今年は中山美穂さんも…《生きてる時にあげて欲しかったな》 日本レコード大賞「特別功労賞」にファン複雑

6日に不慮の事故で亡くなった女優の歌手中山美穂さん(享年54)に、日本レコード大賞の「特別功労賞」が贈られることが16日、発表された。 《生きてるうちに、もっともっと囃し立てて欲しかっただろうね》《敬意を示すのはわかるが死んだから価値が付いたように賞を送るのは違う》 中山さんは1985年に「C」で歌手デビュー。同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、その後も86年に「ツイてるねノッてるね」、88年に「You’re My Only Shinin’ Star」で金賞を獲得している。 生前の活躍は言わずもがなだが、ファンは「特別功労賞」に手放しで喜んでいるわけではない。今年は中山さんのほか、小澤征爾さん、キダ・タローさん、園まりさん、谷川俊太郎さん、仲宗根美樹さん、西田敏行さん、真島茂樹さん、八代亜紀 さん、山北由希夫さんが発表されている。その年に鬼籍に入った歌手や音楽家などが受賞するものだからだ。 「そのため、例年《あの賞は悪いけど嫌いだ》《悲しみが増すだけ》などの意見も多く、また亡くなったのに受賞できなかったアーティストのファンや、存命中に評価しなかったのに……と複雑に捉える声も少なくありません。番組としては、生前の懐かしい映像も使える点もあるでしょうが、番組の中で『追悼コーナー』を設ければ十分なのに賞を与えることで、視聴率稼ぎに亡くなったアーティストを利用しているように感じるようです」(芸能ライター) 亡くなってから称える――。日本社会にありがちだが、難しい問題だ。 ◇  ◇  ◇ NHK紅白歌合戦はどうする?●関連記事【もっと読む】中山美穂さんは「85年デビュー」…森口博子、浅香唯、工藤静香ら同期がNHK紅白に大集結か?…に詳しい。  

相次ぐ高齢者「踏み間違え」 きょうも北見で訓子府で 住宅に店舗に車が突っ込む 北海道

オホーツクの訓子府町では、80代の女性が運転する軽乗用車が住宅に衝突し、北見市では90代の男性が運転する車がスーパーの壁に突っ込みました。 事故があったのは、訓子府町若富町の住宅街です。 2024年12月18日午前8時すぎ、80代の女性がごみステーションにごみを捨てるため、運転していた軽乗用車を停車しようとしましたが、アクセルとブレーキを踏み間違えて、軽乗用車の前方から住宅の壁に衝突しました。 この事故で、運転していた女性が胸部骨折の疑いで病院に搬送されました。 また正午ごろには、北見市留辺蘂町旭北にあるスーパーの駐車場でも、90代の男性がアクセルとブレーキを踏み間違えて、乗用車が店舗の壁に突っ込みました。 男性は左手を負傷して病院に搬送されました。(2024年12月18日放送)

【速報】面識のない女性を刺したか 地下鉄三宮駅で70代女性が刺される 49歳の女を殺人未遂容疑で逮捕 警察が包丁を警棒で叩き落とす 警察の調べに対し女は黙秘 「包丁を振り回している人がいる」と通報

きょう午後0時半ごろ、神戸市の地下鉄三宮の改札付近で70代の女性が女に刃物で刺されました。女性は病院に搬送されましたが、意識はあるということです。女性を刺したとして49歳の女が殺人未遂の疑いで現行犯逮捕されました。警察によりますと、2人に面識はないということです。 警察などによりますと、午後0時20分過ぎ、「包丁を振り回している人がいる」と通行人から交番に届け出がありました。警察によりますと、70代の女性が背中など2か所を刺され、病院に搬送されましたが、意識はあるということです。警察は、女性を刺したとして、職業不詳の山本裕子容疑者(49)を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕しました。 警察が駆け付けた際、山本容疑者は暴れる様子はなかったものの、警察が包丁を捨てろと警告しても捨てなかったため、警棒で叩き落としたということです。警察によりますと、凶器は刃渡り約17センチの出刃包丁とみられるということです。 警察の調べに対し、山本容疑者は黙秘しているということで、警察は山本容疑者から話を聞くなどして、詳しい状況を捜査しています。 神戸市交通局によりますと、女性が刺されたのは東改札口の券売機前で、現在、その周辺は封鎖されていて、周囲は一時騒然となりました。

