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中山美穂さんFC〝早すぎる〟サービス終了にファン悲鳴「胸が締め付けられる思い」「やっぱり現実なんだね」

訃報からわずか2週間ばかりでの案内にファンからは様々な声が…

中山美穂さん=2010年撮影

「中山美穂オフィシャルファンクラブ『Langue de Chat』についてのご案内です」としてオフィシャルファンクラブでの案内を投稿。HPによると2025年3月31日にサービスを終了することを伝えており、ファンたちとのつながりを「大切な宝物」としてコメントを掲載している。

サービス終了の報告にファンからは「やっぱり現実なんだね 心の整理つく前に終わるんだね」「胸が締め付けられる思いです」「分かってはいたけど、ずっと繋がっていたいです」「そんなに早くなくても…と思っています」「こんなに早くこんな知らせが来るなんて」「インスタやXは残してほしいです」など悲しむコメントが殺到している。

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「もう一度聞きたい」中山美穂さんの“一曲”ランキング 「推したい曲」が並んだ大混戦の15位以降 「なんてカッコイイんだ」とファン衝撃の曲も

12月6日に亡くなった、歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。1985年、「C」でデビュー以降、数多くのヒット曲を発表してきました。そのなかで、もう一度聞きたいという「一曲」は何か、AERA dot.編集部はアンケートを実施。3千超の回答から選ばれたランキングの15位以降は、「ファン以外にも聞いてほしい」と選んだ名曲がひしめく混戦状態に。 中山美穂さんは、1985年に放送されたドラマ「毎度おさわがせします」で彗星のように現れ、同年の初主演ドラマ「夏・体験物語」の主題歌『「C」』で歌手デビュー。その後も、多くのヒット曲を発表しました。 今回のアンケートは12月11~16日にインターネット上で実施し、3333人から回答がありました。 ■15位 未来へのプレゼント(1996年) 15位には同一票で3曲が並ぶ。1曲目「未来へのプレゼント」は、本人主演のフジテレビ系ドラマ『おいしい関係』主題歌でシンガーソングライターの岡本真夜とのコラボ曲だ。 「『おいしい関係』のドラマのストーリーにどっぷり浸かってました。この歌詞を聴くと励まされます」(40代、女性)というファンの声のように、「未来へのプレゼント」は多くの人の支えになってきた。 「あきらめそうな時に元気をもらえた」(50代、男性) 「自身が辛かった時に初めて聴いた歌で、歌詞と自身の思いがリンクし涙が溢れた1曲。今でも応援歌として聴いています」(50代、女性) 「小学生の頃に見ていたドラマの主題歌。今年のコンサートで初めて生で聞けて感動しました。歌詞にも励まされるので、今もう一度聞きたいです」(30代、女性) そして、ファンに勇気や元気を与えてくれた「未来へのプレゼント」を歌う中山美穂さんは亡くなってしまった――。 「今年のライブで歌ってくれました。歌う前のMCで、『歌詞がストレート過ぎるので、歌うことを躊躇することもあった』というようなお話をしていて、本当にいつも自分のことではなく、相手のことを思いやれる人なんだなと感じ、歌声を聴きながら泣いてしまいました。 そんな美穂ちゃんが大好きで、初めてTVで見た時から40年、ずっと追いかけ、ずっと応援してきました。訃報が入った当日のビルボードライブ大阪も会いに行く予定で、突然のお別れがまだ信じがたく、胸が痛いです」(50代、女性)

