【全文公開】舘ひろし 75歳、デビューから今年で50年の名優が語る「仕事」と「生き方」

’76年に銀幕デビューし、今年で芸能活動50周年。年齢を重ねるにつれ演技と色気に深みを増していく、芸能界一の″ダンディズム″。「映画は最初のワンシーンで決まる」と語った名優の7年ぶり単独主演映画『港のひかり』は公開中

″強くてカッコいい男″の素顔

「この年齢になっても皆さん『素敵ですね』と言ってくれますが、男なんて情けないくらい弱いものですよ。だから次に進もうと思える。僕自身がそうですから」

ダンディズムの代名詞として親しまれてきた俳優・舘(たち)ひろし(75)。インタビューの口火を切ったのは、そんな拍子抜けするほど率直なひと言だった。

「でも弱いからこそ、一生懸命に強くなろうとする。その必死さが、結果的に″強さ″に見えるんじゃないかな。結局は弱さが原動力になって、強さを目指す——それが男という存在だと思います」

’70年代に仲間と結成したバイクチーム『クールス』で革ジャンに身を包み、街を走り抜けた。やがて「東映俳優センター」に所属し、’76年公開映画『暴力教室』で銀幕デビュー。’79年から始まった『西部警察』シリーズの冷静沈着な刑事、’86年からの『あぶない刑事』シリーズのダンディー鷹山など、長きにわたり″強くてカッコいい男″の象徴として、舘は観客の前に立ち続けてきた。

だが、本人は意外な言葉を口にする。

「俳優としても、男としても、完璧だと思ったことは一度もないですよ。いつも″まだまだだな″って思う。だからこそまた次に挑(いど)もうと思えるんです」

自分の弱さや不完全さを受け入れ、それすらも″強み″に変えてきた。その積み重ねが、気づけば50年のキャリアを形作っていた。

そして今、舘は7年ぶり単独主演映画に臨んでいた。11月14日公開の『港のひかり』で、過去を捨てた元ヤクザの漁師という難役に挑む。これまでのイメージを裏切るような、静かで繊細な男だ。

「役作り? いやぁ、全然してないですよ。僕、そういうことはあんまりやらないんです。細かく作り込むよりも、その場の空気や相手から受けたものに素直に反応するほうが性(しょう)に合ってる。だから今回はね、最後まで″気持ち″で演じきれたかなと思います」

演じたのは、北陸の港町でひっそり生きる元ヤクザの漁師・三浦。同級生からイジメに遭(あ)い、家庭でも居場所のない弱視の少年・幸太と出会い、二人が築いていく″年の差の友情″を十数年にわたって紡(つむ)いでいく——。

監督は、昨年公開映画『正体』で第48回日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した若手の旗手・藤井道人監督(39)。’21年の『ヤクザと家族 The Family』で初めてタッグを組み、「必ずもう一度ご一緒しましょう」と約束を交わしたことから本企画は動き出した。

「ここ最近も映画に関してはたくさんのオファーをいただきましたが、どうも自分のイメージと違ってね。どうせやるなら藤井監督と、って思っていて3年近く企画を練りました。最終的に『深みのある人間ドラマをやろう』という話に決まったんです」

撮影を務めたのは、数々の名作を手掛けてきたキャメラマン・木村大作。完成した『港のひかり』は、全編35mmフィルムで撮影され、雪深い港町の風景が、登場人物の孤独や希望とまるで呼応するように焼き付けられている。

「やっぱり映画は最初のワンシーンで決まりますよね。そこで『もっと観たい』と思わせられるかどうか。そこに役者の力量が表れると思っています」

こだわりはない

そんな撮影の手応えを振り返りながら、舘は自分の俳優人生へと話を向けた。

「役作りに限らず、僕は″これだけは譲れない″っていうこだわりがほとんどないんです。台本を読んで″これは無理だな″と思ったら最初から断る。逆に受けた以上は、全力でやるだけ。結局それが僕のやり方なんでしょうね」

昔、一度だけ二つの作品を同時に抱えたことがあったというが……。

「どっちもダメになっちゃった。僕には同時進行できるキャパシティがないって、その時にわかったんです。要は、不器用なんですよ」

どこまでも器用でスマートだと思っていた男の素顔は、意外なものだった。では、芝居に対する原動力は何なのか?

