「いいから船を出せ!」…26人犠牲の遊覧船社長 熟練船員が反発して全員辞めた「海の素人」の評判

公判を終えて釧路地裁を後にする桂田被告

「法律に反するのかわかりません」

証言台に立った被告は胸元から紙を取り出し、こう読み上げた。

注目の裁判が釧路地裁で始まった。’22年4月23日に北海道・知床半島沖で20人が死亡し、6人がいまだに行方不明となっている知床遊覧船『KAZU1』(以下『カズワン』)沈没事故の運行会社社長・桂田精一被告(62)の公判だ。業務上過失致死罪に問われている桂田被告。法廷で「家族の皆様に心からお詫びします」と謝罪しつつ、「罪が成立するかわからない」と自らの責任については明言を避けた。

「法廷では『船首部分が沈みかけている。早く来てくれ!』『カシュニの滝です。カシュニ!』という、海上保安庁へ救助を求めた船長らしき男性の生々しい音声が公開されました。事故当日は、強風注意報や波浪注意報が出ていた。検察側は、被告は事故を予見できたとし『出航後でも船長に航行中止を指示すべきだった』と主張。弁護側は『事故の発生を予見できなかった』と反論しています」(全国紙司法担当記者)

『FRIDAYデジタル』はこの痛ましい事故の発生直後から、桂田被告に近い関係者を取材。「海の素人」だった運行会社社長の評判をあらためて紹介したい――。

「シケていなかった」

およそ2時間半の会見で、土下座すること3度。

『カズワン』の事故が起きてから4日後、’22年4月27日になって桂田被告はようやく謝罪会見を開いた。しかし「午前中はシケていなかった」など、海の状況を判断する能力を疑うような説明に終始。安全意識の欠落が疑われる内容だった。

「土下座もパフォーマンスに見えてしまいます。社長は海の素人。事故の原因はなんだったのか、どこがいけなかったのか、よく理解していないのではないでしょうか」

こう話すのは、桂田被告を知る『カズワン』の母港・ウトロ港近くに住む住民A氏だ。知人に「海の素人」と言われる桂田被告とは、どんな人物なのだろうか。A氏が続ける。

「地元・斜里町から直線距離で60kmほど離れた、網走の高校に通っていました。下宿生としてね。卒業後は、茨城県の職業訓練校のような施設で陶芸の技術を学んでいたんじゃないかな。斜里町に戻ってきたのは、確か40歳を過ぎてからです。両親が経営していた、民宿やホテルを手伝っていました」

桂田被告が親の後を継ぎ、『国民宿舎桂田』などを運営する『しれとこ村』の社長に就任したのは’15年4月。『知床遊覧船』を買収したのは翌年のことだ。

「センスがある」

「先代の社長が高齢になったため、『知床遊覧船』を売りに出したそうです。名乗りを上げたのが桂田さん。事務所や船を、丸ごと数千万円で買い取ったそうです」(全国紙社会部記者)

だが、直後から『知床遊覧船』では内紛が起きる。

「桂田さんは旅館業のプロでしたが、海に関しては素人ですからね。ビジネス優先だったようで、海が荒れていても利益を得るために『いいから船を出せ!』と指示していたそうです。反発した熟練の船員は全員辞めてしまった。仕方なく、安い賃金で経験の浅いスタッフを雇いなおしたと聞いています」(前出A氏)

事故を起こした『カズワン』の船長B氏も能力を疑問視されていた。『知床遊覧船』に入社したのは事故の2年ほど前。その前は水陸両用の車を対象にした団体で働いていたが、知床沖のような荒れることが多い海で船を操縦した経験は皆無だったという。

「船の操縦技術が一人前になるまで3年はかかるといわれますが、桂田さんは『センスがある』とBさんを持ち上げ、1年ほどで船長にしたそうです。しかも1人で2隻を担当させた。マジメで寡黙だったBさんは、要求を断れず悩んでいたのでしょう。自身のフェイスブックに、こう投稿しています。〈ブラック企業で右往左往です〉と」(同前)

’21年6月、B氏は出航後まもなく船を座礁させ、翌年1月に業務上過失往来危険容疑で書類送検されている。A氏が続ける。

「事故直後の謝罪会見で桂田さんは、最終責任は『私』としながら『(事故を起こした船は)船長判断による出航』と話していました。責任をBさんに押しつけている印象を受けた。

小型観光船はゴールデンウイークから就航するのが通例なのに、『知床遊覧船』だけ1週間近く前倒ししたのは利益を優先させたからでしょう。桂田さんが天候を無視し安全を軽視した結果が、大惨事を生んだと思います」

冒頭で紹介した裁判の判決は、来年6月17日に言い渡される予定だ。