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【杏里】中山美穂さんを追悼「深い悲しみで胸がいっぱい」「透き通るような歌声で多くの人々に感動を与えてくださった」「私たちの心に永遠に生き続けます」

歌手の杏里さんが自身の『X』を更新。
6日に亡くなったことがわかった、中山美穂さんを追悼しました。

杏里さんは「中山美穂さんの訃報に接し、深い悲しみで胸がいっぱいです」と苦しい胸の内を明かし、「楽曲を提供させていただいたご縁を、今も鮮やかに思い出します」と振り返りました。

続けて、「可憐で美しい美穂さんが、その透き通るような歌声で多くの人々に感動を与えてくださったことは、これからも私たちの心に永遠に生き続けます」と心境を告白。

そして、「心よりご冥福をお祈り申し上げます」と、綴りました。

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歌手の早見優さんが自身のブログを更新。 6日に亡くなったことがわかった、中山美穂さんを追悼しました。 中山美穂さん 早見優さんは「中山美穂さんの突然のご逝去の報に接し、ただただ信じられない思いと悲しい気持ちでいっぱいです。」と、投稿。 続けて「はにかむような笑顔が愛らしい美穂さん。」「何年も前ですが、お食事をご一緒する機会があり、その時もとても優しい笑顔でお話しされていたのを鮮明に覚えています。」と、綴りました。 そして「もっと遡ると、私がロスに滞在していて、ちょうど日本に帰国した時、美穂ちゃんと入れ違いになったことがありました。」「その時、共通の友人が、『さっきまで優がいたのよ』と話したら、美穂ちゃんがとても嬉しそうに夏色のナンシーを口ずさんでくれたという話を聞きました。」「その光景を思い浮かべると、胸がいっぱいになります。」と、その思いを明かしました。 早見優さんは「ご家族の皆さま、そして美穂さんを愛するファンの皆さまのことを思うと、胸が痛むばかりです。」「心からご冥福をお祈り申し上げます。」と、しています。

大女優・高峰秀子さん。5歳の誕生日に実母が他界、養母からのひどい仕打ち…激動の幼少期

きらびやかな女優業の裏で、養母と親族に搾取されていた不幸な人生を送っていた、昭和の大女優・高峰秀子さん(1924年生まれ享年86)。それを救った脚本家の松山善三さん(1925年生まれ享年91)の愛情物語を、養女として身近で見てきた文筆家の斎藤明美さんが一冊の本『ふたり~救われた女と救った男』にまとめました。ここでは、高峰秀子さんの母との思い出を教えてもらいました。 死に別れた母の顔を知らない高峰秀子さん 2024年は、日本映画史に残る偉大な女優、高峰秀子さんの生誕100年の年に当たります。一世を風靡した映画女優というと、華やかな印象をもつかもしれませんが、じつは学ぶ機会さえ奪われ養母から搾取される不幸な人生を歩んでいました。 そのきっかけとなったのは、故郷の函館での母との死別でした。そのとき、高峰秀子さんはわずか5歳で顔の記憶もないそうです。養女の斎藤明美さんに高峰秀子さんが語ったという、母との思い出を教えてもらいました。 ――単行本『ふたり~救われた女と救った男』の中に出てくる、高峰秀子と松山善三が出逢うまでの年表が圧巻ですね。大スターの高峰秀子さんが、大変な環境のなか、ご苦労された、ということに驚きました。今でいうと養母は「毒親」という言葉が当てはまるのではと思いました。改めて、高峰さんのふたりのお母さまは、どんな方なのでしょうか。 斎藤明美さん(以下、斎藤):高峰の実母・イソは、高峰が5歳になった誕生日に結核のため他界します。高峰が言うには、実母の思い出はひとつだけで、入院している母親を乳母に連れられ訪ねたとき、病室に入って母のもとに駆け寄ろうとしたら、乳母に「結核が伝染ったらいけないから」と止められ、ベッドから少し離れた所で、見舞いにもらっていた生卵に穴を開けてチュウチュウ吸ったこと。それだけだそうです。 ――それは悲しい思い出ですね。そのとき、高峰さんおいくつくらいだったのでしょうか? 斎藤:たぶん4歳くらいの思い出でしょうね。 ――その頃の記憶が鮮明に残っているとは、天才の名に恥じぬ、恐るべき4歳ですね。高峰さんは実母のお顔を知っているのでしょうか。 斎藤:10代の頃、高峰の成城(世田谷区)の家に下宿していた2番目の兄・実が自室で「秀ちゃん、これが僕らのお母さんだよ」と、まさに写真を見せようとしたとき、養母・志げが部屋に入ってきて、いきなりその1枚しかない写真をビリビリに破り捨てたそうです。だから高峰は実母の顔を知らないんです。 ――なんてことでしょうか! 恋しかったであろう母の写真を! 10代の高峰さんはどんなに悲しかったでしょう。想像するだけで、涙が出ます。