秋元司・元衆院議員の実刑確定へ…IR汚職事件で懲役4年、最高裁が上告棄却

カジノを中核とする統合型リゾート(IR)を巡る汚職事件で、収賄罪と組織犯罪処罰法違反(証人等買収)に問われた秋元司・元衆院議員(53)について、最高裁第1小法廷(岡正晶裁判長)は17日付の決定で被告側の上告を棄却した。懲役4年、追徴金約758万円の実刑とした1、2審判決が確定する。秋元被告は保釈されており、確定すれば収監される。 収賄罪の共犯に問われた元政策秘書・豊嶋晃弘被告(46)についても上告が棄却され、懲役2年、執行猶予4年の有罪判決が確定する。 1、2審判決によると、秋元被告は豊嶋被告と共謀し、内閣府のIR担当副大臣だった2017年9月〜18年2月、IR参入を目指していた中国企業「500.com」(当時)側から計約758万円相当の賄賂を受領。保釈中だった20年6〜7月には、支援者らを通じて贈賄を認めた同社元顧問2人に報酬を提示し、公判での偽証を持ちかけた。

29歳の日本人女子、世界5位のGKに選出!なでしこ守護神が世界レベルに

17日、カタールで行われたFIFAの年間表彰であるThe Best。 29歳の日本人女子、世界5位のGKに選出!なでしこ守護神が世界レベルに なでしこジャパンの守護神である山下杏也加は、女子最優秀GK賞にノミネートされていたが、投票結果は5人中5位だった。 なでしこのキャプテンである熊谷紗希は、山下を3位に指名。また、暫定監督扱いだった佐々木則夫氏は、山下を1位にしている(各国代表キャプテンと監督は、1〜3位までの選手を選んで投票)。 また、ベルギー、イタリア、フィリピン、シンガポール、タイなどの女子代表キャプテン、そして、アルゼンチンやセルビアの女子代表監督らも山下を1位に指名しており、世界的に認められている存在になっているようだ。 29歳の山下は今季からマンチェスター・シティでプレーしており、世界最高峰のUEFAチャンピオンズリーグにも出場している。さらなる飛躍に期待したい。

ソン・ヘギョと同じビジュアルを持つ日本の2K5女子学生の正体、「珍しくて見つけにくい」カリスマ性が人々を熱狂させる

多くの点で、アンナは韓国の国民的美しさと同一であると考えられています。 最近、エンターテインメント会社THE BLACK LABELの新しいガールズグループプロ ジェクトであるグループMEOVVの4番目のメンバーとして発表されたビジュアルアン ナに関する一連のビデオでK-POPファンが熱狂し続けています。その卓越した容姿と 豪華なカリスマ性で、アンナはすぐにネチズンの注目の的となり、その独特の強さで ファンコミュニティから「千の血の新人」というニックネームが付けられ、発売前か らメディアと巨大なファン層を魅了しました。デビュー。 アンナはデビュー前からその贅沢なカリスマ性でネチズンを熱狂させた。 したがって、アンナはそのエレガントで洗練された美しさでファンコミュニティだけ でなく、K-POPファンを驚かせました。大きな丸い目、高い鼻筋、セクシーな唇とい った完璧な顔立ちが、彼女の自然な美しさを際立たせています。彼女の穏やかで魅力 的なカリスマ性は、アンナを韓国の国民的美貌である女神ソン・ヘギョと簡単に比較 させます。 彼女の上品な顔立ちと、お金持ちの女性の高貴な雰囲気と優雅さは、多くの人が彼女 を「Z世代版ソン・ヘギョ」と呼ぶことに躊躇しません。 アンナの明るいビジュアルをクローズアップした多くのビデオは、数百万回の再生回 数を達成しています。   アンナは、魅力に満ちた容姿とカリスマ性を備え、韓国のエンターテインメント業界 の「宝石」のイメージを呼び起こす、有名な女性スターのより若くて現代的なバージ ョンであるという意見も多くあります。 アンナの美しさはソン・ヘギョとの比較にとどまらず、ツウィ(TWICE) やシャオテ イン (Kepler) など、K-POPアイドル界の傑出したビジュアルにも匹敵する。また、…

