堀ちえみさん 「心友が闘いを終えました」 友人の死去について明かす 「『最後まで生ききる』という意味を私に教えてくれた彼女に、心から感謝しています」
堀ちえみさんは「先日心友が闘いを終えました。」「7年7ヶ月の長い闘いだったそうです。」と、投稿。 続けて「彼女と知り合ってからの5年と半年余り。がん患者同志として、気持ちをわかち合いながら繋がってきました。」「共に励まし合って、お互いの目標をそれぞれに持ち、歩んできたのです。」「彼女は笑顔を絶やすことなく、いくつもの山を乗り越えました。」と、綴りました。 そして「しかしながら…やさしい旦那さまと可愛い小学生のお嬢さま、お父様とご兄弟に見守られながら、旅立たれたのです。」と、記しました。 堀ちえみさん 公式ブログより引用 堀ちえみさんは、友人について「『私にその時が来たとしても 娘の心の中にいつも私はいます』と生前から言っていました。」と、投稿。 続けて「本日はさようならという言葉では見送らないで、行ってらっしゃい!と声を掛けて送って欲しいという、彼女の遺志を守り…皆さんで行ってらっしゃい! とお見送りをしました。」と、記しました。 そして「お亡くなりになる10日前、最後に会った時のこと。」「彼女から歌い出して、一緒に私の歌を歌いました。」「それぐらい笑顔で元気でしたが、本当はとても痛く辛かったのでしょう。」と、綴りました。 堀ちえみさん 公式ブログより引用 堀ちえみさんは「怖くて不安で心が折れそうだと、時々そう言った内容のLINEが、送られてきたりもしましたが、会えば必ず、『ちえみさん お身体に気をつけてください』 と自分のことより周りのことを気遣う、思いやりの心とやさしさを持った女性でした。」と、投稿。 続けて「『最後まで生ききる』という意味を私に教えてくれた彼女に、心から感謝しています。」「ありがとう! もうゆっくりしてね。 またね。」と、綴りました。 そして「喪主であるご主人様のご挨拶のあと、お嬢様が泣きながら大きな声で言った言葉。『今までママと仲良くしてくれて ありがとうございました! ママのことを忘れないでください』という声が私の心に突き刺さりました。」と、その思いを綴っています。 堀ちえみさん 公式ブログより引用
【がん闘病】梅宮アンナさん 「今日は悲しくて泣いている」 現況明かす 「身体が痛いのです。あちこちと」「痛い痛い」
乳がんの一つ『浸潤性小葉がん』に罹り、抗がん剤治療に取り組んでいることを公表しているタレントの梅宮アンナさんが、自身のインスタグラムを更新。右胸全摘手術を終え、退院した近況を知らせています。 梅宮アンナさん インスタグラムより引用梅宮アンナさんは「今日は悲しくて泣いているモノをアップする事にしました」と、涙を流している動画をアップ。 続けて「退院して本来なら嬉しいはずが。。生まれて初めての感覚です。」「先ずは、身体が痛いのです。あちこちと。。」「退院してからは不快な気持ちではいます。」「傷口、脇、腕、カテーテルを入れていたあたりと。。。痛い痛い」と、綴りました。 梅宮アンナさん インスタグラムより引用そして「退院してかなり気持ちが下がりました。」「身体が動きたい様に動かず、自分にイライラしてしまう。」「何もかも動きが遅い。。モノは落とすし。アイラインもなんか下手くそだったよ」「安静にしていたら更に身体は動かなくなるから動きたいし。。動かないとダメになるからね。。」「キチンとふくらはぎも動かして外出て電車に乗った。。」「リハビリは理想通りにいっていない事でしょう。。」と、記しました。 梅宮アンナさん インスタグラムより引用梅宮アンナさんは「昨日朝やっと自宅でシャワーに入ったの。右側の傷を徐々に観ました。」「なくなった胸や傷を観て泣くのではなく、観てやっと痛みの意味を脳が理解し始めて泣いた。。」「だから、キチンと痛みを感じる様になって来たんだと思います。」と、投稿。 続けて「コレが現実です。」「この数日、、日に日に痛くて悲しくて そんな日々なんです」と、綴りました。 そして「友達にも、世の中の皆様からも、誰しもが退院おめでとうになる。」「でも、私の中では複雑でした。」「本来ならその言葉は嬉しいはずが、なんか戸惑っていて まだまだ先は長く終わっていないのだから。。」と、記しました。 梅宮アンナさん インスタグラムより引用 梅宮アンナさんは「ハッキリ言いますね。今、身体すご〜く痛いんです。。」と、投稿。 続けて「手術は大変素晴らしく終わっています。綺麗にごっそりと取れたと。」「コレは仕方ない事ですが、どーしても神経を損傷してしまうので痛い事は、当たり前なんです。そして、徐々に痛みに慣れてもいきます。と、先生にも言われています。」と、記しました。 そして「乳がんの手術痛くないよ。って沢山の人に言われました。」「コレは、、不安にさせない為なのでしょうか? もしくは、忘れてしまったのでしょうか?人間の本能に痛みを忘れる機能がついていますからね」「痛み忘れないと、子供何人も産めないでしょ。。あとは、乳がんの内容が違っているか。あとは、本当に痛みを感じないラッキーな方か。。」「わたしは、入院中色々悩んでしまいました。私だけなんだなーって。痛いって感じるのは。。」と、綴りました。
星野真里「私にとっては光でしかない」娘・ふうかさん(9)への思い…難病の告知を受けても「明るい情報に感じられた」という理由
