26 October 2025
公明党が離脱してもしっかり“総理のイス”を手にした高市早苗首相(左)と“届かなかった”国民民主党・玉木雄一郎代表 ピュアだった玉木氏 自民党の高市早苗総裁(64)が憲政史上初の女性首相に選出された10月21日、国民民主党の玉木雄一郎代表(56)はJR新橋駅前のSL広場で街頭演説を行い、こう絶叫した。 「ブレてないんです!」 「いっぱい批判してくれ!」 公明党の連立離脱による政局で一時は「次の首相」と目されたが、日本維新の会の“出し抜き”を食らい、玉木氏はいまや“天下を獲り損ねた男”扱いだ。ネット上では優柔不断な姿勢を指して「玉木る」などの造語も生まれた。 それでも玉木氏は前を向く。街頭演説では 「皆さんのために何がベストなのか。そのベストな答えを一緒にできる政党と組んでいく。時によってその相手は変わるかもしれない。それをブレていると言う人がいるかもしれませんが、ブレてないんです!」 と猛反論。その上で 「批判するのだったら、いっぱい批判してくれ! それで皆さんの暮らしが良くなるのだったら、堂々とその批判は受けたいと思う」 と絶叫した。 玉木氏は何度も街頭演説を行ったSL広場で 「もう1回、原点に戻ろうと。榛葉(賀津也幹事長)と言いながらここに来た。初心を忘れることなく、これからも仲間と一緒に頑張っていきたい」 と力強く語った。 玉木氏は最後まで“組む相手”に政策の一致を要求した。 憲法解釈や原発、安全保障で意見の異なる立憲民主党にもそれを求めたが、案の定、協議は決裂した。その間に維新と自民が急接近し、気づけば自維連立政権が出来上がっていた。同氏は 「(維新に)二枚舌みたいな感じで扱われて、我々としては残念」 とグチったが、後の祭り。支持者の落胆も大きく、批判も巻き起こった。 そんな玉木氏に、ある永田町関係者は取材に対して、 「一言でいうなら、玉木さんはまだ青く、ピュアだった。これから組む相手に重要分野での政策の一致を求めるのは、正しい。しかし、それだけでは太刀打ちできないのが永田町。維新を見てくださいよ。“身を切る改革”でコストカットしてきた政党が、裏金問題で騒がれた自民党と組むんですよ。本来ならその部分は水と油でなければおかしいはずなのに……。玉木さんは“もう一度順番が回ってくる”と信じて、頑張るしかないでしょうね」 と政界の“怖さ”を明かす。 高市政権と被るガソリン減税や成長戦略 とはいえ、玉木氏の勢いに陰りが見え始めているのも事実。なかには昨年の東京都知事選で旋風を巻き起こした石丸伸二氏(43)と重ねる声も上がっている。 「熱量は似ている。国民民主も『手取りを増やす』のキャッチコピーがウケて、一気に支持を拡大していった。人気が出るにつれ、これまで少数だった担当記者の数がどんどん増えていった。公明離脱後の政局では、玉木氏の行く先にマスコミが大挙押し寄せた。カメラ映りを気にするなど、悦に入っていた部分はあったかもしれない」(全国紙政治担当記者) 読売新聞社は10月21~22日に行った緊急全国世論調査で、国民民主党の支持率が4%減の5%となったと報じた。“総理の座”を躊躇したことで、支持率がほぼ半減してしまった格好だ。 政治評論家の有馬晴海氏も厳しい見方を示す。本サイトの取材に 「失速するとは言い切れませんが、国民はチャンスに決断できなかった玉木氏に厳しい評価を下している。長く政党をやっていると、器量を問われる場面が出てきて、納得しないと支持を落とします。今回は国民民主党がステージを上げるチャンスだったのに、それが『玉木さんが自信がなかったから』と言われ、支持者からも“そうなんだ”と思われてしまった。国民が失望し、飽きられ見放されてしまうと、支持率を回復するのは、なかなか難しいことですよ」 と話す。 起死回生を果たすには、次期衆院選で旋風を巻き起こし、議席を大幅に積み増すしかない。高市政権とはガソリン減税や成長戦略などで重なる部分も多いが、今さら「仲間に入れて~」というわけにはいかないだろう。国民民主党関係者に話を聞くと、 「玉木代表の言うように高市政権とは政策ごとに協力していく。まずは党が掲げる“年収の壁”の引き上げを強く訴えていく。同時に次の選挙を念頭に、候補者の選定も行わなければならない。一部では年明け解散もウワサされているが、次期衆院選は予算を伴う法案や内閣不信任決議案を単独で提出できる51議席以上が最低でも必要です。比例代表の得票数は前回から1.5倍の900万票を目指す。それが実現できれば、流れはまた変わってくる」 と明かす。玉木氏の逆襲は成功するか。それともただの“皮算用”になってしまうのか――。
26 October 2025