てんちむ、5億円損害請求裁判の結果に言及「圧倒的敗訴」にXアカウント名変更

【モデルプレス=2024/12/16】YouTuberのてんちむが2024年12月16日までに、自身のX(旧Twitter)を更新。アカウント名を「圧倒的敗訴」に変更し、裁判結果に言及した。 ◆てんちむ「圧倒的敗訴」とアカウント名変更 てんちむは16日までにアカウント名を「圧倒的敗訴」と変更。更新された投稿では「裁判結果ですか?お察しください」と言及している。 てんちむは、2020年に豊胸していた事実を隠しながらバストアップ効果があるとしてナイトブラをプロデュースし、その後3億5000万円の返金対応を行った。2023年9月から2024年4月まで活動を休止していたが、全活動を復帰した2024年5月にはその騒動である会社との裁判が続いており、5億円にものぼる巨額の損害賠償支払いを求められていることを報告。6月には自己破産も検討していることを明かしていた。(modelpress編集部)

《私には帰る場所がない》ライブ前の入浴中に突然…中山美穂さん(享年54)が母子家庭で過ごした知られざる幼少期「台所の砂糖を食べて空腹をしのいだ」

あまりに突然の出来事だった──12月6日、渋谷区にある自宅の浴槽内で亡くなっていることがわかった歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。 所属事務所は12月8日、中山さんの公式サイトで「検死の結果、事件性はないことが確認されました」と発表し、死因は「入浴中の不慮の事故」と伝えた。 1980年代半ばから90年代にかけ“ミポリン”の愛称でトップアイドル、そして女優として活躍した中山さんだが、生前、幼少期のエピソードについてはあまり語らなかったとされている。【前後編の前編】 そんな彼女も、2012年の自著『なぜなら やさしいまちが あったから』(集英社文庫)で自身の幼少期や家族について赤裸々に綴っていた。その中には、当時の暮らしぶりを表したような一節がある。 〈はじめましてとさようならはいつもセットだった──〉 “別れ”の連続だった幼少期 さかのぼること1970年3月、中山さんは長野県の自然豊かな町で生まれた。ある芸能記者は言う。 「ご両親は地元でスナックを経営されていたようです。中山さんが3歳の頃におふたりは離婚しており、彼女には実父の記憶がほとんどないといいます。その後は実母と妹で女優の中山忍さん(51)と東京へ引っ越しましたが、母子家庭のためか生活が苦しく、中山さんは台所の砂糖を食べて空腹をしのいだこともあったそう。 上京してほどなくお母さんが昼夜問わず働き詰めになり、ほとんどの時間を親戚の自宅で過ごすことになりました。 芸能界については幼稚園に入るころからすでに憧れがあったようで、親戚の家では段ボールの上に乗って『キャンディーズ』や『ピンク・レディー』の曲を歌っていたこともあったとか」 のちに中山さんはこの親戚を、トーク番組『A-Studio』(TBS系)で“育ての親”だと述べている。なかでも叔父にあたる男性については「本当の父親のように家族の一員として接してくれました」と語っており、忙しい母親に代わって愛情を注いでくれる大切な存在だったようだ。 そんな“第2の父”ともいえる男性だが、中山さんの世話をしている間に若くして亡くなってしまう。幼少期の短い間で二度も“父親”を失う体験をした中山美穂さんは、前出の自著でもその存在と自身の恋愛観を重ねてこう振り返っていた。 〈思春期からの数々の恋愛は、父親を求めるような戯れでもあった。未熟と成熟を抱えながらその中心でバランスを保つことはなく、常に激しく人と向き合っていたと思う。ほとんどの大人と異性は私に、自分で学ぶことの大切さを教えてくれた〉 この失望から束の間、中山さんにとって大きな出来事が起きる。 「中山さんが10歳くらいの頃、お母さんが秋田県出身の男性と再婚し、一緒に暮らすようになった。1982年にはその義父との間に弟も生まれており、その頃の中山さんは子どもながらに『寂しいけど、長女だからしっかりしないと』と感じていたようです。 また両親の仕事の関係で、都内で何度も引っ越しを繰り返していたことから友人と呼べる人がほとんどいなかったともいいます。連載をしていた女性誌のエッセイでは、当時の生活を『帰る場所がなかった』というふうに語ったこともありました」

