
元プロ野球選手の店にありがちな、現役時代のユニフォームやサインはいっさい飾られていない。相撲の番付表は掲げられているが、店内の装飾はシンプルだ。
「選手時代のネームバリューを売りにしたくないんです。あくまで味やサービスで勝負したいと思っています」
こう語るのはDeNAや巨人で活躍し、プロ野球通算66勝112セーブをあげた山口俊(38)だ。取材場所は山口が店主を務める東京・六本木のちゃんこ店『TANIARASHI』。元幕内力士で父親の谷嵐(故人)にちなんで付けた店名である。山口が続ける(以下、コメントは同)。
「地元・大分(中津市)で父の代から経営している『たにあらし』の姉妹店という位置づけです。やや甘めの九州風の味付けですが、東京でも勝負ができるという自信がありました。引退直後の’22年12月にオープンしたのですが、本店を継いだ母や兄からは猛反対されましたね。『飲食店を舐めるな』『生半可な気持ちでできる仕事じゃない』と。
でもボクは本気でした。『資金は全部自分で出す』『責任は全部負う』と説得。最後は『そこまで言うなら』と渋々納得してくれました。その代わり『ちゃんこの出汁や(大分名物)とり天のレシピをください』とお願いし、オープンにこぎつけたんです」
山口が六本木でちゃんこ店をオープンさせたことは、すでに『FRIDAY』をはじめいくつかのメディアが取り上げている。しかし飲食店で勝負すると決めた背景に、山口が「野球人生で唯一の後悔」と振り返るメジャーでの不完全燃焼があることはあまり報じられていない――。
「自分の甘さだったと思います」

15勝4敗188奪三振で、最多勝と最高勝率、奪三振王のタイトルを獲得したのは巨人時代の’19年だ。同年オフにブルージェイズと契約した山口は、翌’20年に憧れのメジャー挑戦を果たす。
「オープン戦で、英語で名前を呼ばれマウンドに上がると鳥肌が立ちました。ファンの方々がスタンディングオベーションで迎えてくれたんです。感無量でしたね……。あの感動は一生忘れません」
だが「夢の時間」は長く続かなかった。
「新型コロナウイルスの猛威に振り回されたんです。トレーニングを積んで調子が上がってきたと思ったら自宅待機。部屋で野球のできない時間が続き、フラストレーションが溜まりました。完全に歯車がおかしくなってしまった……。
メジャー2年目はジャイアンツとマイナー契約しましたが、声をかけてくれた古巣・巨人に戻ることを選び帰国しました。巨人には感謝しています。でも、振り返ると苦しい生活から逃れたいという自分の甘さだったと思います。たとえ結果が出なくても、マイナーで歯を食いしばってがんばるべきだったんじゃないかと今でも後悔しているんです」
メジャーでの心残りが、飲食店を続けるモチベーションの一つになっているという。
「引退後のセカンドキャリアについては、30歳ぐらいの時から考えていました。どんなに素晴らしい選手でも、いつかは終わりがくる。野球以外で何ができるかを考えた時に、思い浮かんだのが『父の味』ちゃんこだったんです。
ちゃんこ店を日本国内だけで展開するつもりはありません。海外でも通用する自信はあります。実際、今年7月にはラスベガスに焼き鳥をメインにした居酒屋をオープンしました。いずれはちゃんこ店にし、この店をフックに米国で挑戦を続けたいんです。メジャーでの不完全燃焼を食で巻き返します」
「自信はありますよ」

山口が大切にするのは味だけではない。ホスピタリティ(もてなしの心)にも力を注ぐ。
「ホスピタリティの重要性は、店のスタッフにも常々言っています。いくら美味しくても、店の感じが悪ければ『もう一度行こう』と思わないでしょう。お客様とのコミュニケーションはとても大切。アルコールは強くないのですが、お客様からお酒を勧められれば飲むようにしています。
特に海外で重きをなすのがアミューズメント性。つまり楽しさです。具体的には話せませんが、米国でのちゃんこ店でもアミューズメントを強調した方策を考えています。外国の方にも、日本の食と文化を楽しんでいただけるような店。自信はありますよ」
六本木『TANIARASHI』の料理人は山口の高校(柳ヶ浦高)の後輩で、大分の本店で数ヵ月間修業を積んだ。「父の味」を忠実に継承しつつ、ホスピタリティなどのサービスを取り入れている。
「目標は5年後の年商5億円です。まだまだ道半ばですが、働いて働いて働いています。毎日12時間は仕事しているかな。飲食業界ではまだまだ新米ですから、勉強することが多いんです」
ちゃんこで全米制覇――。セカンドキャリアで大きな目標を掲げた山口の挑戦は、始まったばかりだ。


