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中山美穂さん“スーパーアイドル”の光と影 信頼していた相談相手が明かした「泣きながら電話してきた夜」

12月6日午後、日本中が悲しみに包まれた。1980〜1990年代をトップアイドルとして駆け抜け、女優としても活躍した中山美穂さんが、都内の自宅で死亡しているのが見つかった。享年54だった。

完全に吹っ切れた? プラトニック 中山美穂 | まじっ?! やべっ(笑)

この日は、ビルボードライブ大阪でクリスマスコンサートをする予定だった。

「ショックです。まさかですよ。彼女は2025年、舞台の仕事が1本入っていたし、デビュー40周年のコンサートが控えていました。

2024年夏の39周年のツアーのときも、上機嫌で『39』に合わせて『サンキュー、サンキュー。来年は40周年だから盛大に。みんな来てくれるよね!』って言っていたのに」(芸能プロ関係者)

この39周年ツアーのために、2024年の春から初夏にかけて、本格的にボイストレーニングを積んでいたという。

「じつは、2022年のFNS歌謡祭で、彼女が歌いだした途端、下手すぎて会場がどよめいた、とSNSに書かれたのを、ものすごく気にしていたんです。以来、本気でボイストレーニングをしていました」(同前)

中山さんの初出演ドラマ『毎度おさわがせします』(1985年、TBS系)以来、交流があるというテレビ制作者は、「ミポリンから、たまにだけど『眠れなくて』って連絡があったんだよ」と、心配していたことを明かした。

「もう10年くらい前だけど、ご病気に苦しんでいたことがあってね。(2014年に離婚し、親権を手放した)お子さんへの想いや後悔にさいなまれ、夜中に泣いて電話してくるんだよ。 最後は『こうやって話を聞いてくれるだけでもうれしい。こんな時間に話ができる人なんていないんだもん』なんて言って、電話を切ったかな。

前向きな気持ちのときもあって、新しい仕事のことを知らせてくれたりもしましたよ。ほら、今年はコンサートツアーがあったでしょ。『体力つけなきゃ』って、パーソナルトレーニングに通っていました。結果、ツアーはお客さんも入ったし、充実感があったはずなんだけど……それが終わった7月ごろかな。『燃え尽き症候群というのか、なんだか何も手がつけられない』みたいなことを言っていたんだよ。つい最近も『私なんかいなくなっても誰も悲しまない』とか言いだしてね。『ずうっと、寂しいんだから……』って、こぼしていました」

中山さんがヒロインを演じたドラマ『黄昏流星群〜人生折り返し、恋をした〜』(2018年、フジテレビ系)で取材した、ある雑誌編集者は「印象に残っている言葉があるんです」と話した。

「女優人生を振り返って、うれしかったことを聞いたときに『あまり褒められたことはないんですよ』と答えたんです」

そして、こう続けたという。

「ただ、うれしくて覚えているのは、デビューしたばかりのときに出演した『毎度おさわがせします』の監督に『嘘をつかないね』と言われたこと。この撮影のときは、ずっとしかられっぱなしだったんですが、なぜかこう褒めてもらったんです。じつは子どものころ、母親から『あなたは嘘をつかないからいいコだね』と言われて、妙にうれしいと思ったことがあって。監督からそれと同じことを言われて、ハッとしましたね。

まぁ、そのことが後々、“大人になっても小さな嘘さえつけない”というジレンマに変わっていくのですが……」

歌、芝居に“嘘”をつかず、真摯に向き合うぶん、悩みが深くなることもあったようだ。

別の芸能プロ関係者も「ちょっとお酒が大好きになっていたので、心配していんです」と話した。

「酒豪といえるほどの強さでした。さすがにコンサート近くは控えていたようですが、どうやら最近はずっと眠れなくて、朝方まで飲んでいると聞いていたんです」

最近、中山さんとよく出かけておしゃべりをしていたという映画プロデューサーも「つらいですよ。まだ、54歳でしょ」とショックを隠せない。

「この前も、妹の忍ちゃんも呼んで、一緒に喫茶店でお会いました。『最近は、妹とよく一緒に出かけるんだ』と話していましたね。忍ちゃんがお手洗いに立ったタイミングで、中山(美穂)さんが『私のことよりも、妹のことをよろしくお願いします』って頭を下げたんです。『やっと姉らしいことができるようになった』って、中山さん、うれしそうだったな」