「原動力なんて大げさなものはないんです。ただ、ありがたいことに皆さんが声をかけてくださる。次はどんな舘ひろしが見られるのか……と期待してくれているんじゃないかな。それに応えたい気持ちが、結果的に原動力になっているのかもしれません」

声をかけられた作品に身を委(ゆだ)ね、全力で応えてきた——それが彼の俳優人生だった。しかし、若い頃は「どうしてもやりたい」と願ったのに実らず、悔しい思いをしたこともある。

「大藪春彦さんの小説『汚れた英雄』はそうでしたね。スピードと欲望に翻弄(ほんろう)されるバイクレーサーの話で、どうしても映画でやってみたいと思ったんですが、結局叶わなかった。

ただ、歩みを続けていると、不思議と望んでいた役が自然と巡ってくるんです。織田信長や大石内蔵助、山本五十六といった歴史上の人物もそうですし、自分から強く惚(ほ)れ込んだのは’95年から4回にわたって放送されたNHKドラマ『新宿鮫』。小説を読んで″やりたい″と思っていたところにオファーをいただいて、本当に嬉しかった。心から望んだ作品の役をやれたのは、あの時が初めてだったかもしれませんね」

とはいえ、自分の芝居に満足したことは一度もない。

「石原プロ時代には、石原裕次郎さん(享年52)や渡哲也さん(享年78)から『上手くなりすぎるな、満足するな』ってよく言われました。器用にきれいにまとめるより、不器用でも生々しい芝居のほうがいい。そっちのほうが見る人の胸に響くんだって」

その言葉を支えに今も芝居と向き合っているという。

「やっぱり僕の原点は石原プロなんです。裕次郎さん、渡さん、小林(正彦)専務(享年80)……彼らが映画を本気で作る姿をずっと近くで見てきましたから」

50年前の自分へ

’21年、舘はそんな石原プロの意志を引き継ぎ「舘プロ」を設立。そこには自身 の大きな野望を重ねていた。

「いつか自分の映画を作りたい。その思いはずっと変わらないんです。石原プロでは″大作主義″を掲げていて、それは本当にすごいことだったと思います。

でも僕の場合は、規模にこだわらなくてもいい。小さな作品でも、視聴者の心に残る″いい映画″を一本作れれば、それで十分だと思っているんです。

実は、昨年の『帰ってきた あぶない刑事』では、出資という形でも関わらせていただきました。そうやって少しずつ、自分なりに映画製作の準備をしてきたつもりです。大げさに語るつもりはないけれど、″自分の手で(映画)一本を作りたい″という思いはずっとあるんですよ」

さらに、彼の映画愛は日々のルーティンにも滲(にじ)んでいる。

「朝起きたら、まずは映画を観るんです。録り溜めたやつとか配信とか。出だしがつまらないとすぐ消しちゃうけどね」

デビューして今年で50年。『デビュー当時の自分に声をかけるなら?』と尋ねると、フッと不敵な笑みを浮かべた。

「『俳優はやめときなさい』って言うでしょうね(笑)。俳優として自信があったわけじゃなくて、僕はただ運がよかっただけ。

実際、大学では建築学科に進みましたし、もともと何かを作るのが好きだっただけなんです。俳優の仕事も物作りの一部。役を演じるだけじゃなく、作品全体がどう仕上がるかに興味がある。だから建築でも映画でも、根っこは同じなんだと思います」

また、こうも続ける。

「もし俳優になっていなければ何になっていたか? 建築学科に進むくらいなので、建築家になっていたと思いますね」

ワンシーンで視聴者を虜(とりこ)に——そんな日本を代表する名優は、一歩間違えれば存在しなかったかもしれない。

医者の家系に生まれ、大学は建築学科に進学するも、この道一本。誰もが憧れる俳優はスクリーンで生き続ける
本誌未掲載カット 舘ひろし 75歳、男の原動力とは? スペシャルインタビュー
本誌未掲載カット 舘ひろし 75歳、男の原動力とは? スペシャルインタビュー
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『FRIDAY』2025年11月28日・12月5日合併号より