尾崎豊「ジェームス・ディーンのように」(2)“反逆する十代の旗手”を襲った契約問題

尾崎豊「卒業」

 尾崎豊の名前が全国に知れ渡ったのは、八五年三月に発表したセカンドアルバム「回帰線」がオリコンチャートで初登場一位を記録してからである。なかでも先行シングルとして出した「卒業」は、特別なキャンペーンを打たなかったにもかかわらず、全国の中高生に猛烈なスピードで浸透していった。

 ──何度自分自身卒業すれば、
 本当の自分に
 たどりつけるだろう──

 この曲を媒介として、豊は“反逆する十代の旗手”と見られるようになった。

 CBSソニーの担当ディレクター・須藤晃は自著でこう振り返っている。

「尾崎と出会った当時は、たのきんトリオの全盛期。その人気の勢いは止まらず… 

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