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文化放送・齊藤社長、定例社長会見で他界した中山美穂さん、小倉智昭さんを悼む

文化放送の定例社長会見が17日、東京・浜松町の同局で開かれ、齋藤清人社長が54歳で6日に他界した歌手の中山美穂さん、77歳で旅立ったフリーアナウンサーの小倉智昭さんを追悼した。

文化放送・齊藤社長、定例社長会見で他界した中山美穂さん、小倉智昭さんを悼む

齋藤社長は中山さんがデビュー直後の1985年から87年までタレント吉田照美(73)のワイド番組の中で10分間の帯番組を担当していたことを振り返り、「吉田さんが番組企画で中山さんと交換日記をしていたのを自慢げに話していたのを覚えています」と語った。さらに「中山さんは歌手、俳優としてだけでなく、声に特徴があり、ナレーションなど声、語りで魅力を発揮してほしかった。ある種の味が出てくるのはこれからで楽しみにしてました。ラジオマンとして非常に残念です」と早過ぎる別れを悼んだ。

画像・写真 | 中山美穂&中村繁之“なまいき盛り”新旧2ショットに反響 男闘呼組との共演にも期待の声 1枚目 | ORICON NEWS

小倉さんはレギュラーのワイド番組を同局で3本持っていた。齊藤社長は「87年、自分が新人時代に朝の番組を見学に行きました。小倉さんはかん高い声に特徴があり、パーソナリティーとしてラジオの人だなと思ってました。テレビにラジオの手法を持って行かれた人です。ミスター・ブロードキャストと思っている」と生前をしのび、「生放送でキューをふりたかった人です」と追悼した。

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小泉今日子さん「逆差別をしないでくださいね」…アイドルだった私は「この程度やれば十分」と言われてきた

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鈴木蘭々、中山美穂さんの思い出を回顧 オーディションで「ミポリンのRosaを歌ったり」

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「最高の“すてきな片想い”ができました」中山美穂さんへの好意公言していた“63歳ベテラン俳優”が涙ながらに心境を吐露

12月17日、俳優の柳葉敏郎(63)がメインパーソナリティを務めるラジオ番組『柳葉敏郎の昭和をご唱和願います』(エフエム秋田)に出演。6日に急逝した中山美穂さん(享年54)についての想いを明かした。 同番組はリスナーから寄せられたお悩みに柳葉が答えるコーナーと、柳葉が昭和の流行歌を紹介するコーナーで構成されているが、この日は番組の内容を変更。番組冒頭、柳葉は「去る12月6日、中山美穂さんが他界されました。ショックでした」と切り出すと、中山さんとの思い出を滔々と語り始めた。 柳葉は21年のドラマ『ザ・ハイスクール ヒーローズ』(テレビ朝日系)での共演が最後の中山さんとの仕事だったと明かし、「俺が悪者役で、ミポリンは生徒さんのお母さんの役だった。思いっきりほっぺを平手打ちで叩かれるシーンがあるんですけどね、いやー、その叩き方が優しかったなぁ」と回想した。 そして、「寂しいという、悔しいという思いばかりです。僕は大好きでしたからね。残った我々がね、彼女の分やっぱり一生懸命人生を全うしなきゃいけないんじゃないかなという思いがある」としみじみと述べた。 続けて、中山さんとのプライベートでの交流の話題に。過去に柳葉の自宅で開いたすき焼きパーティーに中山さんを招待したときのエピソードを披露した。柳葉が中山さんに「どういうすき焼きが好きなの?」と聞くと、「甘いのが好き」だと言われたという。 そこで、柳葉が「俺は甘くないのが好き」と言ったところ、「そんなのすき焼きじゃないよー」と笑われたため、二人がそれぞれすき焼きを作って、他の人に食べ比べをしてもらうことになったそうだ。結果は全員一致で中山さんが作った甘いすき焼きの方がおいしいというジャッジになったのだと柳葉は笑って明かした。 番組中盤には二人が初めて共演したドラマ『すてきな片想い』(フジテレビ系)の主題歌で、中山さんが歌う『愛してるっていわない!』が流れる場面も。同ドラマの思い出深いシーンを聞かれた柳葉は、「俺がやってる野茂がさ、風邪で熱を出してもう意識がないってときに与田圭子ちゃん(中山さん)が来てね、チュッてしてくれるんだ」と嬉しそうにキスシーンの話をし、「俺はな、憧れのミポリンと3〜4カ月仕事を一緒にできた喜びでいっぱいやったなあ」と感慨深げだった。 番組終盤に改めて中山さんへのメッセージを求められた柳葉は、「こういうときはいつもコメントしない人なんだけど、今回ばかりはこの番組でだけ言わせてもらおうかなと思って」と切り出し、ところどころ言葉を詰まらせながらも丁寧な言葉でこう心境を吐露した。 「本当に仕事の上でもプライベートの上でも、すごく友達感覚で時間を過ごさせてもらって。憧れの人とそんな時間を過ごせるなんていうのは本当、最高に幸せな時間だったと思う。彼女がその後送る人生も何気に陰から覗いてはいたんですけど、幸せそうな時間を過ごしているのを見ていると『よかったなあ』って友達感覚で思えました」 そして最後に、ドラマのタイトルにかけて「あなたは何をしていても輝いていました。俺は最高の“すてきな片想い”ができました。ご冥福をお祈りいたします」と述べ、番組を締めたのだった。 「柳葉さんが中山さんに惚れていたというのは有名な話で、先日『だれかtoなかい』(フジテレビ系)にゲスト出演した際も、その熱い思いを語っていました。なんでもドラマ撮影中に中山さんと一緒に飲む機会があったものの、思いを伝えることはできなかったのだとか。中山さんの誕生日に100本のバラをプレゼントしたこともあるそうですし、きっと本気だったのでしょう。今回のラジオでの柳葉さんの声色からは、中山さんへの深い愛情と、心の底から悲しんでいる様子が伝わってきました」(芸能関係者) 憧れと感謝の想いが込められた柳葉の心からのメッセージは、きっと天国のミポリンにも届いていることだろう。