せろ/’73年、アメリカ・ロサンゼルス生まれ。『マジック革命!セロ!!』(フジテレビ)が’04年から’14年にわたり放送され、人気を博した。現在は海外を中心にマジックショーを開催。世界を飛び回る日々を送っている 「サプラ〜〜イズ!!」 9月某日――FRIDAYグルメ担当編集部員のもとに一通のタレコミが届いた。 「あのレジェンドマジシャンが″究極のゴーヤチャンプル″を完成させたらしい」 その人物とはハンバーガーをメニュー看板から取り出すなどの″出現マジック″で一世を風靡し、’00年代のテレビ界を席巻した伝説のストリートマジシャン・セロ(52)。これまでMr.マリックの「究極の焼きそば」、トランプマンの「極旨カレー」といった、″レジェンドマジシャンの究極レシピ″を紹介してきたFRIDAYグルメ班としては見逃せない情報だ。 ミステリアスなのは、沖縄料理の定番・ゴーヤチャンプルとアメリカ生まれのマジシャンという組み合わせ。いったい、どんなトリックが仕掛けられているのか。さっそく取材を申し込んだ。 セロに指定された待ち合わせ場所に到着した取材班は、さらなる謎に包まれた。なんと、東京・渋谷区にあるトレーニングジムだったのだ。料理を語る場としてはあまりに不釣り合いだ。重厚な扉を押し開けると、セロがボクシング世界チャンピオンら有名アスリートたちに囲まれ、汗を滴らせながら黙々とトレーニングに励んでいた。あまりに真剣な表情に、記者は思わずこうつぶやいた。 「料理の取材では……」 「ハッ! フンッ!」 面食らう記者を無視してトレーニングに打ち込むセロ。スレンダーで都会的なイメージが強かったが、すっかりマッチョマンとなっている。 約1時間におよぶワークアウトを終えたセロは、ジムの片隅で呆気にとられている記者に気づくとこう語った。 「いい料理を作るには、まず心身を整えなければいけない。これは究極のグルメのための下準備です。鍛えられた肉体から生み出される料理はデリシャス! ですよ。じゃあキッチンに行きましょう」 そう言いながら白い歯を見せたセロ。トレーニングは関係ないだろ……と訝りながらキッチンに入った記者に、セロは1枚の写真を見せた。ゴーヤチャンプルが写っている。 「よく見ていて。3、2、1……! サプラ〜〜イズ!!」 次の瞬間、猛烈に食欲をそそる香りにキッチンが包まれた。これはガーリックに生姜に……と、記者の目の前に写真のゴーヤチャンプルが出現していることに気づいた。二の句が継げずにいる記者にセロが一言。 「レッツ・テイスティング!」 湯気を立てている″サプライズゴーヤチャンプル″を口に運ぶ。ゴーヤ特有の苦味が鼻を抜けていくのだが、ただ苦いだけではなく、豚や卵の甘味が重なり絶妙なバランスが取られている。後味にピリッとした辛さや、フルーティーな香りも漂ってくる。一体、どんな魔法をかければこの″サプライズゴーヤチャンプル″になるのか。「ぜひ教えてほしい!」と懇願する記者に、セロは笑顔で答えた。 「OK。レッツ・ティーチング!」 ゴーヤに泡盛!? 野菜をカットし始めたセロ。ゴーヤや玉ねぎ、人参といったオーソドックスな食材だ。下準備の中で目を引いたのが、ゴーヤの処理。普通は塩揉みして臭みをとるが、セロは一味違う。 「ゴーヤは塩揉みしません。苦味を消すのはイージーだけど、それだと素材の個性を殺してしまう。それに僕はとってもスイートな人生を歩んでいるから、料理くらいは″苦味″が欲しくなるんです」 ……豆腐は沖縄の伝統食材・島豆腐。水分量が少なく、炒めてもベタつかずにしっかり形を保ってくれる。 ここでセロが珍しい食材を取り出した。ニンニクと生姜に加え、唐辛子を、しかも2種類入れるという。あの魅惑の香りはここからきているのか。 「ニュージーランド産の辛味が強いチリペッパーはマストですね。ただ、辛味に加え甘さもあるイタリア産のカッペリーノも僕の好み。人生には″辛さ″も必要でしょ?」 食材を用意し終えると、豚肉を炒め、野菜は火の通りにくい順に人参からフライパンに入れていく。調味料は醤油を少し入れただけ。最後にセロが取り出したのは泡盛だった。フライパンに一回しして、フランベ状態に。ゴーヤチャンプルには似つかわしくない、大きな火柱が立ち上がった。サプラ――ィズ! 「これが一番のポイント。泡盛を入れると、甘くフルーティーな香りがつきます。香りが強く、フランベできるようアルコール度数が40度以上あれば、泡盛じゃなくてもOK。料理にルールはありませんから。僕は海底熟成の『豊見城(とみぐすく)サンゴ』というブランドの泡盛を使っています」 原点は祖母の味 セロは見た目にもこだわる。卵はとき過ぎないようにして、別のフライパンでふんわりと焼いてから後乗せするのだ。黄色と白の2色が皿全体にさらなる彩りを加え、見る者の食欲を刺激する。 こうして″サプライズゴーヤチャンプル″は完成した。セロは、「マジックと同じで、味覚以外にも視覚や嗅覚など全身で楽しんでほしい」と胸を張った。 マジック界の革命児として’00年代にお茶の間のスーパースターとなったセロは、’14年のレギュラー特番終了を機に地上波から姿を消した。燃え尽き症候群が原因だった。 「当時は2時間特番を半年に1本のペースで作り続けなければならなかったんです。もちろん全て新ネタを用意しないといけなかった。視聴率に追われ、心身ともに疲弊し、バーンアウトしました」 番組制作に全身全霊を注ぎ込んだ結果、セロはついに限界を迎えた。そこから始まったのが、料理の探究だった。 「生まれはアメリカですが、小学校低学年まで沖縄の祖母の家で暮らしていました。大好きな祖母の得意料理が、ゴーヤチャンプルだったんです。質素な味付けでしたが、とてもデリシャスでした。 テレビ業界から距離を置いて自分を見つめ直す中で、前から好きだった料理を楽しむ時間が増えました。そこで極めようと思った料理がゴーヤチャンプルだったんです。最初は調味料に頼った濃い味付けでした。お好み焼きソースを入れるなどいろんなチャレンジをしました。全然合わなかったですけど(笑)」…