中山美穂さんの遺体に関する“空白の24時間”について、遺体管理の専門家が疑問を呈しました。

12月6日、自宅の浴槽で亡くなっていたのを発見された女優の中山美穂さん(享年54)。12日には家族葬が営まれ、妹で女優の中山忍が喪主を務めた。 パリから20歳の長男も駆けつけ、中山さんに対面。忍は、葬儀後にコメントを発表し、《私にとって姉は「大好きなお姉ちゃん」であるとともに「みなさんの中山美穂」であり、「永遠のシャイニングスター」です》と、別れを惜しんだ。 入浴中の不慮の事故であると発表されているが、細かな事情はわかっていない。 「中山さんは6日の夕方から、大阪市内でクリスマスコンサートを開催する予定でした。新幹線で移動するため、事務所スタッフとJR品川駅で待ち合わせをしていましたが、姿を見せなかったため、スタッフが自宅に向かい、浴槽の中で前屈みに倒れている中山さんを発見しました。すぐに119番通報し、駆けつけた医師が死亡を確認したため、警察に通報したとのことです。湯は張られていたそうですが、すでに水になっていたと聞いています。事件性はありませんが、『急激な温度変化によるヒートショック』なのか、『体内にアルコールが残っていたことによる溺死』なのか、さまざまな可能性があるため、8日に解剖がおこなわれ、その後、自宅に戻りました。解剖の最終的な結果が出るまでしばらくかかるようです」(社会部記者) さらなる事故を防ぐためにも、原因究明が待たれる。ところが、ある“不審点”を指摘する人物がいる。遺体管理学の権威で、中国・長沙民政学院の伊藤茂教授だ。 「今回、中山さんの遺体は、『調査法解剖』を受けたと報じられています。しかしこの解剖は、法の趣旨に照らすと、東京都内でおこなわれるべき解剖ではありません」 そもそも、解剖には法律上、3種類あるという。 「まず『司法解剖』。これは、事件性があると捜査機関が判断した場合におこなうもので、今回は関係ありません。次に『行政解剖』です。これは、遺体の死因究明を目的とするもので、死体解剖保存法に基づき、遺族の承諾なしに実施できます。ただし、行政解剖をおこなえるのは監察医のみ。現在、監察医が置かれているのは東京23区と大阪市、横浜市、名古屋市、神戸市のみです。それ以外の地方では、行政解剖に準じるものとして、遺族の同意を取ったうえで、大学の医学部に設置されている法医学教室に解剖を依頼します」(伊藤教授・以下同) そして3番めが、今回の調査法解剖だ。 「これは2013年に施行された『死因・身元調査法』という法律に基づいた解剖です。“新法解剖”とも呼ばれており、監察医のいない地域でも、遺族の承諾なしに解剖ができるようになりました。しかし、逆にいえば、すでに監察医がいて、行政解剖がスムーズにできる東京都内では不要なんです」 あえて調査法解剖を選ぶことで、生まれる弊害もあるという。 「行政解剖の場合、解剖をおこなう監察医務院は、解剖の専門施設として、すぐ対応できるようになっています。しかし調査法解剖は、大学の法医学教室に頼む都合上、大学の予定に左右されます。今回の場合も、中山さんの遺体は12月6日に渋谷署に運ばれたようですが、実際に解剖がおこなわれ、遺族のもとに帰ったのは8日です。つまり、12月7日の“24時間”は渋谷署の霊安室に置かれたままだったということです。行政解剖であれば、7日中に解剖を済ませ、遺族のもとに帰ることができたはずです」 ではなぜ、わざわざ不都合な解剖がおこなわれることになったのか。伊藤教授は「いくつか原因を推測できる」と語る。 「行政解剖をおこなう監察医務院は『行政』という言葉のとおり、東京都の管轄です。つまり、都が主導権を持つことになります。一方、調査法解剖は、警察署長の判断で大学に依頼するため、主導権は警察が持つことになります。中山美穂さんの死去という“大事件”を、自分たちで牛耳りたいと考えたのかもしれません。 また、調査法解剖は2013年にできた、比較的、新しい制度です。あえてこれを利用することで、新制度の周知をはかったのかもしれません。ただ、遺族としては1日も早く解剖を済ませて、遺体をそばに戻してほしいと願うのが普通でしょう。警察のエゴでこのような解剖を選んだのだとすれば、問題だと思います」 なぜ、わざわざ中山さんの解剖を遅らせるような対応をとったのか、警視庁に質問状を送ったところ、 「個別の案件については、お答えを差し控えさせていただきます」 との回答だった。 一方、今回“スルー”された形になった東京都監察医務院に確認したところ、 「私たちに行政解剖か調査法解剖かを決める権限はなく、警視庁が決めることなので、何も申し上げることはありません」 と回答した。 「どんな事情であれ、まずは遺族の希望を最優先にするべきだと思います」(伊藤教授) 異例づくめなのは、中山さんらしいのかもしれない。