中山美穂さん、ライブチケット「払い戻ししない」ファンの複雑胸中…デビュー40周年目前、かなわなかった「35周年」のリベンジ

12月6日に、歌手で女優の中山美穂さんが亡くなって10日──。 現在も悲しみが癒えないファンも多いが、中山さんが予定していた仕事の現場では、対応に奔走している。 「2025年4月の大阪公演を皮切りに、6月21日の山梨公演まで、中山さんは歌手デビュー40周年を記念したツアーを開催する予定でした。ただ訃報にともなって、12月13日に全公演を中止し、チケットは払い戻しになることが発表されました。しかしSNSでは、返金を求めず、チケットを手元に残そうとする人も見受けられます」(芸能記者) Xでは《チケットは残しておきたいというのも凄くわかる》《自分なら払い戻ししない》《払い戻したら全てが終わる気がする》と、その決断に共感する声が見受けられる。   中山さんは、1985年のシングル『「C」』で歌手デビュー。1992年にロックバンド「WANDS」とコラボした『世界中の誰よりきっと』は200万枚以上を売り上げ、ソロでも1994年の『ただ泣きたくなるの』が売り上げ100万枚以上を記録するなど、歌手として高い人気を誇っていた。 そして近年は、音楽活動での“再始動”が注目を集めていた。 「1999年に『Adore』をリリースして以降、デビュー35周年を迎える2019年まで、歌手活動は20年近く休止状態でした。ただ、この年の12月に20年ぶりのアルバム『Neuf Neuf』を発売し、音楽活動を再開。“ミポリン”の復活は話題になりました」(前出・芸能記者) 2024年も、4月から6月にかけて全国ツアーを開催するなど、精力的に活動していた。デビュー40周年となる2025年のツアーには、とくに意欲を燃やしていたようだ。 「2020年3月、2019年にリリースしたアルバムを引っさげて35周年記念ライブをおこなう予定でした。それが、新型コロナウイルスの感染拡大によって、中止に。中山さんとしては、節目の年にファンに直接会えず、くやしい思いもあったようです。 それだけに、40周年のツアーは並々ならぬ思いがあり、4月から6月までで、2024年の全21公演を上回る全23公演を予定するなど、日程を詰めていました。中山さんにとって、このツアーにはリベンジの気持ちがあったことでしょう」(芸能プロ関係者) ライブはもちろん、近年はファンと直接、会えるイベントを大切にしていた。 「2022年に初めてファンミーティングを開催して以降、やりがいを感じていたようです。比較的、小規模な会場で実施することも多く、直接、ファンの顔を見て、感謝の言葉を伝えていました。2025年も、全国ツアーが落ち着いた夏以降、ファンミーティングなど何かしらファンと交流する場を考えていたはず。ファンを大切にする中山さんの姿勢は、多くの人に伝わっていたことでしょう。それだけに、ライブのチケットを返金しない人がいるのもうなずけます」(前出・芸能プロ関係者) 40周年にステージで中山さんの笑顔が見られなかったことは、悔やまれるばかりだ。

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