Author: d3001

市原隼人、大切な友人を亡くし喪失感 ”死”と向き合うドラマオファーに「救いを求めた」

29 October 2025

 俳優・が、アプリ「タテドラ」で配信中の縦型ショートドラマ『最期の、ありがとう。』に出演している。本作は、若手俳優の永田崇人が主人公を務め、市原は彼を導く葬儀会社の先輩を演じている。実在の人物・冨安徳久氏がモデルとなった本作は、彼が経営する葬儀会社スタッフによる監修のもと、かつてない熱量で制作が行われた。“死”や“葬儀”という重いテーマに真正面から向き合いながらも、人と人との絆や温もりを描き出した本作について、市原が思いを語った。 ■人のために何ができるのか──“葬儀”の現場を通して伝えたいこと ――本作への出演が決まったときのお気持ちはいかがでしたか? 【市原】この作品への出演オファーをいただいたのは、ちょうど私自身が大切な友人を亡くし、言葉にできない思いに苛まれていた時期でした。作中で描かれるご遺族の方々と同じように、もっと一緒に笑いたかった、いろんな場所に出かけて話をしたり、ふたりで感動を分かち合いたかった。そして、最期に「ありがとう」と伝えたかった…。そんな想いで胸が苦しく、正直笑う事もできませんでした。ですので、人の“死”に真正面から向き合うこの作品のオファーをいただいたときは、救いを求めるような気持ちで覚悟を持ち出演を決めました。 この作品は「タテドラ」という、これまでのドラマや映画とは異なるプラットフォームで配信されるものですので、より多くの方にドラマやお芝居、物語を身近に感じていただけるきっかけになるのではないかとも感じました。“死”を扱う題材は少し怖いと感じたり、目をを背けたくなってしまう方もいらっしゃるかもしれません。ですが、短い尺の中でそうしたテーマとしっかり向き合えることは、なかなかない機会です。冨安徳久という一人の男の成長物語を通して、“命”や“死”と向き合うことの意義を感じていただけたら幸いです。 ――“死”や“葬儀”というテーマを扱う上で感じたことはありますか? 【市原】『最期の、ありがとう。』は、実在する人物である冨安徳久さんがご自身の人生をつづった書籍を原作としているのですが、撮影の際には実際の葬儀会社の方や納棺師から、所作やご遺族との接し方について直接ご指導いただきました。 そのすべてが本当に丁寧で、学ばせていただくことがたくさんありました。葬儀の現場にはもちろん形式的に決められている“やるべきこと”があるのですが、それ以上に、関わるすべての方に対する人道的な思いや、人間愛があふれていまして。どこまでも「人のために何ができるのか」を考え続けられる方々が集まっている場所が葬儀会社なのだと、改めて実感いたしました。 ――ご自身が演じた役について教えてください。 【市原】私が演じたのは、主人公・冨安徳久の先輩にあたる葬儀会社のスタッフ、藤田純人という人物です。彼は主人公が大学進学を諦めてまで葬儀の仕事を志すきっかけとなった存在であり、人生の師でもあります。数多くの故人様を見送り、お一人おひとりと丁寧に向き合ってきた藤田は、経験の中で自信の考え方を育んできました。彼なりの生き方や、目には見えない大切なものを主人公に伝えていく姿は、私自身にとっても非常に印象深いキャラクターです。 ――市原さんにとっての人生の師、“藤田先輩”のようだといえる人物はいらっしゃいますか? 【市原】これまで出会ってきたすべての方が、私にとっての人生の師です。年齢やキャリアに関係なく、今も周りにいる皆様からたくさんのことを学ばせていただいています。自分がどういう人間か、何年生きてもよく分からないものです。人から「市原さんはこういう人だよね」と言われても、まったく腑に落ちないといいますか、納得しきれないというか。ただ、自分の命が尽きた時に「あの人って、こういう人だったよね」と語られることこそが、その問いに対する一つの答えになるのでは、と思っています。 だからこそ、命が絶えるまで日々を通過点として、一分一秒を無駄にせず、学び続けることを大切にしています。そのなかでも特に大事にしている事が、“創って壊す勇気”です。自分の中で築き上げてきた概念や秩序、ルールなどが膨らみすぎてしまわないよう、いつでも壊せる柔軟さを持つこと。それを忘れずに、これからもすべての出会いから学び続けていきたいと思っています。 ――若い世代の後輩たちに向けて伝えたいと思うことはありますか? 【市原】10代、20代の皆様に伝えたい事は、“常に真剣であってほしい”ということです。時間は巻き戻らないからこそ、後から「やっておけばよかった」と後悔しないように過ごしていただきたい。私自身、ずっとそのようにがむしゃらに生きてきました。例えば、「いい日になったらいいな」と願うのではなく、「自分の力でいい日にしよう」と心がければ、いい日になるんです。そうやって自分のやりたいことやなりたい姿に近づくためにもがいていれば、自然と仲間も増えていきます。そして何より、人道的であっていただきたい。家族や友人、恋人はもちろん、すれ違う誰かにも愛を持って接すること。それは必ず自分に返ってきます。 ――『最期の、ありがとう。』では永田崇人さんと共演されましたが、現場で印象的だった出来事はありますか? 【市原】崇人は作品やお芝居に対してとても真摯に向き合う方でした。その姿勢は今回の現場でも如実に現れていました。印象的だったのは、葬儀の所作など細かなシーンのリハーサルを長時間夜遅くまで行ったあとにも、崇人は自身が演じる役について、スタッフの方々と「どうすればもっと良くなるか」とことん話し合っていたと聞いたことです。 その姿はまさに、彼が演じた冨安さんそのものでした。実際の冨安さんも、お会いした際に「人のためにできることがあるなら全力でやるべきだ」「仕事とはただ自分が対価を得るためだけのものではなくて、人のためになることを提示しなければならない。それが自分の人生の使命だ」とよくおっしゃっていました。それを体現するような崇人の姿に、私自身もとても感銘を受けました。 ――今後、新たに挑戦したいと思っていることはありますか? 【市原】毎日が挑戦の連続なのですが、もっと俯瞰して考えると「旅がしたい」という気持ちがあります。たとえば、同じ学校でも担任の先生が違えば学びのプロセスや正しいとされる事が異なるように、大人になっても同じ会社なのに上司が違うだけで仕事のやり方や評価されるポイントなど規律も秩序も善悪もまったく違うものに変わっていきます。さらに広く見ると日本で“いいこと”とされていることが海外では“悪いこと”とされていたり、その逆もあり、何が正解か迷子になってしまう事があるかもしれません。 そんな世の中では、大人になればなるほど悔しい思いをしたり、真っ直ぐに生きることが難しくなるかもしれません。でも、私はその場しのぎで器用に生きたくないんです。だからこそ、いろんな意見や答えを見てみたいし、自分が信じるものを大切にしながらも、これまで否定していたことや、目を背けてきたことも全部受け止められるようになりたい。旅をしてさまざまな価値観に触れて、カルチャーショックをたくさん受けて、もっと笑えるような自分になりたいと思っています。 ――最後に、作品をご覧になる方に向けてメッセージをお願いします。 【市原】この作品は、誰もがいつか直面する“命との向き合い方”という大きな議題について、深く問いかける物語です。自分自身の命だけでなく、自分の周りにいる人々の命とどう向き合い、何をすべきなのか。そんな現実から目をそらさずに真摯に命と向き合った人間の物語です。ご覧いただく皆様にとっても、心に残る貴重な経験となると思います。ぜひお楽しみください。