中山美穂さんと同期デビューの工藤静香、訃報当日の“悲痛なお願い”と田原俊彦を巡っての“すれ違い”の過去

ともに1985年(昭和60年)に芸能界デビューを果たした“同期”だった──。 《Iпstagramは、はしゃいでる写真やビデオがいっぱいなので、今回の突然の訃報はそんなところに追悼のコメントを並べられなかった》 ファンに向け、同期の訃報についてそのようなメッセージを送ったのは工藤静香。 「静香さんはスポーツ紙1紙のみに追悼コメントを寄せていますが、ファンクラブサイトでは、それとは別にファン向けのメッセージを出しています」(芸能プロ関係者) 「親友といっていい関係性だった」 12月6日、俳優・歌手の中山美穂さんが亡くなった。54歳だった。突然の訃報に世間やネット、S NSでは悲しみの声であふれている。それは中山さんが40年の月日を過ごした芸能界も同様で、多くの共演者やスタッフらが哀悼のコメントを発表している。 そのなかの1人、静香は中山さんと同じ1985年にアイドルグループ『セブンティーンクラブ』のメンバーとしてデビュー。同年に中山さんはTBS系ドラマ『毎度おさわがせします』でデビューしている。中山さんの初出演(ドラマ放送日)は1月8日、静香のレコード発売日は1月21日と、ほとんど同タイミングで芸能界に入った。ともに14歳だった。 「静香さんは最初のグループが振るわず解散した後、『おニャン子クラブ』に。 “ヤンキーキャラ”が受け、注目されるようになりました。 中山さんはアイドル歌手としてもヒットを飛ばし、デビュー年に出演した映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで注目の新人女優に。1987年には出演したTBS系ドラマ『ママはアイドル!』で演じた役柄・中山美穂の愛称“ミポリン”がそのまま本人の愛称として定着しました」(芸能ジャーナリスト) その後、静香はおニャン子クラブの派生ユニット『うしろ髪ひかれ隊』で活躍し本格的にブレイク。中山さんと静香、そして南野陽子と浅香唯を加えた4人は“アイドル四天王”と称された。 「中山さんと静香さんの2人は1987年にフジテレビ系のドラマ『おヒマなら来てよネ!』で共演。それをきっかけに公私ともに親交を深めていきました。それはプライベートでも2人で遊びに行くような親友といっていい関係性だった」(前出・芸能ジャーナリスト、以下同) 1980年代後半から1990年代初頭にかけて、中山さんは当時全盛期だった男性アイドル・田原俊彦との熱愛が幾度となく報じられた。半同棲、ハワイ旅行などなど。そんななか……。