森山良子、昨年12月に元夫が死去 直太朗は父と最期の時間過ごす

歌手の森山良子が24日、テレビ朝日系「徹子の部屋」で、昨年12月に元夫を肺がんでなくしたことを振り返った。 黒柳から、昨年12月に森山の別れた元夫で、息子の森山直太朗にとっての父が亡くなったと聞かれ森山は「そうです」。入院中は、直太朗夫妻が中心となって世話をしており、直太朗が留守にしているときは、直太朗の妻が、夫の言葉をすべて録音して、直太朗に聞かせてくれていたという。 亡き夫は「小さい時にお母様が亡くなってるんで、すごくつっぱって生きてきたのが、ようやく元のままの自分になれて、亡くなったお母さんと笑顔で会える、早くお母さんに会いたいと言っていたようで。直太朗夫妻が愛を込めて接していた」と語った。 元夫からは「森山良子は大好きで尊敬しているが(本名の)相良良子は大嫌い」と言われたことがあったといい「(自分も公私の)切り替えができなかったのもあったし、お互い様のいろいろな問題があった」と振り返るも「ただ、子供にとってはパパはパパ」だったことから「最後に時間を取り戻すみたいに、何かあれば彼のもとに駆けつけて、話を聞いて…。そういう最期を迎えられて、パパの方はいい最期を迎えられたと思う」と話した。 森山も亡くなる直前に元夫に会いに行ったといい「意識はなかったが、名前を呼んだら『うー、うー』って言ったりして。ママが来たこと分かってるって」と直太朗にも言われたという。 女手で育てた直太朗については「寂しかったんだろうなって。パパと一緒の時間がたくさんなかったことが…。頑張ったつもりだったが皆で一緒にいる時間が、私も忙しかったので」と複雑な表情を浮かべていた。

【荻野目洋子】中山美穂さんを悼む「その人から何を教わったか?を考える」「悲しむだけでは失礼」

歌手の荻野目洋子さんが自身のXを通じて、中山美穂さんの訃報に際した思いを綴りました。 荻野目さんは「人生には限りがあるといつも感じています。」と書き出し、「何百倍も多く人に会う仕事」「10代の頃から『死』と向き合う数も多かった」と振り返りました。そして「突然のお別れが幾つもあった。」「ただひたすらスポットライトに涙を乾かしてもらった。」と、悲しむ間もなくステージを務めねばならなかった辛さも明かしています。 亡くなった方について「自分が思えば今も心に居てくれる。」と、強い思いを記し、「悲しむだけでは失礼であって、その人から何を教わったか?を考える方が私は良い気がしてきています。」と、悲しさに向き合う姿勢を見せています。 荻野目さんは「訃報に接し謹んでお悔やみ申し上げます。」と結んでいます。

