけど…」31歳で右乳房を全摘出した橋本実花さん32歳の“全身ショット”を見る(写真多数)
5年のうちに出産と2度のがんを経験した橋本さんに、病気の発覚から闘病について、また、病気を通じて変化した仕事への向き合い方について、話を聞いた。(全3回の2回目/1回目から続く)
ネイリスト・経営者で、チャンネル登録者数20万人超の美容系でもある橋本実花さん
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「CTにもエコーにも怪しい影が見えた」子宮全摘出の5年後に発覚
――子宮頸がん治療で子宮の全摘出をした5年後にが発覚したということですが、わかったきっかけは?
橋本実花さん(以降、橋本) 経過観察の際に、「子宮頸がんからもうすぐ5年になるので全身を診ておきましょう」ということになって、そこで発見されました。
――CTかなにかにが写っていたと。
橋本 CTにもエコーにも怪しい影が見えたので、病理検査をしたらやっぱりでした、と。
その際、はステージ2であること、右の乳房と乳頭を全部取ることをすすめられました。
――子宮頸がんの時は予兆は何もなかったということですが、の発覚前も特に変化はなく?
橋本 まったくですね。しこりもなかったし、気付きにくいタイプのだったようです。
になったのが「自分で良かったな」と思ったワケ
――2度目のがんということで、ショックも大きかったのでは。
橋本 病院から、「病理検査の結果をお伝えしたいので、またご家族と来れますか」と言われて、前の経験でピンとくるじゃないですか。「あ、これはダメだったんだな」って。
――1度目の子宮頸がんの時より、冷静に受け止めた?
橋本 後日病院に行った時、ちゃんと告知を受けたんですけど、「またか……」という気持ちと同時に、自分で良かったな、と思って。
――がんになったのが他の家族じゃなく、自分で良かったということ?
橋本 そうですね。子宮頸がんで治療の大変さを思い知ったので、2回もがんになったのはもちろんショックだったんですけど、こんなしんどい思いをするのが自分の子どもや親じゃなくて良かった、という思いのほうが強かったです。
「しんどすぎて不眠」「ずっと吐き気が続いている」発覚後の壮絶な闘病生活
――パートナーや家族の方の反応はどうでしたか。
橋本 夫は子宮頸がんのときと同じく、ずっと泣いてました(笑)。
息子にも、子宮頸がんとのことを伝えたんですけど、ちょうど『はたらく細胞』のアニメを見ていていろいろとリンクしやすかったみたいで、教育につながったのは良かったかな(笑)。
――お母さんが子宮と乳房を取ったことを、お子さんは理解している?
橋本 はい。伝えたときは「エーッ!」って驚いてましたけど、まだ当時3歳だったので、「ママが生きているならそれでいいや」という感じでした。
ただ、こんなタイミングもそうそうないので、術後の傷口やドレーン(体内に溜まった液体などを排出するための管)とかも全部見せて、しっかり息子の経験に変えました(笑)。
――小さいお子さんがいる中での闘病は大変だったのでは。
橋本 術後2か月くらいは痛み止めもほとんど効かないような状態で、しんどすぎて不眠になるほどでした。
子どものお世話どころか自分のこともままならない状態で、痛みで右腕は上がらず、何もかも左手でするしかない。傷口に貼っているテープを剥がすだけでも痛みが強くて一大事だし、全身麻酔が切れた後はずっと吐き気が続いているしで、とにかくきつかったです。
「『女性の美しさ』みたいなところが全部崩壊した」右乳房全摘出後に変化した価値観
――乳房の再建もされたということですが、右胸がなくなることに関してどんな思いがありましたか。
橋本 子宮頸がんの時は、それこそ生理がこなくなってはじめて、「あ、子宮取ったんだった」と気づく程度だったんですけど、になって、女性の象徴である胸がなくなることになった時は、美しくあろうと頑張ってきたことが一気にどうでもよくなったんですよね。
――橋本さんは美容系のお仕事をされていますが、そこが崩壊したような?
