女性講談師の草分け神田陽子、波乱の半生を語る

神田陽子(右)と森田健作

女性講談師の草分けとして知られる神田陽子(67)が、11月15日と22日放送のBS日テレ「森田健作アワー 人生ケンサク窓」(午前9時~9時半)に出演。このほど、東京・新橋の日テレSKYスタジオで収録が行われた。森田健作(67)との初顔合わせとなった神田は、小学生時代に「オレは男だ!」を見て以来の熱烈なファンだったことを告白。番組がきっかけで剣道を始めたことも明かし、笑顔で当時を振り返った。

芸能界を目指した少女時代と講談への転身

芸能への憧れは早く、小学校時代には祖母の勧めで東映児童劇団に入団。「バレエや歌、演技、作法も学べると思ったようです」と語る。高校卒業後は演劇系の大学を目指したが、全て不合格。文学座演劇研究所に入所するも、田中裕子や富沢亜古、矢代朝子らの演技力に圧倒され、「1年でいらないと言われた」と苦笑い。それでも諦めなかった。運命を変えたのは、伯父からもらった1本のカセットテープだった。

それは神田山陽が演じた講談「レ・ミゼラブル」。少女のコゼットからジャン・バルジャンまで1人で演じ分ける技に衝撃を受けた神田は、1979年に二代目神田山陽に弟子入り。82年に二ツ目、88年に真打に昇進した。

女性講談師のパイオニアとして

「当時の講談界は低迷していて、『斜陽の芸』と揶揄されていました」と神田。一方で、女性棋士の活躍で将棋界が注目を集めていたことにヒントを得た。「講談も女性の時代が来る」と考えていたタイミングに、自身の登場はぴったりだったという。

しかし、講談界の封建的な風土は厳しく、「お嬢ちゃんには講談は無理」「お稽古事じゃない」と冷やかされることもあった。それでも山陽師匠はテープ録音を許可するなど丁寧に指導。「師匠の支えがなかったら続けられなかった」と感謝を語る。

プリプリの「Diamonds」がくれた勇気

講談人生を支えたのは、プリンセス プリンセスの「Diamonds」だという。1989年の発売当時、毎日聴いて挫けそうになる自分を励ました。「今でもテーマ曲で、カラオケでは絶対歌います!」と笑う。

54歳で早稲田大学人間科学部に入学し、5年かけて卒業。逆境を跳ね返すポジティブさで道を切り開いてきた。

長年の念願だった森田との共演では、「Diamonds」への思いを熱く語り、「青春が戻ってきたみたい」と目を輝かせると、森田は「俺はいつでも青春だ。お互い生きている限り青春だよ」とエールを送った。

さらに、森田がパーソナリティを務めるラジオ番組にも出演予定。FM NACK5「青春もぎたて朝一番!」(12月7日放送)、ニッポン放送「青春の勲章はくじけない心」(12月22日放送)で、話術を繰り出す。

■神田陽子(かんだ・ようこ) 講談師。1958年5月19日生まれ。東京都出身。東映児童劇団から高校卒業後、文学座演劇研究所に所属。1979年二代目神田山陽に入門。1988年真打昇進。2017年早稲田大学人間学部卒業。