彼女が遺した音楽、ドラマ、映画は色あせず、人々の心に残っている。ありがとう、ミポリン! そして、安らかに。

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<中山忍>「日本一の最低男」で中山美穂さんの役を引き継ぐ 最初で最後の“姉妹ドラマ共演”「心を尽して」

俳優の中山忍さんが、フジテレビ系で2025年1月から放送される木曜劇場「日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった」(木曜午後10時)に出演することが分かった。12月6日に亡くなった中山美穂さんが演じる予定だった園田美奈子役の設定を引き継ぎ、鮫島ふみ役として登場する。 美穂さんが演じる園田美奈子は、香取慎吾さん演じる主人公・大森一平の義弟・小原正助(志尊淳さん)が勤務する保育園の園長として、物語の中心を担う重要な役どころだった。しかし、美穂さんの急逝を受け、脚本を一部修正し、美穂さんの役柄を引き継ぐ形で、新しい園長として着任する鮫島ふみ役を作り、今回忍さんが演じることになった。 ◇中山忍さんのコメント 姉の不在の存在感の大きさに、現実のこととはとても思えず、ポカンとしてしまう日々を過ごしておりました。ふと、姉が撮影中だったドラマはどうなったんだろう……と、思いを馳せたとき、別れ際にはいつも“あとは忍、よろしくね”と軽やかに去っていった姉の笑顔が心に広がり、シンと冷えた心の奥に沸々と熱いものが湧き上がってくるのを感じました。 “演じたい”と口にすべきか悩みましたが、最後くらい素直にならなくては後悔すると思い直し、ご相談させていただきました。姉の演じた役を引き継ぐ形で作品に携わることができますことをとてもうれしく思っております。香取さんと久しぶりに共演させていただけることも楽しみのひとつです。姉が残してくれた、このご縁を大切に、姉妹での最初で最後のドラマ共演、心を尽して演じます。機会を与えてくださった皆様に感謝申し上げます。 ◇北野拓プロデューサーのコメント 当初、第5話では中山美穂さんが演じる保育園の園長・園田美奈子役が物語の中心となる脚本で準備を進めておりました。現場でも積極的にアイデアを出してくださり、主演の香取慎吾さんとの久しぶりの共演も楽しみにされていて、このドラマへの強い思いを感じておりました。 この度のご訃報に触れ、スタッフ一同、本当に残念でなりません。謹んで哀悼の意を表します。そして、急きょ、一部脚本を作り直し、中山美穂さんの役柄を引き継ぐ形で、新しい園長として着任する鮫島ふみ役を作ることになりました。そのタイミングで、中山忍さんご本人と所属事務所とお話をさせていただくく機会があり、中山忍さんがお姉さまである中山美穂さんと同じ作品に最後にご出演したいという強い希望をお持ちになっていることを伺い、そのご意志を尊重させていただきたいと思い、今回、お引き受けいただくことになりました。  