「中山美穂さん」パリで親交があったパティシエが語った「夜の街を歌いながら歩き」「辻さんと3人で飲んだ」日々

12月6日に急逝した中山美穂さん(享年54)はおしいものを食べるのも、お酒を飲むのも好きだった。通っていたお気に入りの店もいくつかあった。パリのケーキ店、東京の焼き肉店、ラーメン店……美穂さんと交流のあったパティシエや店主らが「食」を通して垣間見えた“素顔”を語ってくれた。 美穂さんは女優として活躍していた2002年、芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚。芸能活動を休止して、フランス・パリに移住した。そして04年に長男を出産。14年7月に辻氏と離婚するまで、パリに10年以上滞在した。 パリで美穂さんが行きつけだったのは、吉田守秀さん(47)が経営するケーキ店「MORI YOSHIDA」。同店がオープンしたのは2013年だが、吉田さんは美穂さんとの出会いをこう話す。 「出会いは僕がケーキ店をオープンしてすぐの頃です。知人のつながりで、食事会に誘っていただいたのが最初でした」 やがて、美穂さんは「MORI YOSHIDA」にも来るようになった。 「美穂さんは辻さんと夫婦で来たこともありますし、一人で来たこともありました。辻さんといるときは本当に静かでしゃべらない印象でしたが、美穂さん一人で来店すると、すごく明るくしゃべっていましたね」(吉田さん) 美穂さんと吉田さんは次第に打ち解けるようになり、外に少人数で食事に出かけるようにもなった。 「当時、パリに『みほ会』というのがあって、いろんな『みほ』さんが集まって、食事会を開いていました。そこに僕も入れてもらって、料理を手伝ったり、食事をしたりしていました。美穂さんはワイン好きで、特に白ワインが好みでした。3~4杯飲むとだいぶ出来上がって、それからが長いんです(笑)。みんなで楽しく飲むのが好きで、最初に酔っぱらって、人を楽しませるし、自分も楽しくなっちゃう人。異国暮らしで、いろんなストレスもあったのかもしれません。夜中に帰るときもあったし、朝まで飲んでいるときもありました。家が近所だったので、帰りは辻さんと息子さんが待つ自宅まで送っていく担当でしたね。今思うとかけがえのない時間でした」 お互いを「ヨッシー」「美穂さん」と呼ぶほど仲良くなると、帰り道のパリの夜の街を歩きながら、美穂さんは歌うこともあったという。 「ご自分の持ち歌の中で一番好きな曲は『ただ泣きたくなるの』だと話していました。原曲よりちょっと明るめにアレンジして歌いながら歩く美穂さんの後を、僕がついていくという感じでした」 ■「ヨッシーのケーキだと食べられちゃう」 美穂さんの自宅に着くと、辻さんが迎えてくれ、「せっかく来たんだから飲んでいって」と自宅に上げてもらったこともあったという。 「辻さんと美穂さんと3人で飲んだこともありましたね。最初のご自宅は現代建築の部屋だったんですけど、引っ越した後の家はオスマン調の昔ながらの天井の高いところでした。広すぎて寒いくらいでした」 美穂さんはパリでの生活を楽しんでいたようだ。 「ダンスを習っていると聞いたことがあります。ラテンぽいダンスで、飲みに行くと軽やかに踊っていました。『一緒に踊ろうよ』と誘われたこともありますが、僕は『パティシエは踊らないんですよ』と言って断っていました」  美穂さんとさまざまな話をするなかで、吉田さんには忘れられない言葉があるという。 「僕がわりとストイックにお菓子作りに熱中していて、パティシエ論?みたいな話になった時に、美穂さんがこう言ったことがありました。『ヨッシーみたいにお菓子一本でやってきた人もいるし、お菓子を楽しく作る生活の一部として、パティシエをしている人もいる。どちらも正解なんじゃないかな。パティシエにもいろんなタイプがいて、自分と違うタイプを否定するのは違うと思う。才能がある人もいるし、そうでもない人もいる。いろんな人がいていいんじゃないの』。この言葉に美穂さんの人柄があらわれているような気がして、今となっては余計に思い出してしまいます」 美穂さんは同店のイチゴショートケーキが好きで、それをほおばりながら「ヨッシーのケーキだと食べられちゃうんだよね。なんだか落ち着くわ」と語っていたという。 辻氏との離婚後、美穂さんは再び東京で暮らし始めた。歌手としてステージに立ち、女優としても復活を目指していた。 3~4年前から通っていたのが、渋谷区・笹塚にある焼き肉店「にくる」だ。店長の伊藤信太郎さん(44)によると、美穂さんは「3カ月に1回のペース」で同店を訪れていたという。最初は妹の忍さんが月に3~4回通っていて、そのうち、自然と姉の美穂さんを連れてくるようになったという。 ■焼き肉で好きだったのは「レバー」と「赤身」 美穂さんがいつも座る「指定席」は2階の個室。店の2階へは専用の外階段を使う構造になっていて、誰にも会わずに個室まで行くことができる。個室入ると、美穂さんのサイン入り色紙が飾られていた。 「美穂さんは遅めの時間に来られることが多かったですね。バックバンドのメンバーたちと練習終わりに来られたり。お肉では特にレバーがお好きでした。赤身の肉も召し上がっていましたね」 おしゃべりしながら、お酒も飲んでいたという。 「ワインも飲みますし、ジンベースのスダチのソーダ割りがおいしいと言ってくれていました。それでも2~3杯で、そんなに量を飲んでいたわけではないです。食事中もライスは食べず、野菜を一緒に摂っていて、健康にも気を使っているように見えました」 美穂さんを12歳でスカウトし、芸能界で育て上げた「恩師」の山中則男さんは、美穂さんの好物をこう明かす。 「若い時から肉はよく食べに行ったし、好きでしたね。『毎度おさがわせします』で女優デビューが決まった夜はディナーで、私の事務所の近くの『フォルクス』でステーキとサラダバーをイヤというほど食べましたよ。最高のディナーだったと今でも思っていますし、ドラマの撮影中でも時間があると『フォルクス』へ行きました。最初の海外ロケは写真集『もう一度お騒がせ 一生懸命』の撮影でハワイに行ったんですが、そのときも分厚いステーキをおいしそうに食べていました。他には、ラーメンも好きでしたね。ドラマの撮影では、楽屋にラーメンの出前を取ってよく食べていました」…