今年9月、最愛の一人娘で小学3年生のふうかさん(9)が、難病である先天性ミオパチーを発症していることを自身のブログで公表した星野真里さん。 公表と同時にふうかさんのInstagramを開設し、星野さん、夫(元TBSアナウンサーの高野貴裕さん)との日々の暮らしぶりをオープンに。 ハンディはあっても、さまざまなことを楽しみ、前向きに挑戦するふうかさんは、星野さん曰く「メンタルが強い」「負けず嫌い」の女の子。そのポジティブさに多くの反響が寄せられ、なかには「がんばりがすごい」「見習いたい」「ありがとう」という感謝の声もあります。 全ての画像を見る 今回、めざましmediaでは星野真里さんにインタビュー。前編では、ふうかさんの病気について公開を決めた理由や反響、普段のふうかさんについて聞きました。 <星野真里 インタビュー【前編】> ――まず、ふうかさんが先天性ミオパチーであるとわかった経緯と、そのときの心情について教えてください。 妊娠期間も順調で、出産も、私としては非常につらく大変だったのですが、主治医の先生や看護師さんからは「安産だったね」という言葉をいただくほどでしたし、生まれてしばらくも、お乳もミルクもしっかり飲んでくれ、不安を感じることはありませんでした。 ただ、2、3ヵ月になってくると、同じ時期に生まれたお子さんが首がすわりはじめる時期で、そのような様子を目にしたり、耳にしたりするなかで、まったくそういう気配がないことに少しずつ違和感を覚えるようになりました。 それでインターネットで調べたり、周囲の人に相談してみたりしましたが、「子どもは個人差があるからね」と言われることが多く、自分自身もそうであってほしいという願いが強かったので、それ以上は考えないようにしていました。 その後、6ヵ月検診のときに勧められ、大きな小児科の病院で検査をして、最初は、それも筋肉の病気なのですが、別の疾患の疑いがあるとされ、筋肉の病気を専門に診る病院で検査をしてもらった結果、先天性ミオパチーの疑いがある、と言われました。 「この子には何かがあるんだろう」漠然と抱えていた不安 ですが、実際に診断を下すにあたっては、筋生検といって、全身麻酔で、筋肉の繊維をとっての検査をしなくてはならず、それをするには、少なくとも2歳は過ぎて、体もある程度大きくなっていないといけないということで、それを待って、検査した結果、初めて先天性ミオパチーという診断がつきました。 何が起きているかわからないけれど、きっとこの子には何かがあるんだろうという漠然とした不安をずっと抱えていたこともあって、さらには、最初に疑われた疾患が、外科的処置をしなければ2歳まで生きられるかどうかわからない…本当に想像をはるかに超えた大きな現実が来るかもしれないといったお話だったので、先天性ミオパチーという診断名が、むしろ希望というか、これからも一緒にいられる、この子の成長を見られるという、明るい情報に感じられました。 私自身、心が弱いので、そんな私のために、こういう道筋をつくって、病気のことをはっきりわかるようにしてくれたのかな、なんて思いました。 ――そこから数年を経て、今年公表したのはどのような思いからでしょうか? 病気について調べるなかで、(ふうかさんと)同じ病気かもしれないというお子さまのことを積極的に発信されている方がいらっしゃって、それがすごく心の支えになったんです。 同じ状況かどうか、自分の子どもがどうなるかもわからないけれど、でも、どのような疾患、障がいであっても、こんなふうに生きられるんだ、こんなふうに笑えるんだ、寄り添えるんだと思えたことがすごく大きな支えで、とても心を強くしてもらえました。 そういうこともあって、自分たちを支えてもらっていることに、何かしら恩返しがしたいという思いがありました。 一方で、プライベートな話になりますし、私自身が役者という、イメージがついてくるような仕事をさせていただいていますので、はたして公表することにどれほどの影響があるのかわからなかったですし、公表して返ってきたものに、まず自分が耐えられるのか、という不安もすごく大きくて、悩みました。 社会福祉士の資格を取って知ったさまざまな現実 それでも、娘が大きくなるにつれて、支えられるさまざまな制度、支えてくださるいろいろな方の温かさを知って、40年近く生きてきましたが、自分が知らないことがこれほどたくさんあるのか、と驚かされました。そして、これほどあたたかい世界があるというのを、まだご存じでない方に知っていただきたいという気持ちが、公表したいという気持ちにつながっていきました。 ただ、それでは丸腰で入っていくようなものと感じ、自分を奮い立たせるための鎧(よろい)というのでしょうか、そういった“身に着けるもの”として、資格や知識がないだろうかと探すなかで見つけたのが、社会福祉士という資格でした。 実際、資格を取ったことで、今、娘は支援学級に通っているんですけれども、自分たちが思い描いていた共同教育、インクルーシブ教育(※)からは、程遠い現実があるというのを、より知ることができました。 (※)インクルーシブ教育…障がい、性的マイノリティ、社会的に養護が必要な子ども、外国にルーツのある子どもなど、誰も排除することなく、すべてを包み込む(インクルーシブ=inclusibe)ような教育のこと。 このままのんびりしていると、あっという間に娘は小学校を卒業してしまいます。何かを変えるにはどうしても時間がかかるものなので、動きだすならできる限り早いほうがいい、ということで、最終的に、Instagramで公表することにしました。 ふうかさんの難病をSNSで公開して知ったこと…