「生きているだけでいいんだと」長女の難病公表の星野真里、中山美穂さん死去から4日後に綴っていた想い

女優の星野真里(43)が29日までにインスタグラムを更新。自然味あふれる大地と空の2枚の写真を公開した。 この日、星野は《憧れの人が永遠なる憧れとなれば師走の空 遠すぎる》とつづり、加えて《#冬、#ねぎ、#憧れ、#永遠》というハッシュタグを付けた。投稿されたのは、冬の澄み渡った青空と、畑に元気よく根付くねぎの様子だ。 続けて《生きているだけでいいんだと それだけで十分なんだと心の奥底から思えるのは 永遠の別れを突きつけられた時なのかもしれない それはとてつもなく悲しい瞬間だけれど》と加えた星野。 さらに《最期にいただいたその贈り物を 大切に生きていかなくては 私の足はまだこの大地を踏みしめているのだから》と語り、最後に《今夜は麻婆豆腐 そして餃子を食べる予定 寒い日々となりました 皆様ご自愛くださいね》と締めた。 「星野さんがこの投稿を行なったのは、歌手で女優の中山美穂さんが亡くなった4日後のこと。 2011年に結婚し、15年に長女・ふうかさんを出産した星野さんですが、そのふうかさんが国の指定難病に認定されている“先天性ミオパチー”であることを今年9月に公表。生後6か月の時に余命が2歳と宣告されていたというふうかさんは、現在9歳を迎えたそうでインスタグラムでは笑顔の家族ショットが公開され、大きな反響を呼びました。 命の尊さを人一倍感じる出来事を経験してきた星野さんだけに、中山さんの突然の訃報に様々な想いが込み上げてきたのではないでしょうか」(女性誌ライター) そんな星野の投稿に、ファンからは《生きられてる日々を大切に過ごさなくては》《真里さんの言葉は、とても心に響きます》《遠くにいってしまいましたね、晴れた日も、雨の日も、空を見て、あの方の笑顔を思い出して、まだがんばらねばと思います》などの声が寄せられている。 《生きているだけでいいんだと》という星野の言葉。中山さんの訃報で悲しみが広がる中、心に染みるものがある。  

《本人認める》「不倫関係にはありました…」“侍ジャパン”西武・源田壮亮(31)が銀座高級クラブ勤務“菜々緒似”女性と衝撃不倫を告白「プレミア12の台湾でも密会、元乃木坂妻は…」

源田といえば、2017年にドラフト3位で西武に入団した内野手で、ゴールデングラブ賞を7年連続で受賞している名手だ。2019年10月には元乃木坂46・衛藤美彩(31)との結婚を発表。「週刊文春」は過去、衛藤のインスタグラムに西武の同僚選手・山田遥楓(現楽天)の妻から誹謗中傷メッセージが送られていたことを報じたが、この時、源田夫妻に直撃に行くと、夫を守るように取材に応じたのが衛藤だった。 野球好きで知られる元乃木坂46の衛藤美彩 ©時事通信社 2024年1月には2人揃ってテレビ初共演を果たすなど、夫婦でのメディア露出も増加中。だが、その裏である情報が「週刊文春」に寄せられた。 「西武の源田が、銀座の高級クラブで働くA子と不倫している」 取材を進めると、確かにこんな証言がA子さんの知人から得られた。 「A子は20代後半で、モデルの菜々緒に似たスレンダー美女。不倫関係は1年弱にわたって続いている」 台湾で密会も。源田を直撃すると… 実際、「週刊文春」は同じ川越のホテルで過ごす源田とA子さんを確認。また、A子さんは台湾でプレミア12を戦う源田と密会、さらに源田は日本でA子さんの勤務先に来店していたこともわかった。 第2子と源田夫妻(衛藤美彩のインスタグラムより) 「不倫関係にはありました」 源田を直撃すると、マネージャー同伴で約50分にわたって取材に応じた。 ──A子さんとのご関係は? 「関係ですか……。そうですね。まあ、あの、不倫関係にはありました」 直撃には足を止めて…… ©文藝春秋 源田の口から語られた衝撃的な不倫の事実。一体、何があったのか。そして衛藤にどのような説明をしたのか。12月25日(水)12時配信の「週刊文春 電子版」および12月26日(木)発売の「週刊文春」では、不倫相手が衛藤について語っていたこと、源田が50分にわたって懺悔した中身などを詳しく報じている。

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