「中山美穂さん」パリで親交があったパティシエが語った「夜の街を歌いながら歩き」「辻さんと3人で飲んだ」日々

中山美穂さん 12月6日に急逝した中山美穂さん(享年54)はおしいものを食べるのも、お酒を飲むのも好きだった。通っていたお気に入りの店もいくつかあった。パリのケーキ店、東京の焼き肉店、ラーメン店……美穂さんと交流のあったパティシエや店主らが「食」を通して垣間見えた“素顔”を語ってくれた。   美穂さんは女優として活躍していた2002年、芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚。芸能活動を休止して、フランス・パリに移住した。そして04年に長男を出産。14年7月に辻氏と離婚するまで、パリに10年以上滞在した。 パリで美穂さんが行きつけだったのは、吉田守秀さん(47)が経営するケーキ店「MORI YOSHIDA」。同店がオープンしたのは2013年だが、吉田さんは美穂さんとの出会いをこう話す。 「出会いは僕がケーキ店をオープンしてすぐの頃です。知人のつながりで、食事会に誘っていただいたのが最初でした」 やがて、美穂さんは「MORI YOSHIDA」にも来るようになった。 「美穂さんは辻さんと夫婦で来たこともありますし、一人で来たこともありました。辻さんといるときは本当に静かでしゃべらない印象でしたが、美穂さん一人で来店すると、すごく明るくしゃべっていましたね」(吉田さん) 美穂さんと吉田さんは次第に打ち解けるようになり、外に少人数で食事に出かけるようにもなった。 「当時、パリに『みほ会』というのがあって、いろんな『みほ』さんが集まって、食事会を開いていました。そこに僕も入れてもらって、料理を手伝ったり、食事をしたりしていました。美穂さんはワイン好きで、特に白ワインが好みでした。3〜4杯飲むとだいぶ出来上がって、それからが長いんです(笑)。みんなで楽しく飲むのが好きで、最初に酔っぱらって、人を楽しませるし、自分も楽しくなっちゃう人。異国暮らしで、いろんなストレスもあったのかもしれません。夜中に帰るときもあったし、朝まで飲んでいるときもありました。家が近所だったので、帰りは辻さんと息子さんが待つ自宅まで送っていく担当でしたね。今思うとかけがえのない時間でした」 お互いを「ヨッシー」「美穂さん」と呼ぶほど仲良くなると、帰り道のパリの夜の街を歩きながら、美穂さんは歌うこともあったという。 「ご自分の持ち歌の中で一番好きな曲は『ただ泣きたくなるの』だと話していました。原曲よりちょっと明るめにアレンジして歌いながら歩く美穂さんの後を、僕がついていくという感じでした」 「MORI YOSHIDA」のオーナーパティシエ・吉田守秀さん(「MORI YOSHIDA」提供) ■「ヨッシーのケーキだと食べられちゃう」 美穂さんの自宅に着くと、辻さんが迎えてくれ、「せっかく来たんだから飲んでいって」と自宅に上げてもらったこともあったという。 「辻さんと美穂さんと3人で飲んだこともありましたね。最初のご自宅は現代建築の部屋だったんですけど、引っ越した後の家はオスマン調の昔ながらの天井の高いところでした。広すぎて寒いくらいでした」 美穂さんはパリでの生活を楽しんでいたようだ。 「ダンスを習っていると聞いたことがあります。ラテンぽいダンスで、飲みに行くと軽やかに踊っていました。『一緒に踊ろうよ』と誘われたこともありますが、僕は『パティシエは踊らないんですよ』と言って断っていました」  美穂さんとさまざまな話をするなかで、吉田さんには忘れられない言葉があるという。 「僕がわりとストイックにお菓子作りに熱中していて、パティシエ論?みたいな話になった時に、美穂さんがこう言ったことがありました。『ヨッシーみたいにお菓子一本でやってきた人もいるし、お菓子を楽しく作る生活の一部として、パティシエをしている人もいる。どちらも正解なんじゃないかな。パティシエにもいろんなタイプがいて、自分と違うタイプを否定するのは違うと思う。才能がある人もいるし、そうでもない人もいる。いろんな人がいていいんじゃないの』。この言葉に美穂さんの人柄があらわれているような気がして、今となっては余計に思い出してしまいます」 美穂さんは同店のイチゴショートケーキが好きで、それをほおばりながら「ヨッシーのケーキだと食べられちゃうんだよね。なんだか落ち着くわ」と語っていたという。 「MORI YOSHIDA」中野店のケーキ(撮影/上田耕司) 辻氏との離婚後、美穂さんは再び東京で暮らし始めた。歌手としてステージに立ち、女優としても復活を目指していた。 3〜4年前から通っていたのが、渋谷区・笹塚にある焼き肉店「にくる」だ。店長の伊藤信太郎さん(44)によると、美穂さんは「3カ月に1回のペース」で同店を訪れていたという。最初は妹の忍さんが月に3〜4回通っていて、そのうち、自然と姉の美穂さんを連れてくるようになったという。…