湘南が鹿島MF藤井智也の獲得発表 「湘南のために走れる、戦える選手になる」

J1湘南は24日、鹿島からMF藤井智也(26)が完全移籍で加入すると正式発表した。 藤井は爆発的なスピードと積極性を生かしたドリブルが武器のサイドアタッカー。立命大、広島を経て23年に鹿島入りし、今季は主に途中出場で25試合2得点1アシスト。トップスピードはリーグ1位タイの時速35.4キロを記録した。 湘南は山口智監督の来季続投が決定的。さらなる上位進出を目指す就任5季目のシーズンへ、期待の戦力となりそうだ。 クラブを通じた藤井のコメントは以下のとおり。 「湘南ベルマーレに関わるすべての皆さん、はじめまして、藤井智也です。2025シーズンからともに戦います。謙虚に、地に足をつけて努力し続けます。『湘南のために』走れる、戦える選手になっていきます。皆さんと会える日を楽しみにしています。よろしくお願いします!」 また、鹿島を通じてのコメントは以下のとおり。 「湘南ベルマーレに移籍することを決めました。まずは2年間、ありがとうございました。最終節のホーム町田戦、ベンチからピッチに立つ選手たちの熱いプレーと、サポーターの方々の迫力ある応援を間近で感じ、このチームでアントラーズファミリーと一緒に戦っている光景に興奮してました。改めて、すごいクラブだなと実感しました。この雰囲気でサッカーができることは幸せなことで、当たり前でないことは分かっています。しかし、一選手としてプレーでチームの勝利に貢献するため、自分自身をもっと確立したいという気持ちもあり、葛藤して決断しました。アントラーズに加入してからたくさんの経験をし、色々な感情を味わいました。そして、皆さんからたくさんの力をもらいました。自分の決断を信じ、次のステップで戦いたいと思います。本当にありがとうございました!」 ◇藤井 智也(ふじい・ともや)1998年(平10)12月4日生まれ、岐阜市出身の26歳。長良高から立命大に進み、4年時の20年に広島の特別指定選手としてJリーグ初出場。翌21年に広島に加入した。23年に鹿島に完全移籍。J1通算118試合5得点。1メートル73、68キロ。利き足は右。

「パリのホームパーティーで息子さんと」中山美穂さん、岩井俊二監督らが語る“女優魂とすっぴん顔”

中山美穂さんの悲報がもたらした衝撃と悲しみの波紋は今も消えていない。 「改めて中山さんの残した作品の素晴らしさを実感している人も多いでしょう。日本レコード大賞は『特別功労賞』を贈ることを発表しました。レコ大では、1985年の第27回で最優秀新人賞を受賞。1986年の第28回『ツイてるねノッてるね』、1988年の第30回『You’re My Only Shinin’ Star』でレコード大賞金賞を受賞していますからね」(レコード会社関係者) 2025年1月に始まるドラマで、すでに撮影を終えていたシーンが放送されることも決まった。 「フジテレビ系で放送される、香取慎吾さん主演の『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』の初回と第3回で、保育園の園長役を演じています。さらに、テレビ朝日系で放送される『家政夫のミタゾノ』では第1話のメインゲストで登場するそうです」(テレビ誌ライター) 岩井俊二監督が語る「素顔」 中山さんが女優として大きな飛躍を遂げた、1995年公開の映画『Love Letter』で監督を務めた岩井俊二氏が当時を振り返る。 「お願いしようとしていたのが一人二役で、1人は明るい役なんですけど、もう1人は悲しみに暮れている役。暗めのほうの役ができるんだろうかと、心配していたんです。というのも、当時の彼女は活発な役をよく演じており、暗めの役の印象がなくて。実際にお会いしてみると、清楚で物静かで、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐタイプ。暗い役のイメージにぴったりだったので意外でしたね」 恋人に先立たれた“渡辺博子”が天国に手紙を出すと、恋人と同姓同名の女性“藤井樹”から返事が届く。中山さんは2人の女性を演じ分ける難しさを感じていた。 「“博子って、ここ、どう演じていいか、ちょっとわからなくて”って言うんです。“明るい樹は、すごく自分と近いのでわかるけど、博子は自分とは遠い感じがしてわかりにくい”って。僕からすると“いや、素は樹じゃなくて、博子だよね”と思っていたから噛み合わないんです、話が(笑)」(岩井氏、以下同) 演じていくうちに、中山さんは役をつかんでいった。 「最初は“映画はちょっと苦手で”と言っていたんです。でも、撮り終わった後にはうまくやれた実感があったんでしょうね。今度は逆に“映画しかやりたくない”と言い出して(笑)、事務所を困らせてしまったみたいなんですよ。彼女はいい意味でゴーイングマイウェイなんです」

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