中居正広「9000万円トラブル」でソフトバンクCMサイトに “異変”…年末年始の収録・放送中止で漂う “降板ドミノ” ムード

女性との間にトラブルを起こし、9000万円の示談金を支払ったとされている中居正広。これまで芸能界の第一線を走り続けてきた中居だが、それだけに報道の余波は大きい。 「12月20日、中居さんが会食で女性と2人きりになった際、重大なトラブルが起きたとして、女性に9000万円という巨額の示談金を支払ったと『NEWSポストセブン』が報じました。続けて『文春オンライン』も、被害女性の『今でも許せない』という “肉声” を伝えており、世間に衝撃が走っています。 中居さん側はトラブルが起きたことは認めており、27日には有料会員サイトで『このたびは、大変ご迷惑をおかけしております。申し訳ございません』と謝罪しました」(芸能記者) だが、報道から数日経っても、騒動は収束していない。29日には、中居がこれまで出演してきたソフトバンクのCM「ペイトク店長」編の動画が、公式サイトから削除された。CMギャラリーページでは「現在公開中のムービーはありません」との文言が掲示されている。 中居が11月から出演しているバイトのマッチングサービス「タイミー」のCM動画は、現時点では同社の公式YouTubeチャンネルに残っているが……今後の展開次第だが、こちらもいつまで公開され続けるかは不透明だ。 さらに、本誌「SmartFLASH」は、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)の12月26日の収録が、前日に急遽中止になったことを報じている。中居は、周囲に「引退したい」との弱音も吐いているという。 「27日には、中居さん、東野幸治さん、ヒロミさんの3人が司会を務める『THE MC3』(TBS系)も、年明けに予定されていた回が放送中止となったことが『WEB女性自身』に報じられています。報道内容をうけ、TBS側が判断したようです。 中居さんは5本のレギュラー番組を抱えており、年明けに一番早く放送されそうなのは『ザ!世界仰天ニュース』(日本テレビ系)でしょうか。公式サイトでは、次回放送は1月7日とされています。 ただ、27日に『ナカイの窓』(日本テレビ系)を放送した際はかなり物議を醸しており、30日に放送予定の『芸能界オールスター草野球』(テレビ東京系)でも、中居さんの出演シーンがどのように放送されるのか、悪い意味で注目を集めています。 反響次第では、当分、中居さんの姿をテレビで見ることはむずかしくなってしまうかもしれません」(芸能記者) “降板ドミノ” ムードが漂い始めたが、はたして今後どうなるのか――。

《『もう辞めたい』『私にはできない』中山美穂が泣いた日》14歳から39年見続けた“芸能界の父”が明かした素顔、「棺で眠る美穂はきれいでした」最期の別れ

「美穂、起きろ! 寝てないで起きろよ。なんで寝てるんだ」 静まり返る師走の斎場に響いた男性の涙声。12月6日、渋谷区の自宅マンションの浴槽で亡くなった中山美穂さん(享年54)。永い眠りについた中山さんの棺のそばで背中を丸めていたのは、彼女の“育ての親”──39年前に14歳の中学生だった彼女を見出した所属事務所「ビッグアップル」の創業者・山中則男氏だった。 家族葬の喪主は女優で妹の中山忍 が務め、遺族と関係者ら約30人が参列した。中山さんが亡くなった後、山中氏がようやく対面したのは通夜でのことだった。手塩にかけて育てた娘のような中山さんの顔は、「とてもきれいだった……」と語る。 遺影は、12月1日にビルボード横浜で行われたコンサートで着用したドレス姿のものだった。祭壇にはダリアが印象的に飾られていた。憔悴する山中氏に忍が話しかけた。 「最初、姉の顔はこわばっていたんですよ。でも、皆に会えて今はいい表情になってきました。姉は山中さんと会えたことを、とても喜んでいましたよ」 斎場には中山さんの代表曲の1つだった『You’re My Only Shinin’ Star』が流れていた──。 NEWSポストセブンの取材に、中山さんと共に歩んだ波乱万丈の39年間を山中氏が120分にわたって振り返った。【前後編の前編】 「おそらく私の立場としては、これが人生最後の取材になると思います。美穂を支えて下さった多くのファンの方に少しでも彼女の素顔を知ってもらい、思い出として美穂を忘れてほしくないと思い、お話しさせていただきたいと思います。 オスカープロモーションを経て、“スカウトの山中”と呼ばれていた私が初めて美穂を見たのは、彼女が中学1年生のときでした。一目見て、衝撃が走ったのを今でも覚えています」 中山さんは中学1年の春、原宿の竹下通りで友達と買い物をしていた時にスカウトされ、モデルとなった。 「長年スカウトをしてきましたが、肌は焼けていて少し不良少女っぽい雰囲気でしたけど、美穂の目を見た時に『あの目は絶対に生きてくる』と感じました。スカウトの鉄則で、警戒されないために本命ではない子から声を掛けました。2人を事務所に呼んで『よかったらまた、2人でまた事務所に遊びに来なさいね』と、安心感を与えるのです。結果的に友達には遠慮してもらいましたが、美穂は芸能活動に前向きで、その時、すでに複数の事務所から声が掛かっていました」 何度か事務所に来るようになった中山さんと母親の3人で食事をした時に「ママに家を建ててあげたい」と、涙ながらに夢を打ち明けたという。 「その言葉を聞いて、私はこの子の夢を叶えてあげたいと思い、人生を懸けてみようと決心しました。私の母親の旧姓が“中山”だったことが縁で、芸名は本名の『中山美穂』に決めました。しかし、大きな仕事は決まらず、小さなカタログなどの仕事をする日々。オーディションも1年間で20社以上受けて全部落ちましたが、美穂の身長は158cmと、それほど大きくないのに華があってどこにいても目立ちました」

中居正広、武田舞香との“6年愛”のウラで隠してきた「年下女性の存在」

[写真 1/11枚目] ’12年に中居らと一緒に、豪州旅行へ旅立った女性 [写真 2/11枚目] 中居正広 [写真 3/11枚目] キックボードに乗って近所のコンビニに氷とタバコを買いにく中居正広 [写真 4/11枚目] 2009年7月、俳優チームの草野球に参加する中居正広1 [写真 5/11枚目] 2009年7月、俳優チームの草野球に参加する中居正広2 [写真 9/11枚目] 豪州旅行からの帰国時に彼女の存在について中居を直撃するも無言を貫いた [写真 10/11枚目] 中居正広 [写真 11/11枚目] 情に厚い中居正広「I氏についていく意思いちばん強かった」