ダイアン津田、CMで“日本一”の快挙 ただのイジられキャラじゃない、注目される「哀愁」の正体

29 October 2025

「OLIVE」のウェブCM  お笑いコンビ・の津田篤宏が出演した三井住友銀行のスマホ口座「Olive」のウェブCMが「ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS」において、最高賞である「総務大臣賞/ACCグランプリ」を受賞した。【ラリー遠田/お笑い評論家】  ***  この賞は名実ともに日本最大級のアワードとして広く認知されており、「総務大臣賞/ACCグランプリ」はクリエイティブ業界で活躍する関係者の大きな目標となっている。津田が中心的な役割を担った作品が受賞したことは、芸人としての枠を超えて、彼が「現代の広告表現に最も適したタレント」であることを象徴している。 津田  津田は長年にわたってお笑いの世界で活動を続けてきたベテラン芸人だが、なぜかここ数年で急速にCMタレントとしての存在感を高めている。ユニクロ、サントリー、カカクコムなど多岐にわたる分野の一流企業のCMに起用されている。その理由は単なる人気や知名度の問題ではない。彼と同じぐらいの知名度の芸人の中にも、ここまで多数のCMに起用されている人はほとんどいない。彼が広告業界で引っ張りだこになっている理由は何なのか。  津田という芸人のキャラクターを一言で表すなら「人間味の塊」である。彼は芸人でありながら、人間そのものをむき出しにして生きている。良く言えば、感情表現が豊かで常に笑ったり怒ったりしている。悪く言えば、感情を抑え込むことができない。彼がイライラして声を張り上げているとき、人は笑わずにはいられない。こういうキャラクターは、意図的に演技して作り出せるものではない。漫才をしているときにもテレビに出ているときにも、彼自身の本来の人間性が自然に表れている。広告業界で求められているのは、このように自然体で人間味があふれ出てくるタレントなのだ。  だからといって彼に演技力がないわけではない。一般に、笑いを専門にしている芸人がCMなどに出演すると、与えられたセリフを読まされているような不自然さがにじみ出てしまいがちだ。しかし、CMにおける津田の振る舞いには無理がなく、演じていないようにすら見える。どんなセリフを言っても嘘っぽくならず、どんな表情をしても演出のにおいがしない。広告という作りものの世界の中に、彼は現実の生々しさを持ち込むことができる。そういう部分も評価されているのだろう。 同情されたら終わり  津田の笑いの本質は「哀愁」である。彼が芸人仲間にイジられたり、理不尽な扱いを受けたりして、どんなにひどい目に遭っても、決してかわいそうな感じにはならず、哀愁のある面白さが出てくる。イジられキャラの芸人は同情されたら終わりだ。津田はどんなにこてんぱんにされても、本人のキャラクターの魅力でそれを帳消しにすることができる。それは彼にしかない強みである。  CMにおいて重要なのは、限られた時間で企業のメッセージを伝えることだ。津田の人間味の部分は短い時間でもすぐに伝達可能である。そういう要素を持っているからこそ、彼は広告業界で注目の的になっているのだ。  年齢を重ねたことで、彼の「哀愁」にもますます深みが出てきた。それもCM起用への追い風になっているのだろう。彼の素材としての魅力が衰えない限り、今後もこのような仕事はどんどん増えていくはずだ。 ラリー遠田(らりー・とおだ) 1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。 デイリー新潮編集部