橋本 そうそう、「女性の美しさ」みたいなところが全部崩壊した気持ちになって。
ただ、徐々に気持ちの変化があって、乳房再建にあたってシリコンでできた人工製の乳房のサイズを選んだんですけど、サイズが「大きめ」と「小さめ」しかなかったので、「小さめ」を選んだんですね。
「前の私だったら迷わず『大きめ』を選んでた」実際のバストサイズよりも小さい人工乳房を選んだワケ
――自分の実際のバストサイズよりも小さいサイズの人工乳房を選んだと。
橋本 イケイケなタイプだったので、前の私だったら迷わず「大きめ」を選んでたと思うんですけど、その時は自然と、「小さめでいいや」って思ったんですよね。
小さいサイズの方が負担も少ないし、どうせいつかはもう片方の自分の胸も垂れるだろうから、「小さめぐらいがちょうどいいな」と。その時、自分の変化を感じましたね。
――20万人以上の登録者数のある「美容系」としても、“見た目”に対するこだわりは強かった?
橋本 それで言うと、私はずっと、ルッキズムに対する強いストレスがあって。
「ここも何か言われるかも」として活動する中で、自分の容姿が気になるように…
――容姿についていろいろと言われてきた?
橋本 という道を選んで、自分で撮って、それを人に見せて、いろんなフィードバックを受けるというのを何年もやってると、自分の悪いところに目が行くようになっていて。
そうすると、直接指摘されるのはもちろんですけど、「ここも何か言われるかも」と、勝手に予想を立てて予防線を張っていたんですよね。
――「予防線」とは?
橋本 たとえば、前に「口元がゴリラっぽい」と言われたことがあって、それから気になりだしちゃって、横顔だと特に口元の突出感がわかりやすいので、あんまり横を向かないようになったんです。
もともとは「歯並びがきれいだね」と言われていて口元には自信があったんですが、4本歯を抜いて口元をぐっと抑える矯正もしましたし、他にも、美容クリニックで糸を入れて吊り上げたり、ボトックスを打ったりもしました。
あと、静止画では目立たなくても、動画だと顔の歪なところがわかりやすいんですよね。
「顔変わった?」あの手この手で嫌なコメントを言ってくる人も…
――ご自身の映ったYouTubeを見ると、いろんなところが気になりだしてしまうと。
橋本 頬骨が高いから笑うとより頬骨が目立つし、小鼻も広がるからキモいと思われるかもと、極力笑わないようにしたり。で、しまいにはアホ毛が立っているだけでも「何か言われるかもしれない」となって、とにかくもう全部嫌になったんですよ(笑)。
それで、キーワードでブロックをかけて嫌なコメントは目にしないようにしたんですけど、それでもブロックもかいくぐって、あの手この手で言ってくる人はいるんです。
――特にグサッときたコメントにはどんなものがありましたか。
橋本 むしろ、「ブス」「デブ」みたいな直接的な言葉はあんまりダメージはないんですけど、「顔変わった?」みたいな、間接的な言葉のほうがグサグサ刺さるんですよね。
「になる直前までは、めちゃくちゃ仕事も頑張ってた」病気になってから変わった仕事への向き合い方
――いい意味か悪い意味かわからないけど、「顔変わった?」って、あんまり言わないですよね。
橋本 そうなんですよね。だから、きっと悪い意味で言ってるんだろうと捉えて、またいろいろ気にしちゃってたんです。
――になったことで、SNSや仕事に対する向き合い方に変化があった?
橋本 子宮頸がんの時は、子どもがお腹にいる時に病気になったことで絶望を感じたんですけど、その後、になる直前までは、めちゃくちゃ仕事も頑張ってたし、業績もすごく良かったんです。
でも一方で、仕事がしんどかったのも事実で。どこか「これは本当の自分じゃない」という感覚があって、もしかしたら辞めるためにがむしゃらにやってたのかもしれないな、と今では思うんです。
写真提供=橋本実花さん
〈「胸は小さくなかったし、自信のあるパーツだったけど…」2度の“がん”で子宮と右乳房を失った美容系(32)が語る、病気になって変化した“容姿への価値観”〉へ続く
(小泉 なつみ)