「新情報×新事実 世田谷一家殺害事件 解決への鍵」予告

12月29日 午後4時~ フジテレビ 新証言×新たな資料で迫る「世田谷一家殺害事件」 ▲未公開写真や新たな証言から現場の謎を完全検証 ▲DNAデータベースが24年目に解き明かした新たな犯人像 ▲この事件での活用が期待される「ゲノム・モンタージュ」の最前線を取材 2000年12月31日、20世紀最後の大晦日の朝、東京・世田谷区の住宅で何者かが夫婦と幼い子供2人を襲った「世田谷一家殺害事件」。犯人は一家4人を惨殺した上、長時間現場に居座り、衣類や血液など多数の遺留品を残して逃走した。そのずさんな犯行から犯人がすぐに特定できると期待されたが、捜査は難航を極め、今年で24年が経過することになった。番組では、この事件の始まりに立ち戻り、事件がどのように明らかになり、当初どんな捜査が行われたのか、現場はどんな状況だったのか、未公開の現場写真などから新たに検証する。また、捜査当局が極秘裏に行ってきた犯人の血液の「DNAデータベース」による解析を継続取材し、犯人のルーツについて新たな可能性を指摘するほか、警視庁が有力視するある不審人物の目撃者のインタビューにはじめて成功し、24年目の新たな犯人像を明らかにする。さらに、犯人のDNA検体を使って顔の特徴を予測する「ゲノム・モンタージュ」の最前線を取材。この手法の導入を訴える犯罪被害者遺族らの切実な思いも取材する。

中山美穂さん以外にも「風呂で命を落とした芸能人」危険な“スマホ持ち込み”と「してはいけない入浴法」

「ヒートショックは急な温度差によるものなので、脱衣室と浴室を暖めることが一番大事です。リビングとの温度差は5度以内に。お風呂に入るときはコップ1、2杯の水分補給をし、浴槽につかる前はかけ湯も忘れずに。冬だからといって熱い湯ではなく、40度のお湯で10分を目安にしてください」 「20分、30分を超える長風呂で、血圧が下がりすぎてしまうことも。スマホを見ながらの入浴時間は平均25分間といわれますので、スマホの持ち込みは避けましょう。飲酒の後の入浴も危険。 また、熱が37・5度以上あるときはお風呂に入らないほうがいいですね」 女性ならではの注意点としては、 「動脈硬化の予防効果がある女性ホルモンが減る閉経後は、血圧が上がることがありますので注意が必要です」

パトカー後部座席に男性遺体 パトロールに出発しようとして発見 身元不明 アメリカ(2024年12月23日)

アメリカ・テキサス州で、警察官がパトロールのためにパトカーを発進させようとしたところ、後部座席に男性の遺体を発見しました。 アルコール依存症や薬物中毒者の保護施設で、男性警察官がパトカーを発進させようとしたところ、後部座席に身元不明の男性の遺体があるのを発見したとヒューストン警察が22日発表しました。 地元メディアによりますと、男性は恐らくホームレスで、悪天候を避ける場所を探して車内で数日間、過ごしていたと警察はみています。 車のセキュリティーアラームは鳴っておらず、警察は監視カメラの映像を見て、男性がどうやってパトカーに侵入したのか、また、死因が何かについて調べています。 (C) CABLE NEWS NETWORK 2024

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